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 サロン ド 立高18期 過去ログ (No.7)

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ここの掲示版もとんでもない“荒らし”(たぶんBBSサーバーを攻撃するウィルス)があり、新装開店をすることになりました。

8. 新装開店-2号店 (07年7月1日〜08年7月8日)
新装開店-1号店 (06年3月4日〜07年6月28日
6. No.1501〜No.1800 (04年12月22日〜06年3月1日)
5. No.1201〜No.1500 (03年12月12日〜04年12月22日)
4. No.901〜No.1200 (02年2月9日〜03年12月12日)
3. No.602〜No.900 (02年3月10日〜03年2月7日)
2. No.301〜No.600 (01年8月31日〜02年3月10日)
1. はじめ〜No.300 (2001年2月1日〜01年8月30日)


No.230
2007年06月28日 20:46
送信者:SHIRATORI < >
表題:利用勝手とセキュリティの両立

現状では緊急性はそれ程高くないと思いますので、どうせならじっくり考えてやられた方が良いと思います。幸い、消えてしまった書き込みも、回復できる見通しがたったようですし。

ところで、パスワード付きBBSは管理人さんへの影響と当時に、閲覧者の減少にも繋がりやすいので、出来たら違う手段を取っていただければありがたいです。

検索サイト上ですぐに探せるトップページからリンクが張られた掲示板は、必ず自動収集ロボットに探されてしまいます。逆に言えば、リンクを張るところにパスワードを付ければ、収集ロボットをシャットアウトすることが出来ます。管理人さんがお使いのHomepage Builderなら、簡単にパスワード付きリンク設定が可能ですし。

トップページの入り口に関係者なら誰でも分かるパスワードのヒントを書いておいて、一度パスワードを使って掲示板にアクセスした人は、必要ならばそのURLをBookmarkすることで、使い勝手は今までと同じです。

既に登録されてしまっている現在の掲示板のURLは、残念ながら変更する必要はありますが、複数あるであろう対処候補の一つに入れていただければ、ありがたいです。

No.228
2007年06月28日 10:58
送信者:管理人です < >
表題:早急になんとかします

鈴木さんが、ここのBBSに何か書き込みがあるたびにご自分でログを取っていらっしゃるとは
正直言って、びっくりしました。

立高同期で会って話をするとき、たまたまここの話になるのですが、かなりの数の人から、
ここは他の軽いおしゃべりのBBSと違い、軽く入っていけない雰囲気で
さあ書くぞ、と構えなくてはならないので、なかなか書く気にならない、と言われます。
雰囲気を変えるために、そんなこと言わずに軽くどうぞ、と申し上げてはいるのですが、
なかなか反応していただけません。
個人的にログですか…そうなると…ますます…はあ…参りましたね。

むかしおとめさま
発言が削除されていることに気づきませんでした。すみません。

ZEROの掲示板は、管理者権限で発言を削除するときは、発言タイトルなどの一覧表の中から
削除したい発言を選び、『削除』ボタンを押す、という(ありきたりの)方法で
削除します。今までは、その単純な方法で事故は起こっていなかったのですが…
もちろん、チェックを入れる私のミスという可能性はあります。
しかし、このところのスパムの書き込みは1〜2件のうちに気づきますので、
チェックの個数を間違えるとは考えにくく、その確率は少ないはずなのですけれど。
ZEROのサーバーは何かが起こりやすいのか、入りやすいのか、BBS管理担当のプログラマが
甘いのか…何が起こっているかわかりませんが、ほかの発言まで消えてしまうとなると、
大いに問題です。
早急にお引っ越しをします。

画像付の掲示板を考えたのは、前回の同期会で写真のことで盛り上がったのです。
このごろ、デジカメを楽しんでいる人も多く、そういう人たちと写真を通じて楽しむのは
画像付のBBSが一番です。
その上、写真に興味のない方も、そういうちょっとした発表する場所ができると、
結構はまって発表し、仲間が増えることもありますし。
私個人でいうと、花便りを書きながら、写真を添えられたら、この感動をもっと
伝えられるのに、と思っていた所為もあります。

「管理人さんの許可経由でならかまわない。」とか
「管理人さんから要求者にメールでパスワードを与えるのがよい。
おかしくなったら、 管理人さんからパスワード変更の通知。」とか
あまり管理人をこきつかうことを考えないでくださいませんか?
毎日、迷惑メールを消すほうが30秒もかからないので、どれだけ楽か…

理論物理系で実務系でない鈴木さんにしてみると、
「メールを出すなんて簡単だろ。BCC欄に全員のアドレスを放り込めばいいのだから。」
とお思いでしょうが、これがどうしてどうして!
実際に大量のメールを出すのは簡単ではないんです。

今回の同期会通知のメールは約200通。これを15回に分け、2時間ほどかけて発信しました。
何故こんなに時間がかかるかというと、発信にするについて制限があるからです。
他人のアドレス帳を使って多量のメールを発信する、というウィルスが現れた結果、
このごろリスク管理の生き届いたプロバイダは、発信サーバーでもウィルスチェッカーを
かけ、大量発信メールを制限しています。
その条件が「一回で送れる相手は19宛先未満。次の発信との間隔は10分以上あけること。」
プロバイダによっては、まだこのサービスを提供していないところがあるので、
そういうプロバイダを使うのも手なのですが、実は、私自身は4つのプロバイダを
利用していて、そのいずれもがリスク管理の精神が高く、どのプロバイダもこの条件を
要求していました。
それでも、できるだけ短時間で終らせたいのが人情ですので、
「ぎりぎりの時間を教えてくれ。」と聞いたのですが、当然ながら
「スパムメール発信に繋がる情報は教えられません。」との回答。
しかも、プロバイダが使っているウィルスチェッカーはどうも同じ会社(Norton?)らしく。

つまり、理論と実際はこれだけ違う!
ここの管理はボランティアで、また、いつ誰と代わってもいい状態を保つには
管理を楽にしておかないと、あとの人が大変。
というコンセプトでサイト公開時からすべてを設計してます。
だ・か・ら・・・
なるべく管理人が楽な方法をお考えくださいませな。

No.227
2007年06月28日 06:39
送信者:鈴木克己 < >
表題:情報もいろいろ

むかしおとめ姫へ:
私(物理)のパソコンには、
その消えた2回は残っています。
あまり急な対応はしないで、
もうしばらく書き込みを続けてください。

南武線だった調布中の白鳥さんへ:
お元気なようでなによりです。

「年金データベースが名前と生年月日による検索機能がないのではという意見に関しては、真偽の程は分かりませんが」と白鳥さん。

私(物理)は思う。
多分、検索機能はある。
ただし、私が質問した場合は役に立たなかった。

数学的存在:矛盾がないこと。
物理的存在:測定に再現性があること。
工学的存在:役に立つこと。

不特定多数の中ならの任意抽出サンプルでトラブルことを問題にしたい。
工学的世界では例外とか特殊な操作が重なると予期しない事態になる。
それだけ、多数の事例、多数の操作者がいるということだ。
だから、
出来るだけ誤りの数を少なくなくする不断の努力が必要だ。

Windows Vistaという根幹のソフトは、
かなり長時間かつ多数の操作者の参加によって誤りの消去をしたはずなのに、
IE7での漢字入力にトラブルがあるまま発売されてしまったようだ。
(イクセルやワードでは問題が発生しないとの情報もある)

結論から言うと、
一般公開する前に多数の様々な操作によって誤りをできるだけ出し終わっておく。
(一般公開してからは多くの人々に迷惑がかかる)
ユーザが直接操作でいない国民年金のような場合、
互いに独立した複数の会社によって間口業務をすることだ。
ソフトばかりでなく操作者の質が切磋琢磨されるだろう。

さて、
私(物理)の家の表札では、
鈴の令の字は縦棒でなく斜めチョン。
木の字でも縦棒でなく上にハネル。

共に私の使っているパソコンには存在しない字です。
でも、
コンピュータ世界で私は困ったことも不満なことも無い。
縦棒と「斜めチョン」や「上にハネル」を区別することの混乱の方を私は避けたい。

ただし、
誰が見てもスグに区別がつく字が存在せず、
振替字で代用するのは、
特に名前の場合は改善した方がよいと思う。

さて、
管理人さんへ:

この掲示板にて「画像をアップできるのがいいなあ」について意見あり。

管理人さんの許可経由でならかまわない。
エログロのタイトルや文章は無視できるが、
画像となると、
論理フィルターを経由せず直接感性に入ってしまい、
いつまでも心に焼き付き、
何日も気分がわるくなってしまうから。

一方、
文章は論理フィルターを通して理解する。
だから、
多くの連想が広がり納得した場合、
一生、心に残る言葉に出会うこともある。

さて、
パスワードについて:
管理人さんから要求者にメールでパスワードを与えるのがよい。
(なりすましを避けるため、18期名簿にかぎる)
参加者の全員おなじでよい。
おかしくなったら、
管理人さんからパスワード変更の通知。

毎日、迷惑メールを消すより楽ではないでしょうか。

No.226
2007年06月28日 03:48
送信者:むかしおとめ < >
表題:こんな時間に失礼します。

どうも最近寝付きが悪くていけねえや!「年のせい」ってやつでしょうかねぇ。

ここんとこサロンも変な書き込みで大荒れ。困ったもんです。実は、15日の「還暦の同期会は盛会!」と23日の「私の書き込みが消えた?」の二つともウィルスに食われたのか行方不明。これも又消えるんじゃないかとドキドキしているってわけ。全く迷惑至極!

今度消えたら私はしばらく「おさらば〜」。皆、達者でね。

No.223
2007年06月27日 04:29
送信者:SHIRATORI < >
表題:背景色変更、ありがとうございました。

連続していて、申し訳ありません。

管理人さん、お手数をおかけしました。
おかげさまで、私にとっては非常に見やすいものとなりました。
お化粧落として、風呂上がりの素肌という感じです!

No.222
2007年06月26日 14:24
送信者:SHIRATORI < >
表題:1点だけ追加

通常、迷惑書き込みのような場合はProxy Serverを通して投稿してきますし、BBS投稿記録のドメインは、この最後に通したProxy Serverを表示しています。世界各国ドメインのフリーProxy Serverはインターネット上に大量に出回っていますので、それを自動的に切り替えて投稿できるソフトを使用すれば、ドメイン(=IP Address)フィルタリングでの対応は不可能です。(あきらめるべきです)

対策が出来ないプロバイダのBBSを使う以上は、外から何を言われようとURL変更で対応したのが正解だったと思います。そうしたからこそ、現在もBBSが存続できているわけですから。もちろんお金とほんのちょっと技術を使えば、パスワードなしでも、もう少し何とかなるとは思いますが。

管理人さんにお願い
文字が大きいのは助かっていますが、背景色をもう少し薄い色にしていただけませんか。ご考慮、よろしくお願いいたします。

No.221
2007年06月26日 13:34
送信者:管理人です < >
表題:ご提言、感謝します

書き人知らず様

お気にかけてくださってありがとうございます。

前のBBSの迷惑書き込みは、あまりにすごかった(自動的という意味です)ので
立高18期サイトURLのエイリアスを変えたのですが、これは変えたことのお知らせが
徹底できない、という意味で大失敗でした。

このごろ、また迷惑書き込みが増えてきていてどうしたものか、と思いながら、
日常に取り紛れています。

私個人の経験としては、無料のパスワード付きのBBSを二ヶ所ほど利用していますが、
そちらのほうは3年ほどたっているものでも、迷惑書き込みがありません。
やはり、パスワード付BBSにするのが得策かとは考えます。

そうなると、欲が出て参りまして…

とにかく、パスワード付で、画像をアップできるのがいいなあ、とか、
過去ログが簡単に見れるのがいいなあ、とか
なるべくたくさん置いておけるのがいいなあ、とか、
無期限で置いておいてくれるのがいいなあ、とか、
しばらく書き込みがないと自動的に掲示板が消去されるのは困るなあ、とか
いろいろ考えまして…

そうなると、まず、いろいろなBBSを比較検討しなきゃ、と考え…

前のときのような迷惑書き込みが大量になってきますと、まったなしで対応しますが、
今は一日一回くらいの削除でどうにかなっているので、まだやってない状態です。

ZEROのBBSは発言者のIPアドレス(相手のプロバイダのIPアドレスレベルまで)は
わかりますので、それを使って相手の国を調べてみますと、イギリス、デンマーク、
イタリア、アメリカなど世界各国から書き込まれています。
もちろん、“なりすまし”もあり得るので、
本当にその国から発信されているか確かではありませんが、
自動で書き込まれているのだと思っているのですが、どういうものでしょうか。

お話、参考にさせていただいて、対策を考えます。

No.219
2007年06月24日 22:07
送信者:書き人知らず、改めSHIRATORI < >
表題:No.218の迷惑書き込みについて

管理人さん泣かせのこの手の迷惑書き込みは、とりあえずはこまめに削除するしかありませんが、既に一度登録されてしまっているので自動的に何度も書き込んできて、しかも投稿ドメインのフィルターにも引っかけることは出来ないのが普通です。
掲示板のURLを変更するのが最も良い方法だとは思いますが、プロバイダのBBSを使っている以上、何度も変更するのは難しいことです。

意図してマニュアルで迷惑書き込みをしてくる場合は閉鎖しかありませんが、自動書き込みのものへの対策は、ランダムに表示させたテキストの文字、あるいは画像の文字を入力しないと投稿が出来ないようなBBSに変更するのが、経験上からは有効でした。

ただ、現管理人さんが考慮されている個人とサイトの独立性を確保して置くためには、個人のものを利用するのではなく、プロバイダ(ZERO)への追加費用、あるいは月額125円程度のレンタルサーバを利用するなどの、追加費用がどうしても必要になります。ユーザの迷惑度・管理人さんの手間と費用のトレードオフと言うことでしょうか。

BBS荒廃の一因にもなる迷惑書き込みを削除することは、もちろん管理責任の一環ではありますが、本音としては結構面倒なものです。

No.217
2007年06月24日 03:01
送信者:書き人知らず < >
表題:Re: 204

適当な名前で申し訳ありませんが、以前に書き込んでいたものですが、また何年かぶりにおじゃま致しました。

No.204の内容で、年金データベースが名前(漢字&よみがな)による検索機能がないのではという意見に関しては、真偽の程は分かりませんが、それよりも興味がわいたのは、『鈴』という漢字が2種類あると言うところでした。最近Windows Vistaになって、漢字表記がJISに準拠したと言うことで、それまでのシステムとの差がTVなどで話題になっていました。

そこで、漢和辞典なるものずいぶんと久しぶりに開いて、『鈴』という字を探そうとしたところ、一瞬、どうやって探すんだっけな、と立ち止まってしまいました。思い出しつつ、何とか探し当てましたが、その辞書は令の字が縦棒になっていました。

インターネットで調べてみると、BTRONの超漢字では令の字が縦棒と斜めチョンのまさに2種類有ることになっている。

Windowsの機械で登録作業が行われ、原本がそのデータベースだとすると、『鈴』の2種類を区別する方法はないように見える。となると、市役所(悪評高い住基ネット?)は超漢字のシステムを使っているのかも知れない。今まで気にしたことはなかったが、もしかすると戸籍関係のシステムは特別だったのかな。

なるほど、日本文化の象徴たる(名前の)漢字は、欧米の1byte文化のシステムでは包含しきれないのが当たり前か。
確かに、TRONの坂村健さんの意見は尤もだ。
中国はLinuxに走っているが、戸籍はどうするのだろう?

No.205
2007年06月18日 06:00
送信者:鈴木克己 < >
表題:人生いろいろ

6月10日(日曜)午後、立川高校同期会。
2年生のクラス毎の集合写真をもらってかえり、
今、一人ひとりを見ている。
なつかしい顔、顔。

No.1265(2004年2月22日)のY.S姫の言葉が思い出される。
「鈴木克己さんと黒川のNさんとまやちゃんは、2年の時同級だったのですね」
「黒川のNさん」は私から一人おいて左にいる。
Nさんの左隣にはTさん。
Tさんの家に真夜中おじゃまして天体望遠鏡を見せてもらったことがある。
月にウサギをさがしたが、ハッキリスギテ見えなかった。

No.198(2007年6月12日)の宇津木まやさんの後列、
右のI姫と左のT姫は、
私と同じ小平2中の卒業生だ。
I姫の後列右側には、
No.202(2007年6月15日)の「むかしおとめ姫」が言う、
青梅線のマドンナだったM姫。

さて、
宇津木まやさんは、最近ご主人ともども宇津木姓になられ、
近い将来、ご一家そろって青梅線の住人になるそうだ。

ところで、
2Aの写真。
ガメ姫はメガネだったのですね。
そして、
Kimie姫にもビックリ、
子供こどもしてカワユ〜イですね。
今と・・・・、

ヤメトコ。

No.204
2007年06月18日 05:58
送信者:鈴木克己 < >
表題:プログラムもいろいろ

人生いろいろ。
いつのころからだろうか、
年金を意識し始めたころ、
社会保険庁事務所の近くを通ったので、
何の準備もなく年金相談をしてみた。
混んでいなく、スグ対応してくれた。

コンピュータを前にした担当者に私(物理)は尋ねた。

物理:今、基礎年金番号を失念したのでどうしたら?
担当者:お名前は? よみかたと漢字でお願いします。
何も出てきませんね・・。
担当者:生年月日は? 
・・・・出てきませんね。
担当者:出てこないものに新たなキーワードで制限しても出てきませんね。
担当者:基礎年金番号が記載されている書類などを持参してくだい。

さて、
生年月日のところで私は解った。
生年月日が同じで、かつ同姓同名の人は多くないはずだ。
検索結果の対象数が多すぎて表示されないのでなく、
「誰でもがすぐ思い出せるキーワード」での検索機能が無いのだ。

もちろん、
基礎年金番号を入力すれば、名前、生年月日は出てくるはずだ。
基礎年金番号が記載されている通知が私(物理)に郵送されたので。

基礎年金番号以外の、
誰でもがすぐ思い出せるキーワードによる検索機能が無いとなると、
とても、数千万人のデータの正否を確認するのは何十年でも不可能だ。

新たな照合用プログラムの作成依頼を複数の会社にするそうである。
検索機能のない「年金データベース」プログラムを作成したような会社では無いだろう。

検索機能プログラムにはノウハウがある。
キーワードに多少の誤りを想定して検索することだ。

以前に経験した検索機能でびっくりしたこと。
市役所での漢字の登録。
担当者:鈴の令における最後画の線はまっすぐ下ですか?
 それとも斜めですか?
物理:え〜っ・・・鈴に二通りの漢字があるのですか!

さて、
2009年6月8日までに株券が一斉に電子化される。
「株券等に係わる決済の合理化を図るための社債等の振替に関する法律の一部を改正する法律」
西武グループの総帥がアワテタ一因だった。
タンス株主さんがそろそろ重い腰をあげるころだろう。
長期的に機能が確認されてきたシステムなのだろうから、
年金データベースの二の舞は無いだろう。

No.198
2007年06月12日 02:09
送信者:宇津木まや < >
表題:幹事の皆さん、ありがとう

幹事の皆さん、お疲れさま。
いろいろとありがとうございました。

ネームプレートに、三年間のクラスが印刷されている等、
細やかなご配慮、感謝です。おかげで、思い出の会話も
はずみました。

森安君の追悼号、二冊の「映画芸術」。薩川(植村)さん、嶋田さん、藤田君、村上君、米山君の、立高時代を語る座談会と、
立高の一学年上で荒井さんとおっしゃる脚本家の方の鼎談を読んで、泣きました。
森安君は、筝曲部でも、ご指導にこられたお琴の先生に
かわいがられました。
友信館の筝曲部の部室で、冗談かと思っていたら、神妙に琴爪をはめ、かしこまって先生から手ほどきを受けていました。

聖書研究部や囲碁部があった、床の抜けそうな友信館の廊下、
解剖のカエルが入っていたという闇鍋の噂、
懐かしく思い出されます。



No.195
2007年06月11日 20:25
送信者:バジル < >
表題:あふれる思い

昨日は楽しかった。ビールを飲み過ぎて今日はつらかったけれども、街を歩いているとつい昨日あった仲間の姿を探してしまいました。
古い仲間達にあうとどうしてこう勇気が湧いてくるのでしょう。会を設定して下さった幹事の皆様に心から感謝します。
井筒君の本は二冊ともすぐ読んでみましたが気品がありさすが我らが仲間だと感じさせてくれる内容でした。桜の雑学事典と懐かしい童謡の故郷をたずねる本でした。
立川高校の入学発表のあった日には雪が降って家に帰ってから心の底から湧いてくる喜びに思わず大きな雪だるまを作ったことを思いだしました。昨日はさんざんの雨降りでしたけれど、とても楽しい一日でした。おみやげの立高歌集、用意して頂いた高校二年生の時のクラス写真もとても良かったです。

No.187
2007年06月06日 21:49
送信者:momo <m >
表題:momo通信72 久々のお泊りドライブ

4日は33回目の結婚記念日、1泊で山梨方面に久々のお泊りドライブ行ってきました。
 いつもの道志みちからKimieさんオススメの芦川村のスズラン(今回は見ごろでした)、芦川沿いに下って夜叉神峠登山道入口(みいこchanが脚を痛めていたので峠までは行かず)、泊まりは折り返して桃の木温泉の宿へ。夕方から露天風呂三昧。
翌5日は、サクランボ狩りを楽しんでから身延山(ロープウエイで山頂まで往復)〜白糸の滝(滝に降りる道の土手沿いにユキノシタの群落)に寄って帰りました。

今度の日曜日は「還暦同期会」ですね、楽しみにしています。
皆様よろしくお願いします。

 ではまた

No.182
2007年06月04日 05:57
送信者:鈴木克己 < >
表題:まったく教えられていない

「蝉しぐれ」とは、
運命にしたがいながら、
精一杯に自己を生き抜いたさま。
藤沢周平の牧文四郎だった。

水島安彦・上等兵もそうだった。
『ビルマの竪琴』(竹山道雄、新潮文庫400円)

まだ若木のような、
けがれを知らぬ人たちが、
家を離れ、職場を去り、学窓を出て、
とおい異国にその骨をさらした。
考えれば考えるほど痛恨にたえない。

私(水島)は切に思った。
われらはこれまであまりに無思慮だった。
あまりに生きているということについての深い反省を忘れていた、と。

さて、
6月3日(日曜)、八王子を歩いた。
立川同窓会の小平支部会(小平紫芳会)による10人ほどで。

大義寺で出会った言葉:
法は人によって弘(ひろ)まり
人は法を待って昇る

私(水島)は思った。
何が出来るかという能力ばかりを重んじていないか。
人生に対してどこまで深い態度と反省をもって生きるかを、
私たちはまったく教えられていない。

さて、
八王子を歩きながら、
先日(5月26日)の有限責任中間法人・紫芳会社員総会が話題になった。
やはり減価償却費だった。

当期活動収支差額:
18年度、4,371千円の支出超過
19年度、6,640千円の支出超過

財務担当理事の先日の説明:
減価償却費は実際に出費したのでなく、
4,480千円は内部金融として残っているので、
19年度当期活動収支差額が6,640千円の支出超過といっても、
実際は2,160千円の支出超過だ。

同じく、
八王子を私(物理)と歩いている人のうちでも私に聞いた。
減価償却費は法人税申告上の数字にすぎなく、
支出として考えなくてもようのではないか?

私(物理)は言った。
設備を使って事業をしている場合、
その設備の減価償却費分の利益を出さずに、
新規設備に再投資することを怠れば、
数年にして事業を継続できなくなってしまう。

有限責任中間法人・紫芳会として、
海の家や山の家による在校生へのサービスを継続したければ、
減価償却費分を積立金としなければならない。

牧文四郎(18歳)も思ったではないか?
伝授される秘剣村雨は、
それは魂をささえ、
いつか来る災厄から母を守り、
家名を守るものになる。

法人・紫芳会の長は、
災厄から法人を守り、
法人・紫芳会という暖簾を守る責任がある。

日本国の長は、
伝授され積み立てられた文化や年金などにより、
日本人を守り、
すくなくとも、
日本人の人生を損なうことなく未来へ継続する責任がある。

No.181
2007年06月03日 23:20
送信者: < >
表題:


No.170
2007年05月28日 05:58
送信者:鈴木克己 < >
表題:蝉しぐれ

先週、
40年前の「友人Mの駆け落ち」を述べた。
私はMの駆け落ちの相手である娘さんの本郷の家にて、
彼女の家財道具を彼女もろともトラックで運びだした。

娘さんの手引きがあったとはいえ、
ぞ〜っとする助太刀だった。
もし、彼女の親が突然帰ってきたら・・・。

今週は、
ぞ〜っとしてしまった連れだしの、
『蝉しぐれ』(藤沢周平、文春文庫629円)。

なぜ、
『蝉しぐれ』に想念が飛んだのか。

5月20日(日曜)、
石川遼さん(15歳)が男子プロゴルフツアーで優勝。
高校1年生だ。

『蝉しぐれ』の書き出しが石川遼さんと同じ15歳の牧文四郎。

牧文四郎(15歳)は、にが笑いをした。
隣家の小柳の娘ふく(12歳)が、
今のようにそっけない態度をとるようになったのは、
いつごろからか。

文四郎(16歳)は父を見た。
父の首は縫い付けてあったが、
その介錯がまさに首の皮一枚を残す見事なものであった。
引き渡し役に文四郎は聞いた。
「父を介錯してくれたのは、どなたでしょうか」
「村上七郎右衛門どのだ」

文四郎(18歳)は思った。
伝授される秘剣村雨は、
それは魂をささえ、
いつか来る災厄から母を守り、
家名を守るものになるかもしれない。

牧文四郎(21歳)は5月のある夜、
本郷の細い路地、
いや、
金井村の欅(けやき)御殿に入った。

文四郎は、
お福とお福の生んだ藩主の男のあかちゃんを、
救い出しに来たのだった。

私(物理)の助太刀のようにスムーズではなかった。

村上七郎右衛門の打ち込みには疾風の勢いがあり、
剣先は鋭く文四郎の脇腹にのびて来た。
熱くきなくさい風に襲われたような感触。

文四郎と犬飼兵馬との距離は一瞬にして縮まった。
兵馬の剣がわずかに速かった。
兵馬はおそらく文四郎を切り伏せたと思ったにちがいない。
兵馬の口が笑い出すようにゆがんだ。
だが、つぎに兵馬は驚愕の眼をみひらいたまま、
がっくりと前にのめった。

文四郎の剣の技は、
本郷の細い路地での私のトラック運転技とは違っていた。

文四郎が兵馬の剣をかわしたのは、
秘剣村雨の一寸の間を見切る受け技。
見切りながら文四郎の剣は深々と兵馬の脇腹をはらっていた。

さて、
「蝉しぐれ」とは、
運命にしたがいながら、
精一杯に自己を生き抜くさま。

5月22日(火曜)、
陽明学の平岩外四さん(92歳)が亡くなった。

佐藤一斎(1772-1859)『言志晩録』:
少而学 則壮而有為
壮而学 則老而不衰
老而学 則死而不朽

外四一生は「蝉しぐれ」

No.169
2007年05月28日 05:57
送信者:鈴木克己 < >
表題:減価償却費

5月26日(土曜)、
都立・立川高校同窓会の
有限責任中間法人・紫芳会社員総会。
前年度事業計画決算と次年度予算の決議が主なものだった。

当期活動収支差額:
18年度、4,371千円
19年度、6,640千円

19年度事業支出37,472千円の内、
減価償却費4,480千円。
その対象物件は、
不動産として、夏の海の家と冬のスキーの家、
そして情報化推進関係費。

財務担当理事(元東京銀行に勤めていたとのこと)の説明:
減価償却費は実際に出費したのでなく、
4,480千円は内部金融として残っているので、
19年度当期活動収支差額が6,640千円といっても、
実際は2,160千円だ。

私(物理)は質問した。
財務担当理事の今の説明は誤りであり、
誤解を与える。

対象物件の耐用年数が減少するので、
その分(減価償却費分)だけ、
内部で積み立てて、
後年の新築費用に備えなければならい。
その積立金の項目を設けず、
「実際の収支差額は2,160千円」と言うのは詭弁である。

私に指摘にも関わらず、
財務担当理事は言葉の不適切性は認めたが、
内部金融としての意味は間違いないとして撤回しなかった。

そこで、私は思った。
海の家と山の家が使えなくなった時には、
それを理由に新たな寄付を募る腹づもりなのだろう。

年金は?

No.164
2007年05月21日 05:30
送信者:鈴木克己 < >
表題:1967年の同窓会

5月19日(土曜)、
1967年の大学時代のクラス同窓会。
駒場東大構内のフランス風レストランに26人が集まった。
ほぼ半分の参加であった。

1967(S42)年のできごとを列挙:
学校群制度開始(都立高校入試)。
サンデー毎日に山崎豊子の『白い巨塔』が連載中(1963−1968)で、
1968年東大医学部学生無期限ストと1969年安田講堂事件が続いた。
第3次中東戦争でイスラエルは領土を4倍に拡大(6月)。
EC欧州共同体発足(1993年のEUの元)。
ベトナム戦争(1960−1975)でのダナン基地攻防(7月)。
文化大革命(1965−1976)武漢事件(7月)にて中国内乱寸前。
建国記念日(2月11日)施行。
ミニスカートがブームに(ツイギーが10月来日)。

歌謡曲(1967年):
君こそわが命(水原弘)、
小指の想い出(伊東ゆかり)、
花はおそかった(美樹克彦)、
世界は二人のために(佐原直美)、
真っ赤な太陽(美空ひばりとブルー・コメッツ)、
帰って来たヨッパライ(ザ・フォーク・クルセイダース)。

さて、
同窓会でMさんがお孫さんの写真をもって私(物理)に近づいてきた。
駆け落ちのできばえ。

40年も前。
Mさんが一緒になりたい娘さんの家から、
彼女の家財道具を運び出すという。
さっそく、
初めてにして最後となる2トン・トラック運転を私はしたものだ。
普通免許で運転できるトラックは2トン車まで。

まるっきり運転感覚がセダンの自動車と違う。
トラックのハンドルは前輪の前にあり、
荷台は後輪のかなり後ろまである。
ということで、
戦災で焼け残った本郷の狭い路地の角々をコスリながら脱出した。

Mさんの共犯になった者は、
私の他に同じ1967年同窓会のKさんとYさんがいた。
現在、
主犯のMさんは某大学の工学部長、
荷物運びのKさんは某財団の理事長、
同じく荷物運びのYさんは某大学の副学長、

トラック運転で一番活躍した私は、
ご苦労さんということで今年(60歳)から家賃と年金の生活に入る予定。
インターネットで数学や物理の勉強を続けられたら幸せだ。
心したいのは、
ポアンカレや岡潔が言うように、
知識はあたりえまえ。
それより、
簡潔性、対称性、調和性に対する美的感受性を磨くこと。

さて、
娘さん(Mさんの現在の奥さん)の子が産まれてから、
ご両親と和解でき、
Mさん一家は例の本郷に住んでいる。
改築した本郷のその家に我々3人を招待してくれるとのことだった。

No.163
2007年05月21日 05:29
送信者:鈴木克己 < >
表題:暖簾代

5月17日(木曜)、
内閣府による国民経済計算(2005暦年末)が発表された。
家計(個人企業も含む)が保有する総資産から負債を差し引いた純資産は、
2005年末時点で2166兆円。
国全体(家計、企業、政府など)の純資産(国富)に占める家計の比率は82%。
国と地方自治体の負債800兆円は巨大だ。

さて、
家族(4人)あたりで8000万円の純資産。
相続税計算(3人で相続する場合):
基礎控除額= 5000 + 3人x1000 = 8000万円
ゆえに、
この場合相続税はかからない。

問題は相続人が子だけで、
しかも、
たっぷり純資産がある場合。

山崎豊子『女系家族』(1963年、昭和38年)
1963年課税価格=4億5千万円
2007年価格(割引現在価格)に換算してみる。

1963年から2007年までの金利、物価、リスク変動を考慮しなければならない。
物価については『女系家族』に出ている。

タクシー初乗:70円(現在600円)、
市電(阿部野−神ノ木):13円(現在200円)

物価変動(タクシー代と市電代のみで換算)は、
(600/70+200/13)/2 = 12
割引現在価格を上記の2物価だけで換算する。
2007年相当課税価格= 45000x12 = 54億円

金利とリスクを除いているので過小評価である。
それでも、
純資産54億円となると、
『女系家族』でなくとも相続は争族。

さて、
『女系家族』の資産には、
土地、家屋、貸家、預金、株券、骨董、山林などがあるが、
筆頭の最重要は暖簾営業権(打ち出の小槌)だった。

商店としての土地・建物・商品・約手・現金だけではない、
御客・取引先の信用と知名度、
製造・情報機器の量と質と活性度、
従業員を含めた組織の量と質と活性度、
従業員の退職金と年金などの量と質と活性度、
現商品と開発商品の将来リスク。

雪印や不二屋などでは企業の衛生意識レベルが低くかった。
米国の巨大企業のいくつかは退職従業員の年金支払いで破綻状態。

国レベルになるとどうか?
地面を掘れば石油やダイヤが出てくる国なら民主主義も自由もそれほど重要でないかもしれない。

でも、草莽たる国民に立脚するなら、
外交、安全、ネルギー、生活資源、情報交通、雇用、教育などの、
量と質そして活性度も加わる。

仏大統領のサルコジ政府の閣僚15人中、
7名が女性だそうだ。
(内永ゆか子さんの女性登用・NPOが目指すものの一つであろう)

さて、
日本国の暖簾営業権は?

No.161
2007年05月19日 21:48
送信者:あーもんど < >
表題:6月10日は同期会

私は第1回、1989年4月だったかの同期会に出て以来ずっと欠席していた。
10年位前まではひとりで歩けたが、その後転ぶようになって症状が表に出るようになったから。
思えば高校3年の冬、歩きにくさを感じて以来、今年で40年以上も病気を抱えてきたことになる。

長い間、病気を苦にしてきた。
今も苦労はしているけれど人前に出る勇気が持てるようになってきた。
結局、病気は私のひとつの生きる条件だと思っている。
ほかの同期生が生きてきた60年を私も同様に生きてきたのだと思う。
厳密に言うと私のは59年だけれど。

6月10日にお会いしましょう!


No.154
2007年05月14日 05:54
送信者:鈴木克己 < >
表題:こころ静かな日々

映画芸術419の立高同期の座談会からの抜粋。
Fさん:(高校時代に森安君、)映画は結構観ていたんだよ。
Mさん:高校時代のあいつは男のアイドルって感じだった。
M姫:立川高校にいた頃は森安君にとっての黄金時代だよね。
M姫:あの人の神通力が東京外語大では通用しなかった。
K姫:大学受験の頃は森安君も真面目な夢を持っていたよ。外交官。
Yさん:高校時代に音楽室へ音楽室に行って先生とダベッたりして、
 先生の方も職員会議をサボっちゃうくらいだから。
司会:先生と喫茶店へ行って、一緒に授業をサボってたって話は、
 僕も聞いたことがありますね。

私(物理)は思う。
もし人が森安さんを不幸というなら、
その原因は立川高校時代にあったのだろう。

おなじく、
他人から見て、私(物理)が不幸であるとしたら、
高校時代の数学の先生である土橋先生に、
高木貞治『数学概論』を紹介してもらったこと。

アイドルにならなかったし、
ましてや黄金時代もない私。

ただ、
こころ静かに窓の外の景色をながめながら、
数学と物理の世界に遊べている過去と現在の私。
私は幸せだ。

さて、
2年前の5月、
私とカミさんはEU会議場のある仏・ストラスブールにいた。
EU憲法の賛否の国民投票がフランスでなされている真っ最中だった。

この5月の先週、フランス大統領選挙の時、
私はカミさんとフランスの隣のベルギー・ブリュッセルに。
そこにはEU会議とEU理事会がある。

今年のフランス大統領選挙の結果は、
ブリュッセルの南東25キロにあるシャトー・ドュ・ラックのレストランにて聞いた。
10年ほど前に今上天皇陛下夫妻が宿泊された。

夕食では、ご主人が旧大蔵省であったKご夫妻がごいっしょ。
いきなり、Kさんに、
「財務省は国民の敵になってしまいました」
と言われたのには返事のしようがなかったが、
その後は、和やかな夕食であった。

フランスとEUはもちろん、
キューバ危機やケネディ暗殺事件の時におけるワシントンの雰囲気を話していただいた。
Kご夫妻はケネディ(43歳)氏が大統領に当選する選挙中から、
暗殺される(1963年11月22日)後までワシントン駐在であったとのこと。

さて、
サルコジ仏大統領(52歳)は安倍首相と同じ歳。
考え方も同じ方向のようだ。

5月12日の朝日新聞・時事英語に挑戦:
Nicolas Sarkozy is promising to trim fat from the public service.

No.151
2007年05月11日 23:03
送信者:momo <m >
表題:momo通信71「追悼特集 森安建雄がいた」

「映画芸術」(419) を入手した。48頁に亘って特集が組まれている。
はじめに今村昌平の文、次いで同期5人の部分、それから残りを頭から尻尾まで読んだ。
そこで語られているのは「人間・森安建雄」、たまたまその世界が映画だったという感じ。
「囲いの中の羊」の身としては、多くを語れないが、誌上で共通して語られていることの他に意外に森安の「心の内の好みははっきりしていて、狭かった」のではないか、とも思う。
立高時代、その後の同期会の場などで私に向けて時折見せる悲しそうな・何か自分には受け入れられないものを見るよう眼差し。
とはいえ、強烈な存在感の個性の持ち主でピュアなやつであった。
共通項がないわけでもない。「成長することはプラスの面ばかりではない、失うものもある」。失いたくなくて、成長を(大人になることを)拒否することもある。
 
ではまた

No.145
2007年05月04日 16:28
送信者:あーもんど < >
表題:「映画芸術」最新号(419)

先ほどは失礼しました。
表題だけ、あっという間に飛んでいってしまった。

ガメちゃんが教えてくれた、森安君の特集記事がある「映画芸術」最新号が本屋に並んでいます。
5人の同期生が語っている座談会も載っています。

森安君は彼自身が彼の作品だった、彼の最高の表現だったという思いを強くしました。

No.144
2007年05月04日 16:16
送信者:あーもんど < >
表題:映画芸術森安建雄がいた


No.142
2007年05月03日 05:53
送信者:鈴木克己 < >
表題:沈まぬ太陽

逆立ち その5

5月3日は、日本国憲法の日。
明治憲法は不磨の大典、持統天皇のも不改定典だった。
昭和憲法は沈まぬ太陽か?
成立の経緯を云々よりも、
公理の内容を考えよう。

さて、
山崎豊子『沈まぬ太陽』:
恩地元(はじめ)は思った。
組織の一員として、
「自分の信念」を客観的な判断に基づいて云うべきことを具申し、
正すべきところを正したことによって疎まれ、
これほどまでの懲罰人事が行われていいのであろうか・・・。
中近東からアフリカ駐在に10年以上、
アフリカ・ナイロビでは一人駐在であった。
そして、
再びナイロビにての一人駐在・・・。

さて、
小平にも『沈まぬ太陽』

4月30日(月曜)、
私(物理)は河口湖の久保田一竹(1917−2003)美術館に。
1961年、
一竹(44歳)は小平市に「絞り染め・辻が花」の工房を開く。
1977年、
一竹(60歳)は最初の個展を開催し盛況を博す。
辻が花という絞り染め技法は、
室町時代の中期から流行ったが、江戸初期に忽然と姿を消した。
絞られ、その上に墨による手描きが加えられ、刺繍が施され、金箔もしてある。
一竹は20歳の時にその「絞り染め・辻が花」に出会い、
60歳までかかり、昭和の代に再現し、創意工夫を重ねた一生。
「自分の信念」と「自分の生き方」、その節を通した一生。

私(物理)は思う。
恥じ入るばかり。
小平に生まれ育ち、60歳になろうとする今日まで、
小平の『沈みっぱなしの太陽』
でも、
これから、元と一竹に少しでも近づきたい。

No.138
2007年04月23日 06:31
送信者:鈴木克己 < >
表題:物質の無い宇宙は存在しない

4月20日(金曜)夕方、東京大学理学部公開講演会。
東京大学駒場キャンパス、数理科学研究棟大講義室。
300人程度入る階段講義室は超満員だった。

江口徹さん「アインシュタインの夢と超弦理論」
程久美子さん「生命の神秘にせまるRNA」
山内薫さん「光の場の中の分子」


「アインシュタインの夢と超弦理論」の講演は、
盛りだくさん過ぎて物足りなかった。

100年前のアインシュタインの、
特殊相対性理論、光電効果、ブラウン運動にはじまり、
素粒子論の超弦理論まで、
その登場する「固有名詞」を説明するだけで時間が終わっていた。

その中で、
私(物理)は「暗黒エネルギー」に注目して聞いた。

江口さんは言う。
見えない、測定されていない「暗黒エネルギー」が、
宇宙の約76%を占めている。

その76%という値は、
アインシュタイ運動方程式
G(i,j)+g(i,j)*Λ=κ*T(i,j)
G(i,j)=R(i,j)-g(i,j)*R/2
において、
宇宙定数のΛがゼロでないと、
物質T(i,j)がゼロ(物質が無い)でも、
ミンコフスキー空間、R(i,j)=0、にならないことに由来する。

私(物理)はいいたい。
物理は神学ではない。

「測定されていない『暗黒エネルギー』が、
宇宙の約76%を占めている」

という言葉は一般聴衆のいるところで述べるなら、
煽動することなく、もっと慎重な言葉で述べるべきだ。
今、日本経済新聞の『私の履歴書』にて、
鈴木敏文さんは、
『自己の目的』、『自己の信念』を述べている。
小売業界の巨塔といえる人だ。
でも、
彼は慎重に言葉を選んでいる。
「単品管理は本当に難しい、
今も全ての店で徹底できているわけではない。
永遠の課題である」

そうだ、その通りだ。
数学の「存在」とは矛盾がないこと。
しかし、
物理学の「存在」はそれに加え、
計測された客観性が必要。

そもそも、
局所的にミンコフスキー空間、R(i,j)=0、は存在していい。
しかし、
全宇宙にて、
ミンコフスキー空間、R(i,j)=0、は成立しない。

全宇宙にて物質(核子、電子)が存在しない宇宙とは何か?
と私(物理)は言いたい。

全宇宙にて物質(核子、電子)が存在しない宇宙は存在しない。

癌細胞の増殖の類似でいうなら、
核子の数だけ時空間が形成されたのが、
宇宙のインフレーションでなかったのか?

No.137
2007年04月23日 06:25
送信者:鈴木克己 < >
表題:決断、診断、判決

管理人さんへ:
デンシメールによる同期会の参加呼びかけにたいし、
60ほどが回答とのこと。
この数字、我々の年齢じゃないですか。
ああ、思い出したくない。

さて、
逆立ち その4

山崎豊子「白い巨塔」:
胃噴門部後壁にある「拇指頭大」の癌が主病巣。
その癌細胞は胃粘膜を破り漿膜下に達している進行癌。
すでに血管侵襲があり、
左肺下葉に「小指頭大」の血行性癌転移巣。
その周辺に「粟粒大」の癌転移巣群があった。
ひとつの癌細胞の大きさは10ミクロンから50ミクロン。
ほぼ10のマイナス5乗メートルの大きさ。

肉眼で見える癌腫瘤は大きさによって呼び名がある。
胡麻粒大、粟粒(ぞくりゅう)大、小指頭大、拇指頭大、
胡桃(くるみ)大、鳩卵大、鶏卵大。

癌腫瘤は大きくても粘膜内に止まっている早期癌なら、
その部分を含んで外科的に除去すれば完治する。
しかし、
小指頭大の腫瘤でも粘膜を破った進行癌になると、
血液またはリンパ液の流れにのって、
目にみえない小さな癌細胞が転移拡散し、
外科的完治は困難になる。

私(物理)は思う。
癌は正常細胞が何らかの転機をもって癌細胞になり、
周囲の正常細胞からエネルギーを奪い、
癌空間を増殖する世界、
開かれた世界。
そして、
癌細胞が無い癌空間は無い。

さて、
財前五郎は弁護士の国平にうなずき証言した。
「われわれ医師は、診断を決定するその時ほど孤独で、
生命への畏れを感じる時はありません」

強靱な精神と逞(たくま)しい体をもった財前五郎は、
女子医大中退のインテリ・ホステス・花森ケイ子に言った。
「全力を振り搾って、医学的にも道義的にも、
『一分の歪みも矛盾もない論理』の運びを組み立てて、
見事に勝訴してみせる」

私(物理)も言いたい。
たしかに、
日々止まることのない世界において、
政治決断、医療診断、司法判決は待ったなし。

『白い巨塔』の全て登場人物、
財前五郎や里見脩二を含めた全ての登場人物は上昇志向の権化。
外からエネルギーを取り込みつづける、開かれた世界の権化。
逃げない。

それぞれの登場人物は、
『自己の目的』、『自己の信念』という公理、
その公理に従い、
開かれた世界にいながら、
『一分の歪みも矛盾もない論理』を求めていた。

No.136
2007年04月17日 01:31
送信者:管理人です < >
表題:同期会のお知らせ状況

昨日、往復葉書によるお知らせを発送いたしました。
メールでの発信は3月28日。
170名ほど発信しましたが、そのうち届いたらしいのは154通。
メールアドレスが複数ある方には、両方に出したので、単位が変ですが。
回答数は、今現在63名になりました。
前回の同期会のときは120通くらい発信し、やはり60名弱の方から回答をいただきました。

3年半経っておりますが、この数字、なかなかおもしろいですね。

No.135
2007年04月16日 18:22
送信者:マロン < >
表題:新丸ビル

先日、新丸ビルの見学会があり、オフィスエリアはこれからセキュリティがかかって入ることができないとのことで、行ってきました。
当日はまだ工事中でしたが、見学会希望が多数とのことで、三菱地所、地所設計の方々が総出で対応され、我々の後にも一時間ピッチくらいで見学会が催されていました。
さて、上部からの眺望は、東京駅を眼下におさめ、東京湾から富士山まで見通せる、素晴らしいものでした。
なんとかと風船は高いところが好き、の何とかの一人として景色だけは堪能してきました。
建築については詳しい方も多いので省きますが、東京駅の周辺の再開発と高層化はスカイラインを変えてしまい、昔の百尺制限でそろった高さのスカイラインを懐かしく思うのは年をとった証拠でしょうか?

東京駅丸の内口も現在の2階建てから戦前のの3階建てに戻す工事がまもなく始まります。
それはそれで懐古的で良いのですが、その分の余った空中権を他のビルの容積率に移転して高さを稼ぐとか売るとか言っているのはお手盛りというか、法律をなし崩しに自分に有利に解釈するという寂しい小役人根性のような気がしませんか?
マロン@糸の切れた風船

No.134
2007年04月16日 06:12
送信者:鈴木克己 < >
表題:閉じた自然に無限は存在しない

『その次ぎ』が存在するという自然数。
ゲーデルは『その次ぎ』が存在する再帰的関数を用い、

理論体系を閉じたままで、
公理化(原理化、教義化)できないことを証明した。

さて、
アインシュタイン運動方程式の再検討。

私(物理)はいいたい。
アインシュタイン運動方程式が記述する宇宙。

その宇宙が閉じているなら、
「閉じた宇宙に無限は存在しない」

そして、
A:宇宙の大きさ、
B:宇宙に存在する粒子(核子)数、
C:電磁力と重力の大きさの比、
そのA、B、Cの3つの起源は一つ。

これまでに、
BとCの起源が同じことは、
K.ウーレンベックのゲージ論幾何学に従って導いた。
電磁力と重力の比からなる第2チャーン数の値。
すなわち、
宇宙に存在する核子(陽子や中性子)の数。

階数2の正則ベクトル・バンドル(電磁力と重力)では、
時空間(粒子)が一つづつ、
捩れ(ねじれ)ながら、ちぎれるかのように、
コピーされ毎に、
第2チャーン数が一つづつ減少する。

さて、
今回は、
「A、B、Cの3つの起源は一つ」を述べたい。
まず、
議論の出発点として寸法(長さ)を明確にしたい。
重力に量子論が関与する大きさはプランクの寸法領域。
髪の毛の太さはほぼ、
0.1ミリメートル。
その10のマイナス31乗倍がプランク寸法。
この寸法世界では、
光でさえブラックホールになる。

『暗黒エネルギー』にて、
アインシュタイン運動方程式が記述する宇宙の寸法は、
宇宙の大きさ(現在、140億光年)。
140億光年=10の26乗メートル。

運動方程式が微分方程式だからといって、
プランクの寸法まで小さな寸法を対象にしていない。
せいぜい粒子のド・ブロイ波長寸法まで。

バックグランドとして宇宙は全体も、局所的にも、
電気的に中性なので、粒子は電子と陽子の対としてよい。
電子と陽子の静止質量、
その相乗平均のド・ブロイ波長は、
10のマイナス13乗メートル。

この値を宇宙の最小寸法とすると、
現在の宇宙の140億光年にいくつ入るか?
電磁力と重力の大きさ比、
10の39乗。

これで、
「A、B、Cの3つの起源は一つ」になった。

宇宙のトポロジー的姿は、
局所的に2次元にみえる、
閉じた球の表面全体にびっしりと、
10の78乗個の空間(核子)が並んだ胚細胞。

ゆえに、
宇宙が閉じているなら、
「閉じた宇宙に無限は存在しない」

さて、
この姿が現在の宇宙の姿になるには、
G.ペレルマンの統計力学的幾何学が必要になる。
次週以降に述べたい。

No.133
2007年04月16日 06:11
送信者:鈴木克己 < >
表題:ジッツ

逆立ち その3

真実と現実はおなじか?
空海やベルクソンの立場では、
(現=顕)≠(真=密)
であった。

では、
「実」とはなにか?
「ジッツ」という言葉がある。

山崎豊子『白い巨塔』:
「保険なら風邪ひきでも胃腸の薬まで調剤して、
保険点数をあげようという患者と医者があるなら、
ほんとうの保険診療を必要するほかの患者にとって、
実に気の毒なことだ!」
怒りを帯びた声が、里見の耳をうった。
清貧を甘んじ、節を守る兄らしい言葉であった。
そして、
そこに兄の不幸も、倖せ(しあわせ)もあると思った。

私(物理)は思う。
公理(保険制度)が想定外とする共存。
不幸と倖せ(しあわせ)の共存。

その共存をあらしめる原動力が、
『白い巨塔』のキーワード、
「ジッツ」

尾身財務相は3月9日午前の閣議後の記者会見で、
渡辺行政改革相がまとめた官僚の天下り規制案について、
「現実に合わない。公務員制度の根幹が崩れてしまう。
(省庁による)あっせんを全部ダメということは、
『国家衰運の原因』になり、賛成できない」
と強く反対する考えを示した。

また、参議院の有力者は、
「『優秀な人』が公務員にならなくなる」
と強く反対する考えを示した。

さて、
ゲーデルの定理を「心の起源」として述べた。
人類文明は発展する。
なぜなら、
人の心には、
無限集合である自然数の全体を思いつく働きがあるので、
理論体系を閉じたままで、
公理化(原理化、教義化)できない。
すなわち、
公理(原理、教義)から推論できないものが存在する。

生命も、自然の法則(熱力学の法則)に逆らって誕生した。
では、
逆らいえた法則は何?
それは、閉じていない「開いた世界の法則」

「閉じた世界の法則にしたがう自然」
「開いた世界の法則にしたがう生命」

正負の電荷が存在する「閉じた世界」に、
地熱や太陽光熱という、
外からのエネルギーが入り込む「開いた世界」が生命。

『国家隆盛の原因』となるらしい「ジッツ」
『優秀な人』を集めるらしい「ジッツ」

No.132
2007年04月09日 05:43
送信者:鈴木克己 < >
表題:新しい公理

逆立ち その2

自然が逆立ちして「心」が誕生。
すなわち、
人が自然界の中に出現した。
その人が自然を語るとき、
人には細心の用心が必須。

数学の「存在」とは矛盾がないこと。
しかし、
物理学の「存在」はそれに加え、
計測された客観性が必要。

さて、
物理学において、
計測されていない暗黒エネルギーが予想された理由は、
計測される物理量だけでは、
アインシュタイン運動方程式に矛盾が生じるからであった。

私(物理)はいいたい。
アインシュタイン運動方程式を再検討すべきだ。

かつて、
水星の近日点移動量に関するニュートン運動方程式の矛盾解決には、
暗黒惑星の提案とその観測に大金が投資されたかもしれないが、
アインシュタイン運動方程式によって解決された。
すなわち、
新しい事態に、
新しい公理(原理、教義)をもって対応した。

さて、
アインシュタイン運動方程式を、
K.ウーレンベックのゲージ論幾何学と、
G.ペレルマンの統計力学的幾何学にしたがい、
無謀にも「さわり」を
再検討してみたい。

No.131
2007年04月09日 05:41
送信者:鈴木克己 < >
表題:心は逆立ちした自然

逆立ち その1

ヘーゲル(1770-1831)の言葉を借りれば、
現代は「世界が逆立ちした時代」

人間の頭脳が言語・概念(シンボル)として見いだす過程(理性)が、
法則の基礎になった時代。
この基礎に矛盾することは、
事実でなく、
真でも正でもないという時代が現代。

人間が頭で現実を作り始めたので、
ヘーゲルは「逆立ち(さかだち)」と言った。

ラテン語の ratio(ラティオ、理性)という言葉には、
「理性」の他に「計算する」という意味もある。
「計算」の特徴はその過程とその結果に再現性があること。

私(物理)はウエーバー流にいいたい。
だから、
民主主義、
初対面はむろん、互いに会ったことのないもの同士で維持形成する、
民主主義には「理性の優先」が必要不可欠。

では、
理性優先の民主主義の時代に、
空海やベルクソンがいう、
(蜜)=(真)に近づくために人はどうしているか?

理性的言葉(誰でも理解できる方法)、
その多くの言葉になかに、
百年に一度でも、
ゲーデルのような「本物の個性」を発見するのが、
エラン・ヴィタール(生の躍動)、
すなわち、
心の働き。

個性を本物だと、
シビレ感得するのは、
宮殿にいる王様も、ガード下で肩を細める私も、
誰もがもっている「心の働き」

さて、
自然界にて、
熱力学の法則に逆らって物から生物が誕生した。

動物界にて、
神経反応の法則に逆らって、
「火からの退避」と「火への接近」という行動矛盾が、
(それは神への怖れと敬いと同じ)
エラン・ヴィタール(生の躍動)、
すなわち、
心が誕生した。

多くの人は矛盾を避けるため、
見たい現実しか見ようとしない。
しかし、
人は矛盾した言葉に出会ってしまうと、
はっとして心底から納得する心をもっている。

毛沢東(矛盾論):
一切事物中包含的、
矛盾方面的相互依頼和相互闘争、
決定一切事物的生命、
推動一切事物的発展。

道元(正法眼蔵):
迷いを転じて大悟するのが諸仏であり、
悟りに執して迷いに迷うのが衆生(しゅじょう)である。

イエス(山上の垂訓):
心貧しき者は幸いである。

だから、
私(物理)はヘーゲル流にいいたい。
心は逆立した自然ゆえに無限を好む。

No.130
2007年04月04日 08:54
送信者:マロン < >
表題:夜桜満開

4月2日月曜日、千鳥が渕の夜桜見物に行きました。2日は雨も降らず、寒くもなく快適な花見でした。千鳥が渕の遊歩道はブルーシート禁止で歩くだけ、一方通行でしたので、それほど人出も気にならず、見上げればライトアップされた桜が空に満開で、幻想的な雰囲気で、十分楽しめました。道路をはさんで反対側の靖国神社はこれまた一面宴会場と化し、屋台が何台も出ていてこれはこれで花より団子・酒的愉しみ方もあり、いろいろでした。
マロン@どちらかといえば花より団子派

No.129
2007年04月02日 05:49
送信者:鈴木克己 < >
表題:創造的進化、心の起源

A:地球温暖化の
「不都合な真実」

ジュリアス・シーザーの
B:「多くの人は見たい現実しか見ようとしない」

有名な上の言葉は意味や論理からして、
A=B

なぜなら、
否定を”〜”という記号を用いると、
〜(不都合な真実)=(見たい現実)
(好都合な真実)=(見たい現実)

もし、
(好都合)=(見たい)
(真実)=(現実)
が成り立つなら。

さて本当に、(現)=(真)
なのだろうか?

空海は(顕)=(現)、(密)=(真)
として捉えていたので、
(現)≠(真)

ベルクソン、カッシーラー、メルロ=ポンティは、
事象が知性によって整理される以前の、
すなわち、
本能と知性が分化する以前の、
記号形成を媒介過程以前の、
エラン・ヴィタール(生の躍動)を重視したので、
空海と同じ立場だ。

さて、
宇宙の暗黒物質と暗黒エネルギーについて。

暗黒物質は、
観測されない「物質」が重力(引力)源として考案された。
銀河のおける観測される「星の回転運動」が、
アインシュタインの運動方程式からズレテいるという主張が根拠。
(銀河団における銀河の回転もズレテいるといわれる)

暗黒エネルギーは、
観測されない「エネルギー」が反重力(排力)源として考案された。
宇宙の膨張における観測される「銀河の膨張速度」が、
アインシュタインの運動方程式からズレテいるという主張が根拠。

湯川秀樹さんが言った。
物理的な量は像と無関係に定めなければならない。
自然法則とは、実験操作によって定義され得る量の間の
関数的関係を規定する。

この考え方に従って、
宇宙の暗黒物質と暗黒エネルギーという、
見えない(暗黒の)物質とエネルギーが考案された。
(中間子の発見との類似発想)

さて、
ポアンカレ(1854−1912)は言った。
形式論理の法則は、
単に全ての可能な分類の性質を表わすものにすぎない。
しかし、
その法則を応用できる条件は、
推論の途中において変形を加える必要のないことを要する。

と見なしてはならない。
カントルの徒(数学的論理派)は無限を実在としたために、
矛盾という困難に陥った。

でも、
私(物理)はいいたい。
(生の躍動)=(創造的進化)=(心)

3月12日に、
ゲーデルの定理を「心の起源」として述べた。
人類文明は発展する。
なぜなら、
人の心には、
無限集合である自然数の全体を思いつく働きがあるので、
理論体系を閉じたままで、
公理化(原理化、教義化)できない。
すなわち、
公理(原理、教義)から推論できないものが存在する。

No.128
2007年03月26日 11:48
送信者:川合浩一 < >
表題:須田さん。

西川さん、須田さんの情報有難う。
ところで、3Gって私ですね。記憶が途切れています。
そんな重要な(歴史的な)場面に同期が登場しているとは。
でも、うれしい限りです。

次回の6カ国協議はニュースをじっくり見させてもらいます。

No.127
2007年03月26日 05:39
送信者:鈴木克己 < >
表題:華(はな)のあたりのあすならふ

3月25日(日曜)午後9時半フジテレビ。
ゴールドメダリスト・安藤美姫さん、
”I believe”の曲にのりフィギュアスケート。
午後7時からつづいたエキシビションのファイナーレだった。
さて、
渡辺心・木戸章之組による彼らのファイナル・アイスダンスもあった。
章之さんは大学時代の友人の息子さん。
楽しそう。
でも、
競技終了後の章之さんの双眸には涙なみだだった。
ご両親はもっともっと、涙なみだの涙であったろう。
章之さんの感想は、
「感無量」です。

3月25日(日曜)のNHK早朝ラジオ。
アナウンサー・加賀美幸子さんのご挨拶があった。
この時期、
職場での異動が多いこと、私(物理)はあらためて思った。
幸子さんの感想は芭蕉句:

さまざまの事おもひ出す桜かな

私(物理)も彼女に芭蕉の同年作句を:
(元禄元年1688、芭蕉45歳)

さびしさや華(はな)のあたりのあすならふ

さて、
西川さん、同期生情報ありがとうございます。
旧3Gの須田明夫さん、
立高時代を含めよく覚えていますよ。
内戦のセイロンあたりで大使をしているではと思っていました。
現在、外務省・特命全権大使
(国際テロ対策担当、北朝鮮核問題(廃棄・検証)担当)。
大変な時期に大役を担当している。

拉致問題と極東の非核化、
安倍内閣は譲れない。
そして、
防衛省の担当者が現われる前に解決できるのだろうか?

2007年2月13日の「北方領土」で私(物理)はいった。
外交は相手があるが、
それこそ神ならぬ人との交渉。

ニュースから眼がはない。

さて、
ゲーデルの「不完全性定理」にて、
私(物理)が演歌と数学を同一視したように、
一言・一行づつを味わって、
シビレテみたいという問い合わせがあった。

岩波文庫 青994−1、700円(+税)
31〜39頁の45個の再帰的関数・同値定義に、
シビレルはずだ。

ゲーデルの不完全性定理(1930年)の特徴は、
ホワイトヘッドとラッセルの
型変数と集合論的論理からなる、
Principia Mathematica(1910年)を
自然数の中に写像(ヴィトゲンシュタインの写像)しきって、
形式化を完成させたこと。

さて、
形式化に関する当時(ゲーデル以前)の哲学にも興味がある人に。
カッシーラーの『シンボル形式の哲学』
第三巻「認識の現象学」(1929年)
岩波文庫 青673−3、900円(+税)
岩波文庫 青673−4、700円(+税)

カッシーラー(1874−1945)はいう。
現実に観測されうる事実と、理論的な事実とのあいだ、
つまり、
物理学者が観察を言表する公式とのあいだには、
つねにある乖離がある。
なぜなら、
それ自体で純粋に抽象的な意味をもち、
特定のシンボル記号の利用による以外、
そもそも定式化もされえないような思考判断が介在しているから。

さて、
最近の考え方。
湯川秀樹『目に見えないもの』
「物質の構造」(昭和17年)
講談社学術文庫94,660円(+税)

湯川さん(1907−1981)はいう。
物理的な量は像と無関係に定めなければならない。
自然法則とは、実験操作によって定義され得る量の間の
関数的関係を規定する。

No.126
2007年03月23日 15:42
送信者:西川和人。 < >
表題:同期生情報です。

最近、ある立高18期生がテレビ画面に登場しているのにお気づきでしょうか?
旧3Gの須田明夫さんです。名簿では、鈴木克己さんの次となっていますので、鈴木さんは良くご存知だと思います。
現在、外務省・特命全権大使(国際テロ対策担当、北朝鮮核問題(廃棄・検証)担当)ということで、北朝鮮の核問題に関する6カ国協議の報道に際し、会議の席で、例の、佐々江アジア大洋州局長のすぐ隣に座っている姿が映ることがあります、額のやや広い中国大人風の人物が須田氏その人です。
会議では直接の担当として、煮ても焼いても食えない北朝鮮相手に、当然ご発言もなさりご苦労されているはずですが、テレビ・インタビューの対象はもっぱら佐々江局長なので、画面で肉声を聞くことはなかなか出来ません。
いずれにせよ、現役で活躍している同期生ということで、お気づきで無かった方のためにご紹介します。
協議再開後のテレビのニュース画面にご注目下さい。


No.125
2007年03月12日 06:17
送信者:鈴木克己 < >
表題:雪すだれ

3月10日(土曜)午後7時半、
NHKのど自慢チャンピオン大会実況中継。

学生服の清水博正さん(16歳)が歌いだした。
私は感じた。
もう一度聞いてみたい。
地の声が泣かせるくらいにいいし、
その声と声をつなぐ間も、また何ともいい。

♪♪
・・・・
畳ひと間の あの暮らし
酒よ俺にも いいこと〜〜が〜
ひとつふたつは あったけど
肩を細める ガード下
春はいつ来る 雪すだれ
♪♪

と、聞き終わった時、
誰もが確信したはずだ。
彼はファイナーレで今ひとたび、歌う。

そのファイナーレでは、
ゲストの前川清や氷川きよしも、
「本物の個性」に
身のひきしまるおもいだったろう。

さて、
演歌と数学を同一に論じてみたい。
1930年、
ゲーデル(24歳)が数学界に出現した時も、
誰もが確信した。
数学における「本物の個性」を。

たとえ、
ゲーデルが発表する以前の1924年に、
偉大な数学者ヒルベルト教授(1862−1943)のもとで、
学生アッカーマン(1896−1962)が証明した、
皆に周知の「ゲーデルと反対の結論の論文」があったとしてもである。

なぜなら、
ゲーデルが具体的に示した簡潔な一行づつ、
その一行づつの意味と証明手続きが、
全ての数学者に新しい道を拓いたから。

さて、
先週、私(物理)は言った。

矛盾は物事に含まれているのでは無く、
むしろ、
心の働きに含まれている。
それゆえ、
人類文明は発展すると。

今週は、
その「人類文明は発展する」を、
数学的に丁寧に述べてみたい。

閉じた完全な理論体系を作れる。
しかし、
人の心には、
無限集合である自然数の全体を思いつく働きがあるので、
その理論体系を閉じたままで、
公理化(原理化、教義化)できない。
すなわち、
公理(原理、教義)から推論できないものが存在する。

「自然数の全体を思いつく働き」の例を示そう。
2002年4月6日の「実存」にて、
そして、
2002年2月20日の「無限」にて私は述べた。

社会・政治は個々の動機を対象にする。
個々の動機からなる集団を全体と見なし、
個々の総和とは異なる無限集団としての動機を、
見つけ出そうとすると全体主義に豹変する。
「全体は部分の総和と異なり、全体が部分の意味と性格を規定する」
という全体主義である。

たとえば、
安倍首相が国民に方針を示す場合も、
「国家意思」が国民に示すのではない。

総理大臣・「安倍晋三の不動心」が、
一人ひとりの国民に彼の方針を示しているはずである。

♪♪
春はすぐ来る 雪すだれ

No.124
2007年03月05日 06:12
送信者:鈴木克己 < >
表題:一切心中包含的矛盾 推動一切文明的発展

以前の2007年1月22日にて述べた。
画家アルフォンス・ミュシャ(46歳)は、
1906年にプラハで結婚し、
後に人生で最も美しい日々と、
ミュシャ自身が述べた時期に描いた作品、
山上の垂訓
「心貧しき者は幸いである」
を描いた。

さて、
ミュシャの祖国はモラヴィア。
ミュシャの作品
「心貧しき者は幸いである」は、
モラヴィアのブルノ市にある、
チェコ国立モラヴィア・ギャラリーに展示されている。

その1906年に、
しかも、
そのブルノ市に生まれた数学者が、
「不完全性定理」を発見した、
クルト・ゲーデル(1906−1978)。

以前の2006年12月25日に、
私はウィーンについて述べた。
そのウィーンに滞在する前に、
私はチェコ・ボヘミアの首都プラハから、
ゲーデルの生まれたモラヴィアのブルノ、
そして、
スロヴァキアの首都プラチスラヴァ、
そして、
ハンガリーの首都プタペストにと、
列車で訪れた。

1930年、ゲーデルは発見した。
自然数のもつ性質を、
すなわち、
「こころ」の性質の一部を、
前提にした論理公理系・推論規則系は、
矛盾という二律背反を共存させうる。

さて、
ジョン・フォン・ノイマン(1903−1957)は、
ハンガリーの首都ブタペストにて生まれた。
彼は、ゲーデルの遂行した
自然数の素因数による記号論理・計算規則を、
有限数値内の二進法コンピュータ論理・計算規則に適用し、
コンピュータの父と呼ばれるようになった。

さて、
1937年、毛沢東は言った。
一切事物中包含的、
矛盾方面的相互依頼和相互闘争、
決定一切事物的生命、
推動一切事物的発展。

すべての事物に含まれている、
矛盾する側面同士の相互依存と相互闘争が、
すべての事物の生命を決定し、
すべての事物の発展を促進する。

私(物理)も言いたい。
心の真価は、
矛盾という二律背反を共存させうる。
それゆえ、
私は毛沢東の唯物史観とはことなる。

矛盾は物事に含まれているのでは無く、
むしろ、
心の働きに含まれている。
それゆえ、
人類文明は発展する。

No.123
2007年03月01日 17:58
送信者:マロン < >
表題:冬の高山,白川郷に行ってきました。

先日、高山で仕事があり,仕事の合間に市内に保存されている古い町並みを堪能してきました。
名古屋までは新幹線のぞみで1時間40分位なのに,名古屋から高山までは2時間20分くらいかかります。
今年の高山は(全国的にだけど)雪がなく、毎日暖かいそうです。
早足で観光しましたが、平日だし,人影もまばらで,(町並み)保存エリアでは人力車が人ではなく、お茶をひいていました。
陣屋に泊まって,次の日,時間を取って世界遺産の白川郷までバスで往復しました。
約二時間半で到着します。
白川郷ではぼた雪に降られましたが,やはり積雪量は少ないようで,伝統的な合掌造りが雪の中にたたずむ姿を思い浮かべていたので少し拍子抜けでした。このBBSに写真が貼り付けられると皆様にその様子を紹介できるのですが・・・。
今年は,出張を利用していろんなところに行けたらいいなあ!

No.121
2007年02月26日 05:31
送信者:鈴木克己 < >
表題:物、命、心

釈迦:
与えられたままの命が最も尊い。

周五郎:
人の真価は「これからどう生きるか」

東木(イーストウッド):
学ぶのをやめたら人生は終わりだ。

釈迦→周五郎→東木
命→人→人生

宗教や儒教は釈迦の言葉よりも東木の言葉を採るようになった。
宗教:修行・難行する僧は宝
朱喜:少年易老学難成一寸光陰不可軽

命ある生物が「こころ」をもち、
人となり、
学んでも学んでも、
必ずしも幸せにならない場合がある。

何故か?
私は2007年1月29日に「風林火山」を述べた。
コンピュータは矛盾を共存させることはできない。
生命が人になるためには「矛盾を共存させる『こころ』」があること。

最も簡単な例でいうと人は物を数える。
宇宙に存在する物の数は、
電磁力と重力の2次チャーン数の比で決まる
10の78乗個(256ビットのアドレス)が最大であるにもかかわらず、
0,1,2,3,・,・・・
と、
どこまでも次ぎがある自然数を許容できるのが人。
たった二つの概念、
空と集という二つの概念で、
無限集合である自然数を発生可能である「こころ」をもっている。
人のもつ「こころ」のなせる技(業)である。
コンピュータでは不可能である。

0=空
1=集(0)
2=集(0,1)=集(0,集(0))
3=集(0、2)=集(0,集(0,集(0)))
・・・・・・

さて、
1930年、
ゲーデル(24歳)は不完全性定理を発見した。
私(物理)の言葉でいうなら、
ゲーデルが発見したのは人の「こころ」の真価。
すなわち、
「矛盾を共存させることができる」

ゲーデルは、
否定”〜”などを自然数に対応させ、
ひとつ一つの論理式xを自然数の列に対応させ、
さらに、
メタ論理式M(x)までも、
すなわち、
「xは証明可能な論理式である」というメタ論理式までも、
自然数の列に対応させることに成功した。

そして、
ゲーデルの発見とは、
x=〜M(x)
となる、自然数の列xを発見したことだった。

ゲーデルが前提にしたのは、
自然数のもつ性質、
「どんな数にも次ぎの数がある」
だけだった。

自然数のもつ性質、
「こころ」の性質、
を前提にすると、
矛盾を避けることができない。

釈迦はいった。
天上天下唯我独尊:
天上と天下という自然から唯(与えられたままの)我(生命)、
それが独(最も)尊い。

イエスも山上の垂訓でいった。
心貧しき者は幸いである。

私(物理)もいいたい。
肩こりや腰が痛い場合は、
時々、猿にもどるとスグになおる。
ブラサガルのである。

No.118
2007年02月19日 06:22
送信者:鈴木克己 < >
表題:学者と教育者、文化とその伝達

杉さん。
いそがないでください。

まず、
人から本音を聞くためには、
このサロオンで、
本人が10回ぐらい、本音らしきことを、
述べつづけないと、難しいのではないのだろうか?

それに、
あまり、生々しい、個人的なことをここで述べると、
聞いている人が迷惑になる場合もあります。

でも、
私のが評論といわれてしまうのは、
私の表現力とハズカシガリヤのせいなのでしょう。

さて、
釈迦が言った。
自然から与えられたままの命、
それがなによりも尊い。

山本周五郎が言った。
人間の真価は、
「どう生きてきたか」ではなく、
「これからどう生きるか」

76歳のイーストウッドが言った。
「学ぶのをやめたら人生は終わりだ」

学ぶ対象(内容)を文化とよぶ。
「文化そのもの」と「文化の伝達」と分けてみる。

文化そのものを考え、
過去と現在の文化を明らかにし、
新たに文化を加える人は学者。

岡潔:
学者が本当にほしいのは経済的な優遇ではなくて「心の自由」であり、
経済的な条件が気になるようならそれだけ気も散るし、
「心の自由」もそこなわれるわけだ。

文化を伝達する人は教育者。
親族が子へ。
地域が・・・へ。
学校や会社が・・・へ。
・・・・。

私は思う。
教育者が社会にたいして、
そして教育者自身にたいして、
本当にほしいのは社会的寛容性という品性。

品性の真贋が試みられる時とは、
例えば、
軍人が敵に対して品性があらわれるか否かの時。
軍人がその上官(上級)に対する時にあらわれる品性は、
犬が飼い主に対して従順であるのと同様で当然。

さて、
大学の先生は学者、教育者、それとも運営管理者?
高校の先生までは、
本人も社会も、
学者、教育者、運営管理者を明確に区別して活動しているようだ。

ところで、
以前に私は言った。
電磁力と重力の2次チャーン数の比で決まる10の78乗。
それが宇宙に存在する核子の個数。

今、インターネットにおいて、
IP(インターネット・プロトコル)アドレスが128ビット、
すなわち、10の39乗の番地を与えようとしている。
電磁力と重力の大きさの比とほぼ同じ値だ。

C:\> ipv6 install
にて、誰でもそのアドレス空間を利用可能だ。

宇宙の核子の個数が物としてのアドレス空間の最大であるはず。
今、人類はそれに近づきつつある。

このような文化の創造活動、
(ネットワークやアプリケーションの創造活動)と、
その教育や管理運営が従来の大学という概念で可能であろうか?

従来、
伝達のネットワークはStupid Networkが理想とされていた。
端末こそIntelligentであることが要請されてきた。

128ビット・アドレス空間のインターネットでは、
ルータにIntelligentを与える方向にもどりつつある。
Differentiated Serviceの方向だ。

さて、
「これからどう生きるか」
自然から与えられたままの命、それがなによりも尊い。

No.117
2007年02月17日 23:34
送信者:杉さん < >
表題:で、鈴木さんは、どう生きる?

評論は、結構です!山本さんも参考にはなるでしょう。
私の知りたいのは、では、鈴木さんは、定年後をどうするんですかです。生活費とは別に遊ぶための金が月に10万円くらいは欲しい。そうすれば、オペラ観劇や若い娘とランチもできる。
仕事をすれば、時間が取られる。このトレードオフ関係を、私達は、ずっと、背負っている事実を、真摯に見つめ、そして、残す時間がない中で、精力的に、どう解決し、どう生きるかを知りたかったのです。

No.116
2007年02月13日 05:14
送信者:鈴木克己 < >
表題:これからどう生きるか

去年の今ごろ2006年2月13日、
雑音はその後のどを痛め沈黙。
黄色い小さな福寿草は今年も耳をそばだてている。

物理:
深山(しんざん)に霜雪(そうせつ)しのぎ梅咲きぬ

A:momoさん(2007年1月7日)と、
B:杉さん(2007年1月29日)の「定年後」への話題。
C:2月10日(土曜)NHKテレビの「団塊・大量退職へ」と、
D:2月11日(日曜)朝日新聞の「相次ぐ高齢者の負担増、耐えられますか?」

Aは当事者のどうしてみたい。
Bは当事者のこころのゆれ。
Cは当事者世代、それより若い世代、それより年輩の世代、
すなわち、三世代が一同に会しての意見交換。
Dは当事者の未来の統計平均数値。

まず、Dから。
65歳以上の夫婦(世帯収入は379万円)の年間負担:
所得税と住民税 14万円
国民健康保険 18万円
介護保険料 11万円
医療自己負担 112万円
負担合計 155万円

Dの結論は明確。
医療の割合が72%。
社会貢献および本人への貢献の最大は、
病気しないこと。
昔も今も「糸車」
元気でポックリだ。

さて、
Cにて、
私は若者の意見に「不断草」
若者1:年輩者で10人に1人くらいはいてもらっていい人もいるが、
ほとんどの人はいらない。
若者2:なにもすることがない人はすぐボケてしまい、看護・介護が大変。
若者3:昭和50年では80人の若者が1人の年寄りを面倒みていたが、
これからは2人の若者が1人の年寄りを面倒みなければならない。
不可能なので、年寄りは若者をたよらずに自立してほしい。
若者4:子育て支援で社会に貢献してほしい。

Cの結論:
せいぜい10人に1人くらいが会社に残る。
10人に9人は年寄りどうしで自立。
年寄りと若者との接点は「藪の陰」、
すなわち、
子育て支援だけ。

私は思う。
10人に1人の中に入るように努力しよう。
でも、結果を決めるのは若者。

そして、
「なにもすることがない人はすぐボケてしまう」
からといって、
友達と夜な夜な酒を飲んで若者のふがいなさを・・・では、
確実に病気になる。

ボケない、そして病気しないが最大の社会貢献だから、
私は「桃の井戸」に「風鈴」を吊り、
箭竹(やたけ)のようにまっすぐな社会貢献をしたい。

格調の正しい国というよりも、ひとり一人の心をうつ美しい国づくり。
そして、
その美しさは在るものではなく自分で新たに築きあげるものだ。

そのために、
私は社会の最小単位である夫婦のあり方を考えてみたい。
Momoさん、杉さん、そして私も男。
還暦になる男の皆さんに次の本を読んでもらいたい。

山本周五郎『日本婦道記』(新潮文庫476円)
最初の「松の花」(7−30頁)を読めばすぐ分かる。
この短編小説集は、
年輩の男に読ませたい本であることを。

藤右衛門は、いまふしぎなほど新しい力を感じ朱筆をはこんだ。

「尾花川」では、
悲憤慷慨しながら、
連日酒をくみかわす維新の志士たちの正体をあばいている。

「墨丸」の文鎮、「二十三年」の白痴と読み終われば、
山本周五郎が分かる。

人間の真価は、
「どう生きてきたか」ではなく、
「これからどう生きるか」

No.115
2007年02月13日 05:12
送信者:鈴木克己 < >
表題:北方領土

今日の2月13日の早朝ラジオ「こころの時代」

天上天下唯我独尊:
天上と天下という自然から唯(与えられたままの)我(生命)、
それが独(最も)尊い。

明日の2月14日は山本周五郎の命日(享年63歳)。
昨日の2月12日は司馬遼太郎の命日(菜の花忌といわれている、享年72歳)。

司馬遼太郎の『菜の花の沖』は江戸末期に実在した海の男、
函館に本拠地を築き、択捉島までの産業開発と交易発展に尽くした男、
高田屋嘉兵衛(1769−1827)の一代記。

嘉兵衛を拿捕抑留したロシア側の嘉兵衛人物評:
どうゆう状況下でも言葉にうそがなく、
快活で度量が大きく、聡明な人物とされている。
さらに、
名誉を守るために「敵中」で死を覚悟しつつ、
「敵」とともに自爆しようと考えたりするが、
やがてロシア人の中に信義を見いだすと、
のち逆にかれらを救う立場になったとき、
深い友情と信義で最後までつらぬいた人物。

司馬遼太郎の長編小説は本筋の背景説明が長大かつ詳細であるため、
長編になっている。

くだらない:
上方(京都・大阪)から江戸に下ってきた「下り物」はすばらしく、
そうでない物は「くだらない」。

船頭でもある嘉兵衛が船上で襟裳岬に拝礼するところ:
船乗りが、岬を畏敬すること、神に対するのとかわらない。
波と雲のほか見るもののない洋上にあって、にわかに岬を見ることは、
地形・地理を推察する上でのこよない導きなのである。
岬はそのような利益を与えるとともに、
狎(な)れて近づく船に対しては鉄槌をもって破砕してしまう。
その恐ろしさも、神に似ている。

私(物理)は思う。
たしかに、
岬は山脈が手の甲のように伸びて海中に没している姿。
岬の先の海中には山並が連なっている。

かつて本居宣長は、神は紙といった。
神は申(雷光、注連縄(しめなわ)の白いギザギザの垂れカミ)である。
雷光は干天に慈雨をもたらすものであるが、
狎れて近づくと鉄槌をもって破砕されてしまう。

さて、
あくまで小説『菜の花の沖』での択捉島とはいえ、
高田屋嘉兵衛の尽力により米換算で15万石の生産地に発展した島。

佐藤首相も沖縄島の施政権返還をなしとげた。
外交は相手があるが、
それこそ神ならぬ人との交渉。

阿部首相におかれては、
「お父さまをみならって、がんばってください」
と申し上げたい。

No.113
2007年02月05日 06:45
送信者:鈴木克己 < >
表題:自由な想像力

昨日2月4日(日曜)、
東北新幹線が強風のため約4時間止まった。
特急指定券は全額払戻しであったが、
深夜の帰宅により私の予定と、
睡眠時間が大幅に乱されてしまった。

風まかせの帆掛け船や、
お天気まかせの農耕なら、
一晩宿をとり翌日の日和をみて・・・であったろう。

帆掛け船といえば、
江戸時代、
船の大きさは五百石まで、帆は1本までの制限があった。
それは以下の政策と同じ目的。
大きな川に橋をかけないことで諸藩の交流を制限する。
参勤交代などで膨大な出費を諸藩に強いる。
鎖国により、諸藩を対外的に盲目にする。
上下関係の固定(儒教倫理の悪用)を社会の隅々に強いる。

それらは全て徳川という一つの家の存続のみを目的とした。
社会の安定という言葉でもって、
リターンが鮮明な狭い利益を求める政治の典型。

2月2日(金曜)の朝日新聞にて、
北城恪太郎さんは言う。
伸びる産業に人材移動を。
公共工事の分割発注を見直せ。
企業献金は企業が政策を買うと誤解されるので個人で。

変化を提言している。
私(物理)は思う。
反作用もあり、ゆれ戻しがあり、
そして最適な方向を模索する。
まず、言論からだ。
言論は大切。
4月以降も言論を続けてほしい。

さて、
予定が崩れないと、
または、
大きな挫折や悲哀を経験しないと、
社会の矛盾(や宗教心など)に気がつかないのだろうか?

私は思う、
想像力の問題ではないか。
それも、
前提を自由に変えながら考える力。

No.109
2007年01月29日 06:04
送信者:鈴木克己 < >
表題:風林火山

古いタイプの故事や物語もお茶の間をにぎわしている。
孫子の言葉や山本勘助。

風林火山:
ひとりの中に共存している心の様。

老子:
反は、道の動なり。

恥をしるとは、
(恥ずかしい)心の動きや行動があり、
同時に、
それを恥ずかしいと思う心の動きがあること。

人はサルが木から落ちた時から人になったのではない。
人になった契機は、善悪(恥)、すなわち火であった。

創世記:
善悪の知識の実を食べた時から恥を知るもの、
すなわち、
人となった。

ギリシャ神話:
プロメティウスから火を手にいれた。
それ以来、
火を恐れかつ頼りして生き延びてきたもの。
すなわち、
二律背反を共存させ、
かつ処理できる心を獲得したの、
人。

さて、
女性たちの「がんばり」を話題にしたい。

ギリシャ娘の魂:
コルキス王の娘メディアはイアソンと恋に落ち、
二人の子をもった。
しばらくして、
イアソンはメディアと二人の子を捨て、
コリントス王の娘と婚約。
メディアは怒り二人の子を殺し、
イアソンの婚約者を焼き殺した。

大和撫子の魂:
(井上靖『風林火山』)
15歳の美しく怜悧な少女(由布姫)に勘助は言った。
晴信様(由布姫の父をだまし討ちにした敵(かたき))の稚児(わこ)様を、
早くお産みになることでございます。
その稚児様にどんな魂を吹き込もうと、
それは姫様のご一存でございます。

1月27日の厚生労働相の発言:
15歳から50歳の女性の数は決まっている。
産む機械、装置の数は決まっているから、
あとは一人頭でがんばってもらうしかない。

私(物理)は思う。
どんなに生き生きとしたロボット、
すなわち、
どんなに精巧なコンピュータで動く機械でも、
人、
すなわち魂を、
古代ギリシャ娘のそして大和撫子の魂をもつことはできない。
なぜなら、
コンピュータは矛盾を共存させることはできない。
コンピュータは風林火山の人を作れない。

No.107
2007年01月29日 02:06
送信者:管理人です < >
表題:なんせ古いタイプの掲示板なもので・・・

初めて投稿なさる方へ

メールアドレスはなくても投稿できます。
このごろ、頼みもしないのにサイト内をくまなく巡回しメルアド収集の
ロボットもおりますので、なるべく載せないようにしたほうが
賢明かと思います。

また、記事を送信したら、ご面倒でも、一度ブラウザを閉じてください。
戻るボタンでここに戻ってくると、同じ記事が再送信されることがあります。

No.106
2007年01月29日 01:32
送信者:杉さん < >
表題:定年後について

初めて、投稿させて頂きます。と言うのも、60歳からの生き方を考えるにあたって、皆さんはどう考えているのか、参考にさせて頂きたいと思ったからです。既成の価値観の中で生きてきたようなところがあります「私」でして、50歳になった頃より、今まで
やりたかった事って何なのかって、自分探しのつもりで青春をやり直している自分ではありますが、過去の忘れものが、妙に、引っかかったりして、自分を解放すればするほど、それが鮮明になります。自分をさらけ出しきっていない、じっくり刻み込まれた価値観の中に自分があって、それは空しいと思う反面、今のこの生々しい「生」の実感が、過去の価値観へと再帰させるのです。

No.104
2007年01月22日 06:02
送信者:鈴木克己 < >
表題:心貧しき者は幸いである

先週は、神とか仁の政治機能を述べた。
すなち、
リターンが鮮明な狭い利益を求める政治の流れ、
太古から今日までの政治の流れに、
時折現われる神(仁)という政治機能を述べた。

さて、
一般に神とか仁には、
機能よりも感覚、信仰、論理としての響きの方が大きい。

清明節(春分の日から15日間)に、
先祖の墓参りをするのは儒教(仁)のしきたり。
そもそも、
霊魂が死体に戻るとするのは、
土葬やミイラの習慣がある儒教や西欧の信仰文化と、
古墳に代表される古代日本の信仰文化。
仏教での霊魂は成仏または転生してお墓のお骨(こつ)には戻らない。

論理的に仏教で拝むべきはご本尊またはその名号の掛け軸。
真言系「南無大師遍照金剛」
浄土系「南無阿弥陀仏」
日蓮系「南無妙法蓮華経」
禅系「南無釈迦牟尼仏」

だから、
日本人の霊に関する感覚は、
儒教もしくは古墳時代的信仰であり、
少なくとも仏教的な感覚ではない。

では何故1、
お仏寺にお墓があるのか?

1月21日(日曜)、日本橋の高島屋8階。
アルフォンス・ミュシャのアール・ヌーヴォー展覧会。

作品解説:
1894年(34歳)、
無名の貧乏画家が一躍時の寵児になった。
ミュシャは画壇のムーヴマンにも歌劇(ジスモンダ)の物語にも関心を払っていない。
ミュシャが集中するのは主役であるサラ・ベルナールのみ。
サラを等身大までに拡大し、冷ややかな容姿は威風にあふれていた。
女優のイメージをサラが見られたいと望んでいるとおりに実現した。

では何故2、
お寺にお墓があるのか?

先週聞いた話であるが、
南米や中南米に旅行すると日本とのちがいに驚かさせるという。
道路上であろうがホテル内であろうが、
足の間に挟んでいるボストンバックがスルスルと移動始める。
バックを引っ張っている人をにらみつけると、
にこにこしながら立ち去るという。
でも、
貧困ゆえに生きるためといい、
彼らはそう見られたいと望んでいるように、
しばらくすると同じことを繰り返す。

では何故3、
お寺にお墓があるのか?

国土交通省・防衛施設庁・県庁の官製談合。
誰もがさもありと思う。
スーパーゼネコンなどや官僚・首長。
彼らは富あるものとして生きるためであり、
彼らはそう見られたいと望んでいるように、
しばらくたつと同じことが起こす。

さて、
1906年(46歳)、
ミュシャは故国のプラハで結婚し、
後に、
人生で最も美しい日々と彼自身が述べた時期に描いた作品。

山上の垂訓:
心貧しき者は幸いである

No.103
2007年01月15日 06:12
送信者:鈴木克己 < >
表題:神さびまさる舟かげの松

二宮に住んでいる人を知っていて、
以前、子供たちが小学校におあがる前の頃、
一家でその海岸際の知人宅に遊びに行ったことがあります。
海岸の砂浜では大きな網をみんなで綱引きしました。
海と富士山をともに一望できるすばらしい所でした。

さて、
→神政(仁政)→利政→神政(仁政)→利政→
と政治は循環する。
そして、
変革期に神政(仁政)が現われる。

壬申の乱から摂関政治以前までの神政(672−858)
摂関政治からの利政(858−1086)
院政の神政(1086−1156)
源平武家から薩長同盟までの利政(1156−1866)
薩長同盟から2・26事件までの神政(1866−1936)
2・26事件からの利政

672 壬申の乱
858 藤原良房が摂政になる
1086 白河院の院政
1156 保元の乱
1866 薩長同盟
1936 2・26事件

なぜ、
神政(仁政)は変革期か?
壬申の乱は地方豪族の力を畿内に引き入れて大海人皇子が勝利した。
院政でも地方豪族の力を背景に摂関家に対抗した。
薩長同盟では平民の力で徳川幕府を倒した。

そこで、
神政(仁政)は利政に取って代わられたのか?
神政(仁政)を支えている実効的主体が地方豪族または平民だったから。

私(物理)は思う。
利政は卑弥呼以前の太古の昔から常態であった。

さて、
佐々木毅さんが1月11日の日経新聞朝刊の経済教室にて発言している。
日本の政治は自己点検と反転攻勢のために雌伏する「凌ぎの時代」に入った。
これまでのような利益政治の構造は、もはや維持不能。
それは、リターンが鮮明な狭い利益ほど最も強力であるという政治構造。
国民総意を背景にした利益は、誰もが「ただ乗り」を決め込むという見かけ倒しの利益。
問題の核心は大人たちの発想を変え、まじめに将来構想を考えるように促すことである。
今こそ、大人たちのために「米百俵」の教育改革が必要である。
日本の政治に新たな動きが出てくるとしたら中央・地方関係をめぐってである。

私(物理)は思う。
壬申の乱の表(おもて)は兄・弟の闘争。
白河院政の表は天皇・貴族の闘争。
薩長同盟の表は中央・地方の闘争。

ならば、
佐々木毅さんがいう新たな動きの時、
すなわち、
中央・地方関係をめぐる新たな動きの時、
表の神(仁)は?
そして、
その時の実効的主体は何か?

物理:
波たかき芦はら沖を夕そめて 神さびまさる舟かげの松

No.102
2007年01月14日 23:44
送信者:Kimie < >
表題:菜の花や 伊豆は南に 富士 西に【花便り No.28】

先日来、テレビと新聞で神奈川県二宮町の菜の花がもう咲き始めた
との報道しきりです。
ミーハー的興味はムクムクと湧き上がり・・・
二宮に住む知人に聞いてみたところ、「天気がよければ最高よ。」とのこと。
今日、起きたら、晴れ! →→→ それじゃあ、行かにゃァあんメエ!

9:20 小平出発 → 府中 → 川崎インターから東名 → 厚木から厚木小田原道路
→ 11:10ごろ 二宮町の吾妻山臨時駐車場 着。
2時間かからないで着いてしまいました。びっくり!渋滞ゼロだとこんなに近い?!

菜の花は、吾妻山の西斜面に咲いていました。
菜の花の匂いが昔の記憶から蘇ります。なんだか懐かしいワ。
そして、そして、そして、その向こうには真っ白の富士山が・・・
残念ながら、雲が多くて頭しか見えませんでしたけれど。
これが山頂から見た右手です。
左手は、菜の花の向こうに伊豆半島が逆光に輝く穏やかな海と一緒に
ちょっと春霞がかかって遠くまで見えました。

ロケーションは抜群です。
吾妻山は富士山を見る絶景ポイント百選にも入っているとか。
もしも冬晴れなら
・・・真っ黄色の菜の花、その上に真っ青の空を背景に、真っ白の富士山・・・

この絶景ポイント(5mくらいの幅しかない)には、三脚を構えたカメラが一杯!
シャッターチャンスを待っておられました。
今日の天候はいくら待っても富士山の山頂の雲はなくなりそうもなかったですけれど。

吾妻山を二宮駅の近くから登ると階段が延々続きますが、
裏の方(北側の公園入り口)から登ると、坂道だけですみますので、こちらがオススメ。

二宮町のホームページ http://www.town.ninomiya.kanagawa.jp/

No.99
2007年01月08日 11:24
送信者:Kimie < >
表題:今年もいつもどおり遊びから始まりました

momoさんへ
小椋佳のコンサート会場にいました!
(ご近所のオバサンたちに誘われて、この手ははじめての参加です。)
コンサート自体は18:00に開演してまして、ライブだけれどライブでない中継
ということで、終わったのは21:20ごろ。
「ここからの3曲はテレビには流れませんから、咳払いでも何でもしてください。」
というのとか、途中に20分近い休憩が入ったりしてました。
あのおしゃべりがどんな編集になっていたのか、ちょっと興味はありますね。
彼は後10日ほどで63歳になるそうですが、50歳過ぎて全国ツアーをはじめたり
毎年ミュージカルを作ったり、新人を発掘したり、琵琶を習ったり、・・・
とお見事!
心ほのぼのする柔らかい優しい歌声で、素敵なコンサートでした。

No.98
2007年01月07日 22:51
送信者:momo <m >
表題:momo通信70 まだ松の内(相乗り)

あけましておめでとうございます。
先程までNHK−BS2で小椋佳のライブを観ていました。

昨日1Cクラス会の案内が村上史典君から届きました。
来月10日(土)、立高を見学してから宴会?に流れる、との内容で
幹事は矢島、坂本、村上の3氏とのこと。

実年齢より若く見られてしまう?のはこそばゆいもの。
いくらか白いものが混じるものの髪の毛はフサフサ、体型もまあまあ、健康診断もほぼオールA。
実年齢を言って孫もいると言うと“ま〜さか?”と言われる‘蜜の味’たっぷり味わってます。
でも寄る年波には勝てぬもの、歯も眼も○○もヨレヨレ。

 私も今年還暦。4月が誕生日で、9月には定年退職。7月末からは準備モードに入る予定。
今から楽しみにしています。遊んで暮らすゾ〜。

ではまた

No.97
2007年01月06日 01:50
送信者:Kimie < >
表題:まだ松の内

ということで、あけましておめでとうございます。

同い年の人に歳を隠しても何の意味もないのですが、
実年齢より若く見られたい、というのは、正直偽らざる気持です。
で、今までは、ことさら好んで年齢を白状する必要はないので、
「おいくつ?」と聞かれると「52歳!」とかなんとか適当に10歳以内のサバを
読んで答えておりました!(まあいいじゃないですかっ)

しかし“還暦”というのは恐ろしいもので
「私、今年還暦なの。」
「まあぁ〜〜〜!そんなに見えないわ。本当なの?もっとお若いと思っていたわ〜〜」
と言われて一度その蜜の味を味わってしまうと、実年齢を暴露しまくるお人も多く・・・
(ワタクシも気をつけねば。)

でも、実際、元気はつらつの人は実年齢より若く見えるのは事実。
やはり“元気”は一番の目標です

今年は、6月10日(日)に同期会があります。元気でお会いすることにしましょう。
(誰が一番若いかなあ〜〜)
みなさん、今から、予定に入れておいてください。

No.96
2007年01月04日 13:19
送信者:マロン < >
表題:あけおめ ことよろ

いよいよ還暦を迎える年となりました。
(23年の早生まれの人を除く)
心機一転、また新たな気持ちで頑張りたいと思います。

同期の中でも鬼籍に入った人もいれば、まだまだ達者で現役の方もいらっしゃいます。

皆々様、元気に はつらつと還暦を迎えましょう。
我々の年代では還暦の意味がわからない人はいないと思いますが、
若い世代にそういったことも伝えたいと思います。

まだまだ若いもんには負けないぞー

マロン@気持ちだけは若ぶっている

No.95
2007年01月04日 05:45
送信者:鈴木克己 < >
表題:さやけし雪のこころ澄ますは

あけましておめでとうございます。

孔子は春秋から戦国に移る時代の境にいた。
殷(商)の鬼神・祭祀の神政
周・春秋の仁徳・礼楽の仁政
春秋・戦国の実利・武力の利政

孔子は鬼神を敬して遠ざけ、周を理想にしていた。
孔子の時代を見渡せば実利・武力の利政の時代。
そこで、
孔子は高弟の顔回、子路、子貢の三人を一塊りにして、
天下を取り仕切る立場の人に託そうとし、諸国を遊説した。

さて、
日本のその時はどうだったか?
平安貴族の鬼神・祭祀の神政
源平武家の実利・武力の利政

法然・親鸞・日蓮の口称念仏による仏教の民衆化。
空海・西行・道元の回光返照による仏教の山水化。

では、
昨今の世界はどうか?
数年間で原油価格が3倍になり高止まりしている。

孔子:
人間がひしめいているこの現世から軸足をはずしてはいけない。
しょせん、鳥獣の群れに入ることはできない。

私(物理)は思う。
3年前( 2004/2/15)に述べた。

今年は日露開戦100年。
トルコやイランなどはアジア人が西欧文明に一矢を報い好意的だった。
日本の民衆も報道も国をあげて熱狂した。
そして、戦後五十八(いそや)年になった。
一国をあずかる人は、
全員が賛成しだした時、
日本人としての自由な人格性で中止し、
全員が反対しだした時は、
日本人としての自由な人格性にしたがって決然として先頭に立ち八つ裂きに。
賛否拮抗している時は、
説得力という政治的真価が問われる。

物理:
思ひきや芦原小舟いそやいで ゆうふらてすにつみにとくとは

そして日本の民衆は、
心澄ますひと時を確保したい。

物理:
色は花 音ほととぎす 影は月 さやけし雪のこころ澄ますは

No.93
2006年12月28日 12:06
送信者:マロン < >
表題:皆様良いお年を

マロンの会社は本日28日に仕事納めとなり、4日に仕事始めとなります。
今日は午後から挨拶回りですので、皆様良いお年をお迎えください。
正月は箱根駅伝応援で、テレ寝です。

No.91
2006年12月25日 05:59
送信者:鈴木克己 < >
表題:顔回、子路、子貢

孔子『論語』:
吾れ十有五にして学に志す

私(物理)は思う。
大脳中心部と前側頭葉が不整合と葛藤で急発達しながら将来の職業を志す歳。
今日の7・5・3現象とは、中卒・高卒・大卒の就職後3年でやめる割合。

気まぐれな天の裁きにメゲず、さらに奮闘努力する人に感動するものだ。

アンネット・カズエ・シュトルナール『ウィーン我が夢の街』(新潮社):
日本国内の音大を2カ所受験失敗し、
30歳でウィーンに出かけ、
ウィーン国立歌劇場のオペラ歌手オーディションに日本人として初めて合格。

12月21日(木曜)、ウィーン国立歌劇場にいた。
歌劇『ドン・カルロ』
原作・シラー、作曲・ヴェルディ、

エボリ役のメゾソプラノがよかった。
ルチアーナ・ディンティーノ(Luciana D'Intino)。
カルメンのような歌いぶりだった。

歌劇の筋はスペインとフランドル。
流れる歌はイタリア語。
歌劇場はオーストリアのウィーン。
客席毎に付属している画面表示に流れるのはドイツ語または英語の字幕。
そして、
主語が不明確な日本語として頭脳に定着していく。

共通した感性と認識に裏打ちされているはずの言語と文化。
その多様性に眠気も消える。

井上靖(82歳)『孔子』:
孔子は高弟の顔回、子路、子貢の三人を一塊りにして、
天下を取り仕切る立場の人に託そうとし、諸国を遊説した。

顔回:心のきれいな秀才で、無比の努力家。
子路:大義のために命を惜しまぬ勇猛武人。
子貢:天下の金と情報は子貢の許(もと)に流れてゆく理財家。

私(物理)は思う。
これも共通した感性と認識に裏打ちされた人格の多様性だ。

ウィーン国立歌劇場の座席チケットの確保には子貢が必要。
平土間前列(ゼロ階)やボックス席前列(1階)の178ユーロから、
天井桟敷席の10 ユーロまで。
私とカミさんは平土間の157ユーロの席を定価で確保。
劇場のチケット窓口で買えた。

日本人の割合は数%程度でほとんどが欧州人だったが、
団体旅行で経験のためと日本からくるだけの方は10ユーロの天井桟敷席。
ランクアップを旅行会社に頼んでも157ユーロの私達と同じような位置の席を、
2倍の価格で入手していたようだ。
でも、
旅の疲れですぐ眠ってしまう方には10ユーロでも高い。

東京都心一等地の3LDKを月8万円弱で借りて、
辞表を出さなければならなかった大阪大学の教授がいた。
学者としての公的顔回よりも理財の私的子貢の疲れで眠っていたのだろう。

No.90
2006年12月11日 06:29
送信者:鈴木克己 < >
表題:心の自由

12月10日(日曜)午後7時半から、
「道具を使うサル」というテレビを見た。
自分の体重の3分の1もある大きな石で、
椰子の実の堅い殻を割る。

以前の(2005/12/5)「格安な一生もの」を再び述べたい。

火、道具、2足歩行、言語の爆発の順序でヒトは進歩した。
道具が先で2足歩行は結果である。

2足歩行だけならヒト以前にも地上に存在した。
ダイナサウルス(恐竜)である。
ダイナサウルとは直立2足歩行という意味である。
前足の発達より早く後ろ足が発達して直立2足歩行を始めたために、
ダイナサウルはヒトになれなかった。

鳥は空を両手でつかみ、直立2足歩行になった。
猿は枝にぶらさがり、直立2足歩行になった。
ヒトは猿と分化したのであり、進化したのではない。
ヒトの運動能力は猿とくらべ2足歩行のみ強化された。

だから、
ヒトは肩こりや腰痛がおこる。
肩こりや腰痛は、時々猿にもどることですぐ直る。
一日に数度、ぶらさがるのである。
格安で簡単な一生ものだ。

さて、
岡潔『春宵十話』:
人は動物だが、単なる動物でなく、
渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、
つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したものといえる。
それを、芽なら何でもよい、早く育ちさえよければよいと思って育てているのがいまの教育ではあるまいか。
渋柿の芽は甘柿の芽よりずっと早く成育するから、
成熟が早くなるということに対してもっとも警戒せねばいけない。
すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい。
これが教育というものの根本原則だと思う。

私(物理)は思う。
岡さんがいいたいのは、「ゆとり教育」とは違う。
「ゆとり教育」で育った学生が大学に入って来て、
授業中の私語・不規則発言・行動が目立って増えたという。
岡さんがいいたい教育とは、
小学校では道義を教え、
高等学校では理性をいれる教育。

さて、
『春宵十話』で心に残った言葉をここに書きたい。

数学でおもしろいのは、
(解答を得ることもあるが)
むしろ「証明法の発見」にある。

数学者に最も近いのは百姓だといえる。
そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。
理論物理学者はむしろ指物師に似ている。
そのオリジナリティーは人の作った材料を加工することにある。

学者が本当にほしいのは経済的な優遇ではなくて「心の自由」であり、
経済的な条件が気になるようならそれだけ気も散るし、
「心の自由」もそこなわれるわけだ。

No.89
2006年12月04日 06:16
送信者:鈴木克己 < >
表題:無神論の克服

11月29日(水曜)青山葬儀場。
大学入学時の同期生(理T類21F)のお通夜。

喪主の奥様のご挨拶:
26日、
テレビの録画取りで真夜中に帰宅し・・・、
寝る前にメールのチェックをしていたら、
倒れてしまった。
救急車を呼んだのですが、
まだ意識がはっきりしていて、
このあいだの健康検診結果のリストをもってくるように、
などといっていたのに・・・・。
いまも、なにがなんだか分からなくて。

太陽黒点の鮮明な写真が新聞一面に掲載された28日の朝、
その新聞の死亡記事欄にあった。
太陽観測衛星「ひので」の計画責任者・小杉健郎(たけお)氏。

兼行:
四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。
死期は、序(ついで)を待たず。

死は、前より来らず。
かねて後に迫れり。
人皆、死ある事を知りて、
待つこと、しかも急ならざるに、
覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、
磯より潮の満つるが如し。

ニーチェ:
宗教とは全て、怨恨にみちた現世蔑視のまなざしをまぬがれない。

しかし、
梅原猛さんはいう。
二つの永遠に気づき、私は若き日の無神論を克服した。
人間の現在の命に、
永遠の過去と永遠の未来が入っていると気づいた。

往生楽土。
天国や地獄は人のこころの中にあると一般にもいわれる。
私は思う、
では、
往くべき天国や地獄は誰の心の中にあるのか?

我が家の二人の息子がまだ小学生だったころ、
カミさんに連れられ渋谷のプラネタリュームを見に行った。
そこで解説していたのが当時・三鷹天文台にいた彼だった。
小学生の心に生き生きとした宇宙の印象を与え、
優しく、そして易しい宇宙の話ぶりであったという。

私は感謝したい。
小杉さんは、
私の息子たちとカミさんの日常の心の中に、
往生楽土を住まわせてくれた。
合掌

さて、
永遠の過去と永遠の未来が一つの命にある。
私はそれを数学として表現してみよう。

以前の「水に映る月のようにはゆかない」(2006/11/13)
の続き。

AdSとは反ドシッタ時空。
その任意の点からでた時間的な測地線はすべて対極点に収束する。
ゆえに、
AdSは連結であるが、
単連結ではないゆえに、
その基本群の生成元は時間的な閉曲線となり、
因果律が破れている。

でも、
その普遍被覆空間では因果律が成立する。

ゆれる水の面に月が無数に映り現われる。
電磁力と重力の比の核子(全て同じ)が宇宙に存在する。

No.88
2006年11月27日 05:58
送信者:鈴木克己 < >
表題:何を以てか平生(へいぜい)を叙せん

神無月 No.2。
No.1711(2005年11月28日)を「神無月 No.1」

新暦の11月は旧暦では10番目の月で、神無月。
日本中の神様が出雲へ集まる月。
私も旧交を温めるために集まりたくなる。

11月25日(土曜)、
神社と多摩川の間にある旧家で専業農家をやっているMさんの家に再び集まった。
Mさんは高校と大学が私と同じ、M夫人も高校で同じ。
9時半に集合し16時すぎまで、大きな庭に焚き火を囲み話し込む。
(はじめのころ、ちょっとだけ農作業のマネをしたことはした)

去年は23日の勤労感謝の日だった。
今年は少し風邪気味だったので、用心して25日にした。
去年とは一人も重複しないメンバーであった。
M夫妻の交際範囲がいかに広いかの現われだ。

私と同じように小平2中から立川高進学のT姫(3A)がいた。
こうして身近に話をするのは40年ぶりだった。
(ま、こういうこともタマにはあらぁな!)

中学と高校ともお互いにあまり話しをしなかったので、
(小平2中から立高へ進学したお姫様たちは全て2中への転校生)、
(私は小平の土民なのであまりご縁がなかった)、
お互いにこの40年ぶりの奇遇にビックリ。

男子生徒どうしなら以下の白居易の詩であったろう。
いな、やはり、
白髪相驚は、
1200年前の白居易と同じであった。

白居易:
何(いづ)れの処(ところ)か酒を忘れ難き
天涯旧情を話す
青雲倶に達せず
白髪逓(たがい)に相驚く
二十年前に別れ
三千里外に行く
此の時一盞(さん)無くんば
何を以てか平生(へいぜい)を叙せん

さて、
25日のM夫妻宅の焚き火では、
おいしい料理が出た。
メンバーの中に有名ホテルの料理長がいて、
ご本人が食材を持ち込み、
目の前で手裁きよく料理をしたという大ハッピー。
(ま、こういうこともタマにはあらぁな!)

さて、
昨日の11月26日(日曜)、
紀尾井町のニューオータニにて、
私はカミさんと庭園をみながら昼食。
その日本庭園には、
披露宴に出る着物姿の娘さんや七五三の親子などがチラホラ。
着物姿の娘さんは遠目からでも、
準備に準備を重ねた戦闘体勢の完全武装。
いざ、いざ勝負!
という気迫が感じられるほどキレイだった。

その時、突然のにわか雨。
その娘さんは一分の隙もなく、
舞うがごとくそそと小走りに消えた。

ああ天涯。
人は見られている。
そして試(ため)されている。

天涯旧情を話す
白髪逓(たがい)に相驚く
何を以てか平生(へいぜい)を叙せん

No.87
2006年11月23日 00:47
送信者:Kimie < >
表題:甲府盆地の秋・・・追加

甲府では、近年のブドウの葉の紅葉はあまりきれいではないということです。
夏に葉が焼けてしまうから、ということなのですが、何故焼けるか!
『甲府盆地のオゾン層が薄くなっているから』
とか。
これって、とても怖い話だと思いませんか。

No.86
2006年11月23日 00:17
送信者:Kimie < >
表題:甲府盆地の秋・・・【花便り No.27】

ちょっと古い話になるのですが、11月9日(木)に山梨の勝沼の龍門峡に中央高速から行きました。
中央道は工事中の渋滞で1時間以上よけいにかかりました。そのおかげで竜門峡入り口には
1時半過ぎに到着。渓谷ではお日様はすでに山かげ・・・燃え立つような逆光の紅葉はなく・・・
(ま、こういうこともタマにはあらぁな!)
勝沼からの道をそのまま進むと青梅街道(マロンさんの紅葉便り)に出るのですが、
その峠付近に栖雲寺というお寺があり、立ち寄ってみました。
なかなかおすすめ。
その1)山の上なので、紅葉したイチョウが照り映えて黄色に輝いていました。
その2)自然にできた巨石の石庭が見事。ちょっと登ると地蔵菩薩磨崖仏があったり、
   座禅石があったり・・・。(紅葉はちと早かった。)
その3)ここからみる富士山は雄大で見事。石庭亭という無料休憩所もあり
   しばらく、富士山と石庭をみながら物思いに・・・

そうそう、そういえば、マロンさんと川合さんが絶賛していらしたレストラン・・・
行ってみるか、ということになり、勝沼に引き返しました。
が・・・“レストラン風”は貸切で残念ながら入れず・・・さてどうしよう・・・
(ま、こういうこともタマにはあらぁな!)

勝沼町ぶどうの丘にレストランがあります。で、そこに向かうことにしました。
途中で“月の雫”を発見!ラッキー!!
これは甲州ブドウのとれる季節にしか作れない由緒正しき銘菓です。
生のブドウをお砂糖でコーティングしただけのものですが、おいしい!

丘の上のレストランからは、空気が澄んだ時期で雲ひとつなかったので、
甲府盆地だけでなく、北岳、甲斐駒ケ岳などが一望できました。
夕陽が沈んだ直後の黒いシルエットの山々、徐々に暮れなずみ、
紅の色がなくなるにつれて、家々や車の明かりがきらめき、漆黒の空に・・・
・・・・・・・・・・・・(お二人で是非どうぞ!)
http://www.budounooka.com/restaurant.html

No.85
2006年11月20日 06:06
送信者:鈴木克己 < >
表題:八甲田山

昨日、11月19日(日曜)、
立高18期の紺野芳(かおる)さんの陶器展。
今回は壺ではなく、ペンダントや壁掛けなどが展示されていた。
一生ものの生き方をされているのがすばらしい。
お住まい(窯があるところ)は信州ではなく、
おなじく2メートルもの雪深い飛騨でした。

さて、先々週、
白神山地のブナ自然林の中、
私は暗門滝への道をカミさんと歩いた。
その前日、11月4日(土曜)に、
八甲田山系へのケーブルカーにも乗った。
11月初め、八甲田の山々に雪はまだない。
見渡すかぎりブナの木々。
すべて葉を落としていた。

何故ここは、
落葉樹のブナの木ばかりなのだろうか?

新田次郎『八甲田山死の彷徨』:
「重量感をもつ湿り気を帯びた雪が吹雪きになると夜のように暗くなった」
「尾根の雪が吹き飛ばされて笹が出ているところは強風で歩けない」

私(物理)は思う。
八甲田は吹きさらしのオウトツ高原山地。
横殴りの強風で、葉に着雪する針葉樹は立っていられない。
白魔の棲む八甲田山だ。

『八甲田山死の彷徨』:
八甲田山の吹雪を「初体験」とした2グループの雪中行軍。
徳島小隊は240キロの雪中行軍を完遂。
神田中隊は10キロほどで壊滅。

さて、
11月18日(土曜)、都立立川高校同窓会名簿作成部会。
No.44(2006/07/03)の続き。

「初体験」の個人情報保護管理法施行後の同窓会名簿作成部会。
今回も半分は私(物理)が発言していた。

委員A:
近隣高校に名簿を無料配布したい。

物理:
他の高校で同窓会名簿を発行しているところはあるのか?

役員:
近隣高校では、保護管理法の施行直後に発行した都立国立高校だけ。
その他では様子をみている状態のようだ。
・・・・しばし沈黙。

委員B:
広告主に名簿を一部無料配布したい。

物理:
「会員相互の連絡以外には絶対に利用しない」という主旨に矛盾する。

委員C:
名簿の広告主に本当に広告が掲載されていますよという意味でも、
一部を渡すのは慣例だ。そんなのは常識じゃないか。

物理:
かつての慣例や常識も、日本語として矛盾する新事態になれば裁判で勝てない。
名簿に記載されている1万8000名の誰もが訴訟を起こす可能性がある。

委員D:
広告主には名簿を1部お渡しするとして契約ずみなので、いまさら・・・。

物理:
間違ったと気がついた時点で直ちに訂正周知するのが最善だ。
広告主には広告掲載付きの寄付行為ということで納得してもらうべきだ。

委員E:
広告主のグループの中で同窓会会員の方がいることを確認して、
「会員相互の連絡以外には絶対に利用しない」という文書とともに名簿を渡せばどうか?

役員:
今日は時間もなくなりましたので、
名簿部会役員会ならびに理事会でということにしたい。

No.84
2006年11月13日 05:54
送信者:鈴木克己 < >
表題:水に映る月のようにはゆかない

先週、漢字学者・白川静さんを述べた。
11月8日の朝日新聞「論説委員室から」に、
白川さんの言ったという学問の三つの骨法が書かれていた。

志(こころざし)、恒(つね)、識(みわけ)。

白川さんの三法は、
学者のあるべき「生き様」である。

私の言う、
「独創と共感(一般性)が共存」とは、
学問の「あるべき様」である。

学問・芸術の政治・道徳からの独立を力強く主張した、
思想史上の画期的な人物がかつて日本にいた。

本居宣長(蘆わけを舟):
歌の本体、政治をたすくるにあらず、
身をおさむる為にあらず。
ただ心に思ふことをいふより外なし。

福沢諭吉のいう実学・実理も、
政治をたすくるにあらず。
身をおさむる為にあらず。

学問・芸術・戦争術は、
政治・道徳から独立自走する。

だから、
政治と道徳によって、
学問・芸術・戦争術の社会適否を決めねばならない。

政治は共感(一般性)を「あるべき様」としている。
ヒトラーは、
「純粋アーリア人種」という共感を政治手段として用いた。
政治と学問が決定的に違うのは、
政治は「独創」を排除し、
(真偽はともかく)過去の事実を根拠にする。
しかも、
政治の共感は国民の範囲だ。

だから今日、
学問・芸術・戦争術・政治の社会的適否には、
世界的視野の道徳的選択眼を必要とする。

道元(正法眼蔵):
自己をおしてよろずのことどもを計らうのは迷いである。
よろずのことどもの来たって自己を証(あか)しするのが悟りである。
迷いを転じて大悟するのが諸仏であり、
悟りに執して迷いに迷うのが衆生(しゅじょう)である。
・・・・
よろずのことどもの来たって自己を証しするといっても、
よろずのことどもと自己は、
水に映る月のようにはゆかない。
一方がわかれば他方はかわってしまうのである。

私も以前(2006/7/10)「カレン・ウーレンベック」にて言った。

モジュライ時空間は共形変換的ホログラフィーにて核子がコピー増殖する。
それが宇宙のインフレーションだ。

道元にならい「コピー増殖」を補足したい。
J.Maldacena, Adv. Theor. Math. Phy. 2 (1998) 231.
For large values of U(UV, ultra-violet) we would still have (AdS5×S5)N,
but for small values of U(IR, infra-red) we naively get Nc copies of (AdS5×S5)^1.

No.83
2006年11月06日 05:19
送信者:鈴木克己 < >
表題:白神山地のブナ林さんさく

10月30日(月曜)、白河静さん(96歳)が亡くなった。
白川静:
殷の多くの文字は、
象形の原理を越えたところで成立した。
会意と仮借という表音的用法の発見が文字を産んだ。
「表音である言葉」のもつ呪能を吸収し、定着し、持続するためだった。

梅原猛:
「白川静さんは漢字に『神の世界』を見た」

私はNo.361(2006/09/11)「光のすみか その3」にて、
スサノオ(素戔鳴)とはスサマジイ雷鳴だといった。

出雲地方(素戔鳴の日本における誕生の地)の神社の特徴に注目してもらいたい。
太い注連縄(しめなわ)に白い垂れ紙。
雷雲と雷光だ。
スサノオ(素戔鳴)とはスサマジイ雷鳴。

さて、
吉川英治さんが小説を書くにあたり心がけていた言葉を私は思い出す。

月の世界にウサギがいるとしていた時代には、
事実、月の世界に兎が見えていたのであるから、
それらの奇跡伝説も、
かつては一価値のものであったにちがいない。

私もそう思う。
今日でも、真っ白なこころの幼児は、
「月をとってくれろ」と親を困らせる。

さて、
10月30日から3日間、私は名古屋国際会議場にいた。
白鳥(しろとり)ホールという大会議場や、
7階のレストランに白鳥ランチがあった。
白鳥は日本武(やまとたける)尊の故事による。
芸術や学問にとって大切なのは、
独創と共感(一般性)の共存。
日本武尊の「生き方」だった。

若山牧水:
白鳥(はくてふ)は哀しからずや海の青そらのあをにも染まずただよう

さて、
名古屋国際会議場では学問的会議に私は参加したのだったが、
会議場は大きく、宗教団体の集会も同時にあったようだ。
その宗教集会の参加者の方のほとんどが女性であった。

和辻哲郎:
仏菩薩像の時代による変遷の特徴をいえば、
推古、白鳳天平、平安時代にしたがい、
少女、嬰児、蠱惑(こわく)的な女体へと変遷した。

私も思う。
白鳳天平は日本の無心・天真の趣を表出した嬰児的美の時代。

さて、
昨日、11月5日(日曜)、
私は白神山地のブナ自然林の中。
暗門(あんもん)の滝への道をカミさんと歩いた。
紅葉の時期を1週間ほど遅れているので、
渋谷駅の人混みのような散策でなかった。
ゆっくりと川縁から垂直に見上げると、
まだ残る黄や紅を楽しめた。
山頂のブナはさすがに葉を落としている。

真っ青な空を背景にしたシルエットがすばらしかった。

さて、
無心・天真の趣。
独創と共感(一般性)の共存。
だから、
学校教育を大切にしたい。

No.82
2006年11月04日 19:51
送信者:momo <m >
表題:momo通信69 七湖八峠

Kimieさんは良い天気のなか霧ヶ峰で紅葉と眺望を、マロンさんは丹波山村から塩山に抜ける峠を楽しまれたとのこと。
当方は23〜25日にいつものマニュアル車で1年ぶりのお泊まりドライブ。3日のうち前2日は雨、良い天気だったのは最終日のみ。

初日、雨模様のなか松井田・妙義で降りて妙義神社から裏妙義へ回って「妙義湖」。
湖そのものはさほどの風情もなく、妙義山の異なる姿が見えた、という程度。
 ついで、おぎのや(釜めし)経由で「碓井湖」。ここは小さいながらも風情があり環境も整備されていて、笠をさして貸切で一周散策。
 めがね橋をデジカメに収めてから一路「碓井峠(957m、R18)」へ。峠まではスゴいワインディングロード。運転している自分は面白がっていても助手席のみいこchanはつらかったろう。3年前、この道を下り方向で自分ながらよくも走ったものだ。
 中軽井沢から「浅間越(1406m、R146)」〜北軽井沢〜草津。軽井沢は紅葉も落葉松も見ごろ。雨もこの区間は止んでいた。3時前に草津に着ければ渋峠(2172m、R292、国道上の日本最高地点)に行こうと思っていたが雨中4時、断念。ちなみに国道上の日本第2位の地点は麦草峠(2127m、R299、小海〜蓼科、4年前に経験)。
 草津にて雨中の露天風呂。

 二日目、いきなり山中の曲がりくねった道を大きく下り、また上って「野反湖(関東地方に在りながら水は日本海に注ぐ)」とそれを眼下にする「富士見峠(1561m、R405)」に到達。湖周の散策路も整備されていて歩きたかったが雨中、眺望のみ。
「暮坂峠(1088m、県55)」「大道峠(780m、県53)」と峠を二つ越えて猿ヶ京の「赤谷湖」に至る。ローソンの横が絶景ポイント。
「赤谷越(仏岩T、860m、県270)」を経て水上温泉の宿へ到着。

三日目、晴れ。宿の窓から、水上駅。朝の露天風呂。
谷川岳天神平・天神峠に。往復ロープウエーからの紅葉見物。山上、筑波方面には未だ雨雲らしきものがあったがほぼ全方位の眺望。降りてから、一の倉沢に。見上げる岩峰の中腹に万年雪。
照葉峡へ向かう途中、裏見の滝までOSAMPO。現在は裏側から見ることは出来ないが、滝そのものも圧巻。往復の径も紅葉黄葉。
「藤原湖」「洞元湖」を経て「ならまた湖」のならまたダムに。
照葉峡を横目で見ながら「坤六峠(1630m、県63)」を越えて尾瀬方面に出て、戸倉から大清水まで往復。ここは数年前6月の新緑を堪能した道。紅葉黄葉を楽しむ。
最後は「椎坂峠(740m、R120)」を越えて帰路に。

以上「七湖八峠」、全行程653km。

 ではまた

No.81
2006年11月01日 10:45
送信者:川合 浩一 < >
表題:行ったことがあります。

マロンさん、「風」は私も行ったことがあります。
もうかれこれ7-8年前になるかも知れません。

テニス部の恒例夏のゴルフ合宿で小淵沢からの帰りに寺田(文二)夫妻と寄ったことがあります。
勝沼だったかインターからも近く、小奇麗な、またおいしいものを
食べさせてくれるところですよね。

その後、小腹が(寺田は特に)すくと必ず寄って帰ったのですが、
やはり車ですので酒が飲めないから、最近はご無沙汰です。
今は、帰宅後車を置いて国分寺のすし屋に集合としています。

懐かしい名前が出てきたので一言、でした。

No.80
2006年10月31日 08:53
送信者:マロン < >
表題:奥多摩湖・塩山

Kimie様
花便り、ツアー便り楽しく拝見させていただいています。
私メも一昨日、日曜日、雪国で育った古い友人と家人と3人で、奥多摩湖から小菅、丹波山村を経て、塩山、勝沼に行き、勝沼のしゃれたレストランに行ってきました。

まずドライブの話、
奥多摩湖までの道のりはまだそれほどの紅葉もなく、けれど割と古い町並みがあるので、雪国に育った友人にとっては新鮮に見えるらしく、町並みが軽い(雪対策がないため)、雰囲気が良い、と言っていました。
奥多摩湖から丹波山村までは、まあまあの紅葉でしたが、
丹波山村から塩山に抜ける峠はもう紅葉黄葉の真っ盛り。
落葉松の黄葉が青空に抜けるようでしばし目の保養となりました。
(最近疲れ目でぼやーっとしか見えない目が輝きを取り戻した感じ)
ゆっくり走る車も多く、紅葉狩りを堪能しました。

レストランの話
勝沼に、勝沼ワイナリーが経営しているおいしいローストビーフを出してくれるレストランがあります。
「風」という名のレストランで、ブドウ畑の真中の見晴らしの良い高台にあります。
前から何回か行っていたので、迷わずそこへアテンドしました。
実はあまり人に知られたくない秘密の穴場なのですが、立高同期の方には知っていただいても、いいかなと。ウイークデイには人が閑散としているのでつぶれてしまったら穴場でもなんでもなくなってしまいますので皆様で盛り立てて欲しいと口コミで宣伝させていただきます。
着いたのはもう夕方でしたが、ぶどう棚の葉もやや黄色みをまし、取り残された巨峰(?)が香りを放っていました。

No.79
2006年10月28日 23:16
送信者:Kimie < >
表題:山は晩秋 【花便り No.26】

時には連れ合い殿とのコミュニケーションも必要か、と26日に霧が峰にドライブしてきました。
今、1000m級の山が紅葉、との情報でしたが、1500mを超えている霧が峰はすっかり晩秋。
白樺はほとんど葉を落とし、落葉松も紅葉した葉をそろそろと落としにかかっていました。
でも少し標高の低い蓼科では、まだ紅葉が楽しめました。御泉水がおすすめ。
マユミが玉川上水などで見るよりもっと濃いピンクの実をたわわにつけて、遠目には梅の花が咲いているよう・・・
マユミの葉は黄色から徐々に赤く紅葉していくものだ、とはじめて知りました。

しかし、紅葉より何より圧巻だつたのは、霧が峰からの眺望!
 常念岳、槍ヶ岳〜穂高連峰〜乗鞍連峰〜鉢盛山の北アルプス
 御嶽山から、経ヶ岳〜茶臼山〜木曽駒ケ岳〜越百山の中央アルプス
 仙丈ケ岳〜北岳〜甲斐駒ケ岳〜薬師岳の甲斐の山々
 富士山
 編傘岳〜赤岳〜横岳〜東・西天狗岳などの八ヶ岳連峰
 茶臼山から蓼科山
230度くらいの大パノラマ!
ここまで見えるのも秋の空ならではですが、滅多に見れないラッキーさ!!
素晴らしかったです。

No.78
2006年10月23日 06:10
送信者:鈴木克己 < >
表題:煩悩即菩提

10月22日(日)は、小平紫芳会の健康ハイクと懇親会。
私は都合で懇親会だけ参加。
健康ハイクも参加の人は4時間近くも小平グリーンロードを起点に歩いたという。
花小金井駅前広場は今おおきく変貌中。
その駅近くで懇親会。

立高18期のMさんからの連絡があった。
同じ18期の紺野芳(かおる)さんの陶器展の紹介。
時期:11月16日(木)〜11月21日(火)
   AM11:00〜PM6:00
場所:西武国分寺線「鷹の台駅」前の「ギャラリーy」
   小平市たかの台44−11

信州の山奥で焼き物をしているという紹介が以前にこのサロンでもあった。
「鷹の台駅」は我が家から歩いても行ける距離なので、
運動を兼ねて行ってみようかと思う。

さて、
小平紫芳会の「歩こう会」に今回初参加された方が3名いて、
自己紹介されていた。
その3名(高19期、23期、29期)がともに教育関係であった。

そこで、
私は隣に座っているMさん(高03期)と学校教育について長談義。
(Mさんは人権擁護委員をされている)

何故1、学校で「いじめ」があるか?
私は答えた:
読み書きそろばんは、
福沢諭吉の「実学」であきらかなように重要だ。
江戸時代までの秩序序列維持を目的とした精神論だけではだめだ。
でも、私はいいたい。
その他に必須があると。
私立なら、
個々の宗教に基づく「生き方」が可能。
公立なら、
歴史や日常の事例に基づく「生き方」を子供たちで話し合うことだ。

例えば、
終戦後に「やみ米」を食べないという、
法令遵守によって餓死した裁判官は山口さんがただ一人。
その話題から、
イザヤ・ベンダサン(山本七平さん)はいう。
日本には「法外の法」という宗教的最高規定が存在し、
それによって、他の裁判官は生き延びたと結論づけた。
「やりすぎない範囲、血のかよった人間らしい範囲」という「法外の法」。

同じく、ベンダサンは無知の恐ろしさの例を言う。
マリー・アントワネット:
「パンが食べられないなら、お菓子を食べればよいのに」と。

私はいいたい。
「やみ米」を食べずに餓死しなかった裁判官はいなかったのか?
さつま芋とその葉っぱで飢えをしのいだ裁判官は何人かはいたはずだ。
だから、私はいいたい。
「山口さんがただ一人」と決めつけ、
日本人一般を規定するような大きな結論を導く、
そのアントワネット的な論理の進め方の怪しさこそ、
ここの「生き方」を話題にしない総合一般化の論理の非論理性こそ、
子供たちは話し合うべきだ。

何故2,親は学校を、学校は家庭のせいにするのか?
私は答えた:
戦争も正義と正義の戦い。
死んだものを、そして死んでいくものを祭りあげる。
祭るのでなく、ここの死を「生き方」として話しあうべきだ。
正義は両方とも正義なのだから、
ここの戦いの理由動機を話し合うべきだ。

何故3、同じ年齢の子供を集めるか?
私は答えた:
同年齢の子の言葉や行動は、影響力が親よりも大きい。
一人二人でなく、数十人の子と生活をともにする方がよりよい。

泥水にあるゆえに清花をはっきりと見ることができる。
泥水であるゆえに清花が生まれる。
煩悩即菩提。

No.77
2006年10月16日 06:30
送信者:鈴木克己 < >
表題:自由な人格性

掲示板やブログアラシについて述べたい。

掲示板などを閉鎖させることが目的なのだろう。
核実験で嫌悪と憎悪からなるポジティブ・フィードバック循環を狙う目的と同じだ。

ウェーバーは、
目的論的・合理的な「行為」の中に「自由な人格性」を発見した。

本居宣長も歌の中に「自由な人格性」を見いだした。

宣長・『蘆わけを舟』:
霊異(あやしき)をみて偽りとし、
決して無きことと思ふは、
ゆきづまりたる腐儒の見識、はなはなだ狭し。
人間の思情のうち、色欲より切なるはなし。
故に古来恋いの歌、もっとも多し。
そのうち非道淫乱の歌もあるべし。
これ歌の罪にあらず。
これ作者の罪なり。

私もいいたい。
これインターネットの罪にあらず。
これ個々の作者の罪なり。

さて、
以前にも私は言った。

自由には三つの自由がある。
一つは、“やりたいことをやる自由”。
二つは、“やりたくないことをやらない自由”。
三つは、“そういう自分自身を疑うことのできる自由”。

No.76
2006年10月10日 06:57
送信者:鈴木克己 < >
表題:衆を救う

「いい日旅立ち」(作詞作曲:谷村新司)は、
山口百恵がちょっと大人びた調子で歌っていた。
(その後、21歳のとき28歳の三浦友和と結婚して引退)

幼なじみの少年、
この子はいつまでも幼いまま・・・

だもんで、
私(歌っている女性)は、
日本のどかで私を待っている人に会いに行く。

といことで、
ガメ姫がちょっと大人びていて、
森安さんはいつまでも幼いまま・・と私は解釈した。

ところが、ところがですね〜〜、
(プレイバック調で)

No.72でのガメ姫の思い出を、
私の得意とする誤解と錯覚で深読みすると・・事態は逆だった。

>休み時間の他愛のないおしゃべりで、君は
>「俺は絶対離婚はしてはいけないと思う」と言ったことがある。

誤解1:
これって、
異性に言う場合、プロポーズ。

>皆でお宅に押しかけて泊まり込むと、
>翌朝お母さんがそうめんを作ってくれたりして皆の話相手になってくれた。

誤解2:
これって、
森安さんの深慮遠謀。
大勢に紛れ込ませて、母親に意中の人を紹介する。

>体育祭の仮装行列では、「新幹線の行く手に巨石を置く乞食」

誤解3:
むかし昔、
叡山中興の祖と言われた慈慧大師・良源とその高弟・増賀上人なるものがいた。
ある時、
師の良源が大僧正となった祝いの牛車大行列にて、増賀は先導をしていた。
なんと、
増賀の身なりは乞食そのもの。
そして、
大声を張り上げて連呼していた。
「乞食は気楽、名誉ある者こそ苦しい」

後にその異様な先導によった祝賀行列について、
人に問われて良源は答えた。
「私は衆を救うために大僧正になった」

森安さん、
ゆっくり休んでください。
合掌

No.75
2006年10月07日 20:58
送信者:momo <m >
表題:momo通信68 惜別

昨夜、ビデオ「惜別の詩」をみました。
森安! さよなら、…。

 ではまた

No.74
2006年10月06日 07:06
送信者:あーもんど < >
表題:ごめんなさい

打ち間違いがありました。
適当に修正して読んでください。

No.73
2006年10月06日 06:58
送信者:あーもんど < >
表題:親しくなかったけど

彼とは親しくなかった。
彼は華やかな存在で私は外れそうになりながら端っこにいた。
立高時代は言葉を交わしたこともなかった。
言葉を初めて交わしたのは1989年の新宿ホームレス同期会。
新宿中央公園でホームレスのように2次会をした。
何かの拍子に誰かが私を馬鹿だと言った。
すると横でそれを聞いていた森安君が「(私は)昔からばかだったよ」と言ってくれた(本当によくぞ言ってくれた)
私自身も深く納得する優しさあふれい方だった。
ということは彼ガもは私を知っていたらしい。
校舎惜別の集い(だったっけ?)のときも彼と言葉を交わした。
彼は廊下の片隅で校舎の模型か何かに一人で取り組んでいた。
彼が映画に係わっていることを私はあとから知った。
私は映画好きだったから今村昌平の作品もディレクターズ・カンパニーの監督たちの作品もよく観ていた。
リアルタイムで知っていたら私にとって実に楽しい会話ができたろうにと思う。
相米慎二監督の「セーラー服と機関銃」の助監督だったという。私は「翔んだカップル」の方が好きだったけど。
今村昌平もあんまり好きじゃなかった。(ごめんね、森安君)
彼がカンヌ・グランプリを取った「楢山節考」だって田中絹代が出た木下恵介作品の方が数段優れていたと思うし。

次に会ったのは忠さんのお葬式のとき。
梶原貞幸君のミニに同乗した。
体の大きな梶原君には不思議な組み合わせの車だった。
そのとき彼は私と同じように歩行困難だった。
眼も見えないようだった。
映画の話をすると、彼は今村昌平が映画を撮れなかったときの助監督だと言った。

ほんの少しの思い出しかないのに、親しかった人の話に私も同感してしまうような彼は不思議な人だった。


No.72
2006年10月05日 14:18
送信者:ガメ < >
表題:森安君、ガメだよ

昨日、通夜の儀に参列してお別れをした。
それでもまだ、いろいろな記憶がめぐってくる。

ビートルズのレコードを初めて聞いたのは、立高時代君から借りた東芝の赤いLP盤のファーストアルバムだった。
後楽園ホールに「東京ビートルズ」(笑)なるものを一緒に見に行ったこともあった。
体育祭の仮装行列では、「新幹線の行く手に巨石を置く乞食」というのを一緒にやった。
世が東京オリンピックと新幹線開通に沸く、経済成長の幕開きの年だった。
どういう経緯でそんなことやったのかは憶えていない。

休み時間の他愛のないおしゃべりで、君は
「俺は絶対離婚はしてはいけないと思う」と言ったことがある。
「人と人との諍いは耐えられないんだ」とまじめな顔で言った。
世間でのしていくには難儀するんだよ。そういう人は。

諍いは嫌いとは言っても、彼の人間観察は鋭く深かった。
あの懐の深さはそこから来るもので、ただの人の善さではないのだ。
時々すごい辛らつな事を言う。

しかし彼は一生独身だった。
でも女房役がいた。米山君ていう。
お見舞いに行った時会った米山君に
「ずーっと最後の最後まで腐れ縁だね。森安君とは」と言ったら、
「何もないよりそんな人生の方がいいんじゃない」との言葉。
本当だ。本当にそうだ。

高校を出てからは世情も騒がしく、自らの当て所もないまま吉祥寺の数軒の場所に屯っていたものだ。
誰が誰を呼んできたのもわからない、大勢の人達が出入りしていた中心に森安君がいた。
朝方近くまで飲んで、そのまま皆でお宅に押しかけて泊まり込むと、翌朝お母さんがそうめんを作ってくれたりして皆の話相手になってくれた。
そのお母さんはまだご健在でお通夜でお目にかかった。
君がただ一つ大馬鹿だったのは、お母さんに先立ったことだよ。

大学時代はフットボールをやってたのかな。
フランス語学科だったので卒論はジャン・ジュネだったと聞いた憶えがある。
何となくわかるね、と思った。
その後、君は映画界に進み、皆もそれぞれの行き先を何とか探り当て、散っていった。

数年前同僚の相米慎二監督が逝き、今年に入って今村監督、鈴木忠と相次いで先立たれ、そうとう力を落としていたのだと思う。
特に3ケ月前忠を喪ってからは目に見えて衰弱が進んだように思う。

演歌の難曲中の難曲、盲目の津軽三味線弾き高橋竹山を歌った「風雪流れ旅」。
『破れ単衣(ひとえ)に三味線抱いて〜』
と始まるその歌を、森安君が忠と歌ったのを聞いたのはは3、4年前の集まりの時だったか。
本家の北島三郎よりも、ソウルフルであった。
思えば、君は文化人であるよりも、流れ芸人の魂を持つ者であった。

と、分かったような分析をしてみたが、私自身、森安君の強力な磁場のおかげで、
何とか暗い立高時代をやり過ごすことができたのだ。

ありがとう。

でも淋しいよ。

No.71
2006年10月05日 09:26
送信者:川合浩一 < >
表題:またも巨星が空に帰ります。

森安が逝ってしまいました。

今年になって稲毛、鈴木と立高時代から近しい友達が去って行きました。
そしてまた、今回は森安。

立高に入った時、1Eで同じクラスでした。正直、変わったやつが
入ってきたと言うのが第一印象でした。しかし、笑いと奇抜な行動で
いつも輪の中心にいました。それでいて自身はとても繊細で他人に
対する気の使い方は誰も真似ができません。

それは生涯変わらなかったと思います。
柔道のために生まれてきたかの様な短躯短足、先に逝った忠の痩身長足とは
体型としては全く相反する二人ですが、同じような性格であったような
気がします。

森安と最後に会ったのは忠の葬儀の時です。車椅子でした。
その時の顔を考えると、昨日通夜で見た彼の寝顔はとてもやさしいものでした。

今日の式には出られません。 そのやさしい顔で旅立ってください。
そして、忠に会ったらいつものように「ヨッ!、元気か?」と声を
掛けてやってください。

皆をいつも空から見つめる大きな星が一つ増えました。

No.70
2006年10月04日 13:19
送信者:嶋田君枝 < >
表題:森安君、いくらなんでも・・・

森安君の訃報は、よんどころない用事で出かけていた遠いブルガリアで聞きました。
「奇跡を信じて・・・」のメールを米山さんに送ったあと、数時間もたたないうちに、
“森安死す”のメールを受け取りました。移動中の車窓が一瞬にして曇りました。
渡欧する直前にお見舞いに行ったとき、
「帰国したら会いにくるからね。そのときは話ができるようになっていてね。」
の私の呼びかけに、微かに微かに何度もうなづいていたのに。

思い出はつきません。
特に、(財)津田塾会に勤務していたとき、ビデオ通信講座を3種類企画し、それを成功裡に提供できたのは
森安君のお陰でした。単に授業を撮って、編集するだけなのに、時間をかけて編集してくれ、
とても丁寧な作りのものができあがりました。どう考えても、そんなに時間をかけたら、
撮影・編集など採算があうはずがない、と素人目には思いました。
一度そのことを聞いたとき、
「自分がやるものだから、納得したものを作る。」
と大変に彼らしい答えだ返ってきました。
本職のほうの仕事は、あるときポンと一本のビデオ映画が送られてきたものしか知りません。
たしか松尾タカシが主演していたもので、「人生はサイコロで決められている?」
という大変に彼らしいテーマのほのぼの喜劇でした。

森安君、一緒に歳を取りたかったです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

No.68
2006年10月04日 11:48
送信者:米山 学 <manayone@parkcity.ne.jp >
表題:わが友森安建雄

わが友森安建雄

 高校を卒業後も、バンド(へたくそで進歩しない)を一緒にやったり、毎週のように会って

 吉祥寺を根城に、時計を質屋に入れたりしては、飲んでいましたね。

 母親同士が知り合いであったこともあり、家にも行ったりきたりしましたね。

 俺の結婚式(28歳のとき)は、お前がすべて演出し、大騒ぎしましたね。

 おまえは、ストリップをしたり、今その写真をひっぱりだしみています。

 その後、お互い仕事のこともあり、しばらくいききがなくなったけど、

 立高の校舎惜別の会前後から、またいききするようになりましたね。

 おまえは、今村プロをでて、デイレクタ-ズカンパニーに属していました。

、その会社も倒産し、社長は雲隠れ、保証人になっていたおまえは、

 借金を肩代わりし、ヤーさんのところへ、返済交渉にいったりいていることを、

 俺の会社にきて、おもしろそうに話していましたね。

 その後、若い子たちに演技等の指導をするようになりましたね。

 若い女の子を前に、卑猥なことをいいながら、教えていたのでしょう。

 そのくせ、きらわれもせずに。

 おまえとは、いつあっても、高校生のときにもどれました。


 おまえが、糖尿病の治療に、連れて行かれてから、ここ2年ほど

 連絡をしていませんでした。

 おまえの生徒から連絡があるときなろくなことがありません。

 今年の2月末ごろ、お前の生徒から会社に電話があり、いま杏林病院に入院しており、

 会いたがっているときき、驚いてあいにいきました。

 そこでの第一声は、「どなたですか」でしたね。

 もう目が見えないこと、去年足を骨折し、日赤に入院したこと。

 今回の入院で透析になったこと。忠がもう長くないことなどを知りました。

 (忠には、翌日会社の方に連絡しましたが、本人いわくだいじょうぶとのこと、

 4月に再会を約束しましたが、会えたのは彼の葬儀のときでした。)

 3月に退院した、おまえの家に様子を見に行き、そこで脚本家にもあいましたね。


 忠の葬儀後、そろそろ様子を見に行こうとおもっていたところ、

 9月3日夜に、またまたお前の生徒から、うちに電話があり、2日に杏林に再度入院したと聞き

 翌日面会にゆき、西川、伊賀、嶋田に連絡するようにしました。

 当初は話もできましたが、そのうち話も出来なくなり、ついに10月1日9時18分、

 闘病むなしく、なくなってしまったね。


 今日から、お前の葬式が始まります。おまえならどんな演出をしたかななどとかんがえいます。

 明るく、にぎやかに、送り出しましょう。

 もう、忠と楽しくやっているかな。


 俺が、そちらにいくまで、しばらくさよならだね! 

 あばよ、森安!あばよ! 忠によろしく!  

No.67
2006年10月04日 05:39
送信者:鈴木克己 < >
表題:今から思い出を創るため

森安さん、ゆっくり休んでください。

立高時代、
あなたはマブシイくらいに輝き、活動していましたね。
一方、私は透明人間でした。
うすぐらい図書館の中で本ばかりの毎日。

その後、
あなたは実社会で私の何倍も生きていたにちがいありません。
一方、私は今でもほとんど変化なし。
昼間から夢ばかり観ている毎日。

今、
歌を口ずさみたい気分だ。
「いい日旅立ち」
(作詞作曲:谷村新司)
(このサロンでガメ姫が大好きだといった歌でもあったね)

岬のはずれに少年は魚つり 青い芒(すすき)の小径を帰るのか
私は今から思い出を創るため 砂に枯木で書くつもり
 「さよなら」と

今晩、
本立寺でのお通夜に参列したい。

合掌

No.63
2006年10月03日 14:47
送信者:マロン < >
表題:えっ!あの森安が??

一緒のクラスになったことはないけれど、
森安君は今で言う立高18期のアイドルでした。
みんな森安君のことは知っていたはずです。
ちょっとワルっぽい格好をして、ワルっぽく振舞ってはいたけれど、純粋ないいやつだってことをみんな、みんな知っていました。
天に召されてもまわりのみんなをなごやかな雰囲気に持ち込んでくれるでしょう。
2月の稲毛さんに始まり、6月に鈴木忠さん、今度は森安さん、
お友達が段々減っていく。寂しい秋になりました。
4日はなんとか都合をつけて通夜に参列したいと思いましたが、あいにく6日提出のレポート作成に深夜まで残業になりそうです。
ここで哀悼の意を表してご冥福をお祈りします。  合掌

No.62
2006年10月02日 15:40
送信者:西川和人 < >
表題:森安建雄さんがお亡くなりになりました。(訃報)

皆さんに悲しいお知らせをしなければなりません。

立高18期の人気者だった森安建雄さん(1E、2A、3E)は、病気療養中でしたが、10月1日午前についに帰らぬ人となってしまいました。

6月に鈴木忠夫さん、そして今度は森安さんと、いずれも1Eの同級生であり、18期同期会の幹事仲間でもあった人たちです。あまりにも早く相次いで逝かれてしまい、悲しみに言葉もありません。

9月初めに入院したことを知り、3度ほど見舞いに行きましたが、2回目からは集中治療室に移っており、自分から話をすることは難しくこちらの言うことに頷いてくれるだけになり、厳しい状況が続いていました。
毎日見舞ってくれていた米山学氏と奇跡を祈っていましたが、それもついにかないませんでした。

心からご冥福をお祈りいたします。

ご葬儀の日時等は次の通りです。いらっしゃれる方はできるだけ見送って上げて下さい。

  お通夜 : 10月4日(水)18時
  告別式 : 10月5日(木)12時
  会場  : 本立寺(ほんりゅうじ)
武蔵関駅(西武新宿線)北口徒歩2分 
       練馬区関町4−16−3
       tel:03−3920−1384
           03−3929−5884[斎場直通]
中央線ならば、吉祥寺よりバスあり

  喪主  : 森安 裕(ゆたか)様(実兄)

注)駐車場スペースが狭いので、出来るだけ車は避けてくださいとのことです。

No.61
2006年10月02日 06:58
送信者:鈴木克己 < >
表題:純粋で静かな心

9月29日午後、
衆議院本会議での阿部首相の所信表明演説。
かつて、アインシュタインは、訪日した際、
「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」と述べています。
21世紀の日本を、アインシュタインが称賛した日本人の美徳を保ちながら、魅力あふれる、活力に満ちた国にすることは十分に可能である。
日本人には、その力がある。
私(首相)はそう信じています。

さて、
私(物理)もかつて、No.323(2005/12/26)「少子化」にて、
アインシュタインの上の言葉を引用したことがある。
再び述べてみたい。

人としての幸せを思い出してほしい。
たとば、
コーヒー本来の香りや微妙な味わいを思い出してほしい。

濃いコーヒーに砂糖を入れ、
さらに胃に悪いからとミルクを入れ何倍も飲む。
昔はその筋の人しかやらなかった歩きタバコ。
それを普通のサラリーマンがやるようになった。
それらを許容・宣伝し、
さらに、
自動販売機で推進する国、自治体、国民に日本はなってしまった。

1922年の暮れに日本を訪れたアインシュタインはいった。
旧い日本人がもっていた、
生活の芸術化を、
謙虚さと質素さを、
そして、
純粋で静かな心を忘れないでほしい。

私(物理)は思う。
少子化の原因は、
「幸せを感じる純粋で静かな心」を忘れたことにある。

しかし、
先週、カントの「批判」で指摘したように
批判を押さえ込むようなフェアでない
「幸せ」や「静か」は反対の結果に導く場合がある。

金銭を伴う臓器提供やアヘン嗜好は、
提供側と受容側との間に一見、同意があるようだ。
でも、
その「同意」に不可欠なものは、
自由かつ公然とした批判だ。

10月1日、タイ暫定首相のスラユット元陸軍司令官はいう、
「GDPより国民の幸せを基準にした経済政策」と。

幸せと反対の方向に行かないことを私は祈りたい。

アヘン戦争のころの中国でつくられた長詩。
王尚辰の『相思曲』:
(相思とは男女が離れがたいのに似ているのでアヘンのこと)。

炎荒、瘴毒、金蚕(きんさん)の蠱(こ)
早鴉(そうあ、黒いカラス、アヘンのこと)人を噛み、肌骨(きこつ)腐る
脂(あぶら)を磨し血を滴れ春華を打つ
博就(はくじゅ)す相思一塊の土
相思の土砕け青煙飛ぶ
拌(かきま)ぜて内地をして金銭を輸し
閭閻(りょえん、民・百姓のこと)の元気、澆薄す
・・・・
ああ
世間、多少(いくた)の奇男子
一生甘んじて相思の死をなす

No.60
2006年09月25日 05:45
送信者:鈴木克己 < >
表題:自由な人格性

モーツアルト/レクイエムはCDで聞くことが多いクラシックのひとつです。たしかに合唱とのコンビがすばらしい。
期待したい。

さて、
『経済と社会』を著したウェーバー(1864-1920)は、
目的論的・合理的な「行為」の中に「自由な人格性」を見いだした。
この「自由な人格性」という「人として固有の概念」こそ、
カントが強調したものだ。

カント(1724-1804)は国家の一員としては、受動的であった。
生まれ育ったケーニヒスベルグを一時も離れることがなかった。
7年戦争でロシアに占領された時(1758-1763)、
カントはロシアの臣民にこだわりなくなったし、
戦後に再びプロイセン臣民に戻ることにもこだわりはなかった。

君主は服従せよ。
聖者は信じろ。
将軍は訓練せよ。
官僚は税金を納めよという。

しかし、
カントはペンにおいては受動的でなかった。
1776年、「アメリカ独立宣言」
1787年、カントの『純粋理性批判』
1788年、カントの『実践理性批判』
1790年、カントの『判断力批判』

カントはペンにおいて「人として固有の概念」である、
「自由な人格性」を発揮した。
カントの上記三部作哲学の真髄は、「批判」。

カントは主張する。
既存、神聖、威厳、によって批判を押さえ込むのはフェア(gerecht)でない。
服従、信仰、訓練、納税には、
自由かつ公然(frei und offentlich)な同意(Bewilligung)を必須とする。

だからこそ、私は指摘したい。
君主、聖者、将軍、官僚にも「立場としての固有の人格性」があるだろう。

さて、
タイのクーデターにおいて、「立場としての固有の人格性」は分かった。
では、
ペンを持つものの「自由な人格性」はどうなっているか?

さて、
日本のクーデター未遂事件、2・26事件(1936年、S11年)、
その年に(1941年ではない)、
「帝国国防方針」の第3次改訂が将軍の帷幄(いあく)上奉権によってなされた。

帝国の国防は米国、露国を目標とし、併せて支那、英国に備う。
米国を敵とする場合における作戦は左の要領に従う。
東洋に在る敵を撃滅しその活動の根拠を覆し、
かつ本国方面より来航する敵艦隊の主力を撃滅するを以て初期の目的とする。
これがため、
海軍は作戦当初速やかに東洋に在る敵艦隊を撃滅して東洋方面を制圧すると共に、
陸軍と協力してルソン島およびその付近の要地ならびにグアム島に在る敵の海軍根拠地を攻略し、
敵艦隊の主力東洋海面に来航するに及び、機を見てこれを撃滅す。

さて、
今日、日本の首相には、
フェアな世界的視野にて、
日本人としての「自由な人格性」を発揮してもらいたい。

No.59
2006年09月23日 23:59
送信者:とし < >
表題:Sunday Harmony ホームページ移転のお知らせ

お久しぶりです。

今までホームページを載せていた無料サーバがコケて、再起の
見通しが立たないため、やむなく以下のURLに引越ししました。
ブックマークやお気に入りにURLを登録されている方は
お手数ですが修正をお願いします。

http://sunday-harmony.jpn.cx/

なお、来年秋には、我々が井上先生に出合って高2の時に体験
することとなった思い出の曲
  モーツアルト/レクイエム
をメインに演奏会を開きます。但し今回は弟子のジェスマイヤー
が補筆した通常版でなく、その後の研究成果をもとにロバート
・レヴィンが改訂し 1991年に初演した「レヴィン版」で演奏
します。違いを楽しんで頂ければ幸いです。


No.58
2006年09月20日 05:43
送信者:鈴木克己 < >
表題:国体

9月19日の深夜(日本時間では9月20日)、
タイにて、陸軍によるクーデターか?

1991年2月にスントン軍最高司令官らがクーデターで憲法を停止し、軍政を敷いて以来15年ぶりになる。

タイ憲法規定では国王が三軍を統帥。
ならば、
プミポン国王の意向が国軍の方針を決める。
プミポン国王の勅命によりクーデターが認められたとの報道がある。
何ヶ月も国会が開かれない事態に国王が危機感をもったのだろうか?
ネパールの前例もある(それともデマか?)。

もし、国王主導になったのならば、
2・26事件(1936年、S11年)の進行とは異なる。

岡田首相役のタクシン首相は外国滞在中なので、首相殺害を狙った直接行動ではないようだ。
そして、
高橋蔵相、斉藤内大臣、鈴木貫太郎侍従長長官海軍大将、渡辺錠太郎教育総監などの役もいないのだろう。

自決の野中四郎陸軍歩兵大尉、民間人で銃殺の北一輝宅、村中孝次、磯部浅一、西田祝、
そして銃殺の安藤輝三陸軍大尉、栗原安秀陸軍中尉・・・・の役は、
今回は銃殺にならないようだ。

蹶起趣意書の部分:
君側の奸臣(かんしん)軍賊を斬除(ざんじょ)して、彼(か)の中枢を粉砕するは我等の任として能(よ)く為すべし。
臣子たり股肱(ここう)たるの絶対道を今にして尽くさざれば、
破滅沈淪(ちんりん)を翻(ひるがえ)すに由(よし)なし。
茲(ここ)に同憂同志機を一にして蹶起し、
奸賊(かんぞく)を誅滅(ちゅうめつ)して大義を正し、
国体の擁護(ようご)開顕(かいけん)の肝脳(かんのう)を竭(つく)し、
以て神洲(しんしゅう)赤子(せきし)の微衷(びちゅう)を献ぜんとす。

では、
斬除・誅滅などのトラブルは今のところなかったようだが、
大義を正し「国体」の擁護開顕の肝脳を竭せたのか?

国によって、いろいろな政治体制があってもいいだろう。
でも、
1932年に立憲君主制に移行後、16回のクーデターが起きた。
国王の一言で方針が決まるのは便利国体なのかもしれない。
でも、
国王が三軍を統帥している民主的な国家であるかぎり、
国王を担ぎ出し、安易に軍が政治に介入するクーデターはこれからも何度でもあるだろう。

さて、
タイ陸軍による今回のクーデターは成功したのだろうか?

No.57
2006年09月11日 05:35
送信者:鈴木克己 < >
表題:素戔鳴と雷鳴

今日(9・11)は、
夜中の3時ごろに雷鳴と雷光にて目覚めた。
昨日のカンカン照りで気象が不安定になったようだ。

地表が加熱し、夕方または夜間に上空が冷え、
急激な上昇気流により、雷雲が発生した。

その雷雲の上部がプラスに帯電し、
下部(加熱された地表側)がマイナスに帯電し、
加熱された地表はプラスに帯電した。

地表から上空い向かい、
プラス、マイナス、プラスの層状構造が急激に発生した。

地表と雲の間での放電により、雷光、雷鳴。
ピカ、ゴロゴロ(ピカ、ドンともいう)。

物の理(ことわり):
無質量場(電磁場や重力場)の「ゆらぎ」は、
2次元以下では、
大域的な連続対称性が自発的に破れて、
安定した秩序として存在しない。
(長波長側の(低エネルギ側の)積分発散による)

さて、
今年の4月ごろ「最適解とは安定解」について、私は述べた。

ヤン・ミルズ接続の安定性定理(J.Simons):
Gをコンパクト・リー群、Pを5次元より大きな次元球面多様体上の主Gバンドルとする。
Pのヤン・ミルズ接続(非可換ゲージ解)は、
その曲率(曲率とは力)がゼロでないかぎり、安定解にならない。

よって、
今回の雷光・雷鳴の理論の「2次元以下では安定しない」と合わせ考えたい。

「安定な世界は3次元または4次元しかない」

さて、
何故、雷鳴は低音の「ドン」または「ゴロ」なのか?
音が空気中を進む場合に減衰する値として、
音の周波数(波長)依存性が大きいことが原因。
500Hzと4000Hzでは後者の方が前者と比べ、
200倍も減衰が大きい。

さて、
何故、「行きはよいよい、帰りは怖い」のか?
昼間の暑い内は上空も暑いので、急激な上昇気流がない。
夕方になると、地表が高温なままで、上空が冷え、
大域的な連続対称性が破れ、
不安定な層状対称性が発生し、
元に戻る過程として、
ピカ・ゴロゴロ。

さて、
何故、スサノオ(素戔鳴)尊か?
出雲地方の神社の特徴に注目してもらいたい。
太い注連縄(しめなわ)に白い垂れ紙。
雷雲と雷光だ。
スサノオ(素戔鳴)とはスサマジイ雷鳴。

No.56
2006年09月11日 00:58
送信者:momo <m >
表題:momo通信67 花魁草

久々にKimieさんの【花便り】、お元気そうで何より。
私は7日にみいこchanと久々に昭和記念公園に行って来ました。
夏の花は終わり秋の花はこれからという端境期?の平日、蝉時雨の中の静かな散策を楽しみました。印象に残った七つの草花を。

パンパスグラス:西立川口から時計回りで中央広場へ向かう途中の草原に大株がひとつ
(薮原にパンパスグラス泰然と momo)
女郎花:中央広場東側と北東の散策路に、そろそろ終わりか
(夕冷えの切石に置くをみなえし 日野草城)
男郎花:北東の散策路に女郎花と並んで、一部混在するように
(覚めてすぐ近き水音をとこえし 田中裕明)
鷺草:展示館の入口前に鉢を並べて
(風が吹き鷺草の皆飛ぶが如 高浜虚子)
ナンバンギセル:TVでおなじみ、ススキの根元に
(陽も風もとどかぬところ思ひ草 城間信子)
禊萩:西立川口近く池の周りの湿地に
(みぞはぎの露にとどけり昼の鐘 細見綾子)
花魁草:帰りの西立川口近くで2cmほどのピンクで中央の色の濃い花が集まって、
その場では名がわからずにデジカメで撮って家で調べ
(揚羽蝶おいらん草にぶら下がる 高野素十)

ではまた

No.55
2006年09月08日 02:54
送信者:Kimie < >
表題:山上憶良から始まった・・・【花便り No.25】

ホントはこんなことしてられないのです。必死でやらなきゃならないことがあるのに!
でも、花は待っていてくれません。
そして、パートナーとのコミュニケーションも取らにゃあアカンし・・・
ということで、行ってきました。秋の七草巡りです。

秋の七草は山上憶良の
  「秋の野に咲きたる花を指(および)折り かき数えれば七草の花」
から始まったそうですが、その秋の七草が秩父長瀞の回りの七つのお寺にそれぞれ植えられていて
まとめて『長瀞 七草寺』として毎年9月中だけパフォーマンスしています。
歩くと14kmの行程ということですが、車で回りました。(関越道 花園インターから秩父へ)
ひとつひとつのお寺は大きくありません。中には、ご住職がいないので、檀家の方が
交代で詰めて本堂を開けている、というところも2〜3ありました!
長瀞は、なんとなく秋の気配・・・かなあ、と感じさせてくれる花がそこかしこに咲いていました。

尾花(道光寺)
 尾花ってなんだ?と思ったらススキでした。そうそう、そんな優雅な呼び名もあったっけ。
 境内には、背丈を超える尾花がどっしりとした株で何種類も咲いていました。
 日本古来の種だけでなく、中には紫パンパスという洋種もありまして・・・???
桔梗(多宝寺)
 桔梗は一度咲いたあと、切り詰めるとこの時期にもう一度咲くのだそうです。
 丈は大分低いですが、紫が清々しかったです。
藤袴(法善寺)
 藤袴の名前の由来は、固まって咲いている花を逆さにすると藤色の袴のように見える、
 ということらしいのですが・・・どうやってもそうは見えません。袴をよく知らないからネェ。
女郎花(真性寺)
 「お寺の縁起を書かれたものはありませんか。」と伺ったら、「住職のいない寺だから、そういうものは
 ありません。」ということでした。背丈に余る女郎花はきっと檀家の方々のご丹精なのでしょう。
 羽音がうるさいほどの蜂が飛び交っていました。今が見頃です。女郎花は終わり頃はちょっと辛いですからネ。
撫子(不動寺)
 今頃撫子が咲いているのだろうか、と半信半疑でした。我が家の撫子は7月ごろ咲きましたので。
 案内の方のおっしゃるには、栽培の難しい花で(だからあまりたくさんは株もありません)ここでは、
 7月ころと11月ころに咲く、ということでしたが、なんとか数株花を見ることができました。
 もちろん、大和撫子です。ピンクが濃くてきれいでした。
萩(洞昌院)
 ここは有名です。20数種類、1万本以上がある、ということです。まだ1週間以上早かったので
 花一杯の枝が枝垂れた風情はあまりありませんでしが、白萩と赤紫の萩が咲いていました。
葛(遍照寺)
 二昔前くらいは、我が家の近くの玉川上水でも見ることができました。テッペンまで覆いかぶささり、
 たくさん花が咲いていたのですが・・・今はありません。
 このお寺は、葛用の棚が作ってあり、下を歩くと葛の独特の懐かしい香りを体験できますし、
 山辺の道を歩くと、お日様に向かって咲く花もみることができます。
 お当番の檀家の(男性の)方が葛切りをさっと作り、あっという間に冷やして出してくださいました。
 その後「甘いもののあとはこれだね。」と冷たいお水を持ってきてくださいました。
 そのお水は柚子の香りとさわやかな味がして、とてもおいしかったです。

参考:http://www.nagatoro.or.jp/

No.54
2006年09月06日 09:01
送信者:鈴木克己 < >
表題:日のもとに千代に八千代のさかえあれ

母子ともにすこやか。

日のもとに千代に八千代のさかえあれ

物理:
千代うべきうすむらさきをこぎわたる 舟のあと見る藤のうし嶋

No.53
2006年09月04日 05:42
送信者:鈴木克己 < >
表題:美しい国

本居宣長:
敷島の大和心を人とはば 朝日ににほふ山桜花

佐久間象山:
事を天下になすものは吉田寅次郎(松陰)
わが子の未来を託すものは小林虎三郎(米百俵)

私は思う。
小林虎三郎の方針を松陰の胆略で実行する。
美しい国にふさわしい。

小林虎三郎の『戊辰の春作』:
九重幼冲無所知 姦邪窺隙逞其私
用兵固非不得已 其奈生霊塗炭悲

きゅうちょう幼冲(えいちう)にして知るところなく
かんじゃ隙(げき)を窺(うかが)ひて其の私を逞(たくま)しうす
兵を用うる固(もと)より已(や)むを得ざるに非ず
其れ生霊塗炭の悲しみをいかにせん

No.52
2006年08月29日 18:29
送信者:momo <m >
表題:momo通信66 レンゲショウマ

 前回のmomo通信(5月)から3ヶ月が経過しました。

6月に、例のペーパーバックスやっとこさ読了の報告をしようと思っていたら忠さんが亡くなったとの知らせ、清水港の麗人との掛け合いももう無いのか。

 先週21日にみいこchanと二人で御岳山へレンゲショウマを観に行って来ました。
 車でいつもの山の辺の道を五日市経由で吉野街道からアクセスし、ケーブルで山上へ。
うつむき加減の可憐な花があすこにもここにもという感じで群生していて、楽しませてもらいました。
例年の見ごろは7月末までなのに、今年は天候不順の影響か9月上旬まで楽しめるとのこと。

冥王星の話、妥当な結論と思う。冥王星を降格し、グループAを固定してグループBは増減可能にしておくということでしょうか?

今日、私のauの手続きをしてきました。ついにケータイを持つ破目に。
未だ使い方が全然わからず、マニュアルと格闘中です。

 ではまた

No.51
2006年08月28日 05:58
送信者:鈴木克己 < >
表題:光のすみか その2

冥王星が太陽惑星でなくなった。

そこ(時空間の点)に在るからではなく、
時空間全体でどのように振る舞うかで物の理(ことわり)が決まる。

2年前の8月に、
銀家系の重力(太陽系も同じ)を私は述べた。
Roy P. Kerr: Gravitational field of spinning mass as an example of algebraically special metrics.
Phys. Rev. Let. Vol.11, 237(1963)237-238.
赤道面の重力はニュートン的。
北極・南極方向に向かうに従い、
重力は回転により小さくなっている。

だから、
太陽系の惑星なら太陽の回転赤道面にて太陽を周回しているはず。
冥王星は大きくずれていた。

しかし、
微少ではあるが太陽の回転の影響で、
惑星は太陽の回転軸に対して歳差運動をしている。
さらに、
惑星は太陽の回転赤道面に対して上下震動をしている。
すなわち、
ドーナッツ(2次元トーラス)の表面を巻き付いているイメージだ。

そこ(時空間の点)に在るからではなく、
時空間全体でどのように振る舞うかで物の理(ことわり)が決まる。

その概念を無剪断叢(shear-free congruence)という。

さて、
Roy P. Kerrは1963年に、
Roger Penroseは1967年に、
「光の住処(すみか)」を無剪断ナル叢(shear-free null congruence)と呼んだ。
R.Penrose: Twistor algebra. J.Math.Phys.8(1967)345-366.

カレン・ウーレンベックの
円(1次元トーラス)筒形の弾道ミサイルによる2球面論も、
1965年ではなく1981年と訂正したい。

しかし、「光の住処(すみか)」に関する値うちは変わらない。
J.Sacks, K.Uhlenbeck: The existence of minimal immersions of 2-sheres.
Ann. of Math. 113(1981)1-24.
The 2-sphers we obtain are conformally immersed minimal surfaces except at a finite number of isolated points, where the structure is that of a branch point.

No.50
2006年08月21日 05:47
送信者:鈴木克己 < >
表題:光の住処(すみか)

20日(日曜)は、高校野球決勝戦。
6回ぐらいから我が家のテレビで観戦。
我が母校・立川高は東京の西部地区。
その東京・西部地区の早稲田実業と北海道の駒大苫小牧。
住処(すみか)に近いというだけで、
早実に気持ちが傾いている自分に気づく。

延長戦になり、長引きそうだと思い外へ出た。
道路に車が少ない。
お盆休みの時期のせいもあるが、
その昔のラジオ番組「君の名は」でのガラガラ風呂屋を連想してしまった。
「早実・後藤主将頑張れ」と墨筆の大書をかざしている家があった。

さて、
今日は、住処(すみか)を考えてみたい。
Julio Iglesiasフリオ・イグレシアスの
QUIJOTEドン・キホーテのCDを聞きながら。

「光のすみか」を考えてみたい。

以前に私の解釈を述べた。
部分群としてのSU(2)の個数だけ核子があり、
各々の核子にはU(1)ゲージが残りモノポールが内在している。
そして、
非可換なSU(2)の個数は電磁力と重力の大きさの比できまっている。

さて、
私の解釈の続き。
可換な部分群は「光のすみか」を構成している。
コンパクト・リー群に含まれる連結で可換な閉部分群はトーラスと呼ばれ、
極大なものが極大トーラス(maximal torus)。
その極大トーラスが「光のすみか」だ。

1965年にカレン・ウーレンベックは主張した。
3次元球体の表面である2次元表面から、
円(1次元トーラス)筒形の弾道ミサイルが飛び出し、
その先端に元もとの2球面と「うり二つの2球面」が生まれる世界があると。

「光のすみか」の個数には、
核子の個数を制限した電磁力と重力の大きさの比(有限な自然数)は無い。
2次元の直交群の基本群は自然数。
極大トーラスの階数も制限のない自然数。
ゆえに、
「光のすみか」の個数は自然数の自然数乗となり、実数。

昔、プラトンはいった。
世界は(オイラー数2の)正三角面体や正四面体などでできている。
次に、デカルトがいった。
空間は、直交した3つの実数の濃度で表現できる。

私は思う。
たしかに、「光のすみか」はその通りにできている。

QUIJOTE:
Me conformo con nada, con todo, y con mas
 私は全てでも、無でも満たされる

仏教でいう「空」とか「中」の思想だ。
nadaはスペイン語で「無」。
サンスクリット語でもnaとかhiは「無」。

No.49
2006年08月07日 06:54
送信者:鈴木克己 < >
表題:政(まつりごと)

一年前のNo.268.「変人か常人か」(2005/8/8)にて、
郵政民営化の衆議院解散にあたり、私は述べた。

佐藤一斎(言志録):
困民義以激之、困民欲以趨之
則民忘其生、而到其死。
是可以一戦。

民の義によりて以て之を激し、
民の欲によりて以て之に趨(おもむ)かしめば、
則ち民其の生を忘れて其の死を到(いた)さん。
是れを以て一戦すべし。

一週間前、
上野の文化会館・小ホールにて、
藤原章雄さんのテノールリサイタル。
オペラ歌手の現役生命は野球やサッカー選手と比べ長い。
それにしても、2時間、会場一杯に響きわたる声量、
たいしたものでした。
これからも、我々のためにも頑張ってもらいたい。

さて、
昨日の早朝と今朝のラジオ。
私は五木寛之さんの「わが人生の歌語り」を聞いている。

旧姓、持丸アシエ。
昭和20年9月20日、平壌にて没。
享年41歳。

五木さんのお母さんだ。
茫然自失の夫と五木少年(当時中学1年生)、
そして、その幼い弟・妹を残して亡くなった。

お互いに知らなかったが、
同じ時、同じ場所の平壌にて、
故・江藤淳さんの慶子夫人もチブス菌とシラミの難民だったという。
江藤淳さんは夫人を評していう。
「アウシュビッツの話にも過剰反応を示さない。
外見からは全然わかない彼女の腹の中にはやくざのアネゴみたいなところがある」

五木さんもいう。
何千・何万という赤子が現地の朝鮮の人や中国の人たちに引取られた。
その記憶もない、名もない残された子供たち、そのまた子供たちにとって、
戦争はその時から始まり、いまも続いていると五木さんはいう。
五木はその連続を『運命の足音』という。

さて私は思う。
江戸時代、お寺が戸籍上の市役所の役割をしていた。
宗門人別帳に記載されていないと、無宿人、非人として扱われた。

今、合祀か非合祀かで世を騒がせている。
記載されているか否か、について世を騒がせている。
参拝する方も、参拝したか否か、
玉串料はどうしたか、名前を記載したか、
昇殿できたか否か、記帳した肩書きは・・・。

たしかに、
政(まつりごと)は祭りごと。
はなやかに、仰々しく顕示してこそ、
より多くの人々に影響を与えることができる。

でも、
日本国民の多くの人たちの、
外見からは全然わかない腹の中は?

誰でも覚悟ができている。
死ぬときは一人。

しかし、
一人では生きていけない。

政(まつりごと)の責任は重大だ。

No.48
2006年07月24日 06:35
送信者:鈴木克己 < >
表題:親の心子知らず

ふらりと言葉が出てきた。
1988年の言葉はウーレンベックではなかった。

天皇陛下の発言:
「親の心子知らず」

たしかに、
首相がいうように心の問題。
個々の国民が今後どのようにするか、
今後どのように思うかについては、
個々の国民の問題なのだろう。
たしかに、
個々の国民は安心立命を行動思考の基本にする。

でも、
1988年の発言:
「親の心子知らず」

天皇家はどうなのか。
指摘された宮司家はどうなのか。

初めに言葉があった。
「光あれ」
「天をも地をも満たせ」

No.47
2006年07月18日 07:00
送信者:鈴木克己 < >
表題:ふらりと出かけてみようかと

庭の百日紅(さるすべり)、まだ咲かない。
でも、
その枝の先端には多くの小さな丸いツボミがその日を待っている。
咲き出すと、つぎつぎにツボミが新たに生まれ、
百日の間、紅の花が咲き続ける。
百日紅の一つの株から、いったい幾つの花が咲くのだろうか?

そのツボミがコピー増殖するメカニズムは、
単細胞生物もそうであるし、
実は森羅万象を構成する分子原子の中の核子(陽子と中性子)も、
コピー分裂し増殖した。

物が生まれるとは、物の元となる何かから生まれること。
この何かとは、時空間などの対称性が減少する事。
時空間がコピー分裂し増殖したので、どの核子も皆同じ。
ぇ! 時空間などの事は何から出来たかって・・・。

言からふらりと出来た。

初めに言葉があった。
「光あれ」
「天をも地をも満たせ」

さて、
7月15日(土曜)、あのあっつーい日に箱根。
3連休の初日、今日は暑くなりそうだ!
インターネットで席がたまたま二つ空いていた。
朝7時にシャワーを浴びて、8時半のロマンスカーに飛び乗った。
ガラスの森とポーラ美術館を訪れた。

ポーラ美術館では、
館ご自慢の「ルノワールの少女」を鑑賞し、ピカソ特集を楽しんだ。

ガラスの森では、ヴェネチアガラスもよかったが、
レストランでカンツォーネの生演奏。
カミさんによると韓国映画での主題歌をカンツォーネ風にしたのもあったらしい。

イタリア民謡といえば、
藤原章雄さんのテノールリサイタル(No.43)が来週末にある。
まだ入場券を購入していませんが、
当日ふらりと出かけてみようかと。

No.46
2006年07月18日 06:59
送信者:鈴木克己 < >
表題:ふらりと出かけてみようかと

庭の百日紅(さるすべり)、まだ咲かない。
でも、
その枝の先端には多くの小さな丸いツボミがその日を待っている。
咲き出すと、つぎつぎにツボミが新たに生まれ、
百日の間、紅の花が咲き続ける。
百日紅の一つの株から、いったい幾つの花が咲くのだろうか?

そのツボミがコピー増殖するメカニズムは、
単細胞生物もそうであるし、
実は森羅万象を構成する分子原子の中の核子(陽子と中性子)も、
コピー分裂し増殖した。

物が生まれるとは、物の元となる何かから生まれること。
この何かとは、時空間などの対称性が減少する事。
時空間がコピー分裂し増殖したので、どの核子も皆同じ。
ぇ! 時空間などの事は何から出来たかって・・・。

言からふらりと出来た。

初めに言葉があった。
「光あれ」
「天をも地をも満たせ」

さて、
7月15日(土曜)、あのあっつーい日に箱根。
3連休の初日、今日は暑くなりそうだ!
インターネットで席がたまたま二つ空いていた。
朝7時にシャワーを浴びて、8時半のロマンスカーに飛び乗った。
ガラスの森とポーラ美術館を訪れた。

ポーラ美術館では、
館ご自慢の「ルノワールの少女」を鑑賞し、ピカソ特集を楽しんだ。

ガラスの森では、ヴェネチアガラスもよかったが、
レストランでカンツォーネの生演奏。
カミさんによると韓国映画での主題歌をカンツォーネ風にしたのもあったらしい。

イタリア民謡といえば、
藤原章雄さんのテノールリサイタル(No.43)が来週末にある。
まだ入場券を購入していませんが、
当日ふらりと出かけてみようかと。

No.45
2006年07月10日 07:20
送信者:鈴木克己 < >
表題:カレン・ウーレンベック

ワールドカップ、レッドカードでジタンダふみ。
サッカー、ボール1個を追いかける。

昨日(日曜)、小平紫芳会。
大貫さん(立高紫芳会理事長)に会って、私は言った。
名簿部会がドンドンすすんじゃっていますよ。

さて、
大陸間弾道弾は球体表面の地表から撃ち出され、
数分で大気圏外にて多弾頭に分裂する。

大腸菌などの単細胞生物は自分自身をコピーし、
次々に指数関数的に増殖される。

ところで、、
宇宙インフレーション理論とは、時空間自身がコピーされ増殖する理論。
それは、
宇宙全体かつ一様に充ちている温度3Kの宇宙背景放射を説明する。
1965年に宇宙背景放射は発見された。

1965年、カレン・ウーレンベック(Karen Uhlenbeck,23歳の女性)は球面がコピーされ増殖することを数学的に証明する最初の論文を発表した。
J.Sacks, K.Uhlenbeck: The existence of minimal immersions of 2-sheres. Ann. Of Math. 60(1965)540-567.

2-shere、すなわち3次元球体の表面である2次元表面(2球面)から円筒形の弾道弾が飛び出し、
その先端に元もとの2球面と「うり二つの2球面」が生まれる世界を彼女は考えた。
二つの繋がった提燈(ちょうちん)でも、
一つの提燈と連続位相的にも微分位相的にも同じ。
オイラー数が同じ。

飛び出す提燈の数は2次のチャーン数で決まる。
例えば10の78乗の提燈でも成立する。

1988年、カレンは2次元を4次元の時空間に発展させた。
K.Uhlenbeck: Removable singularities in Yang-Mills fiels. Comm. Math. Phys. 83(1988)11-29.
4次元空間がヤン・ミルズ場によって割られたモジュライ時空間にて、
4次元ソリトンが共形場の無限遠にて多数集積している姿。

カレン・ウーレンベックの数学を私は物理イメージにしてみたい。
ヤン・ミルズ場のSU(2)+U(1)は核子を産む場であり電磁場でもある。
重力で曲率が決まる4次元時空がヤン・ミルズ場によって割られたモジュライ時空間。
そのモジュライ時空間は共形変換的ホログラフィーにて核子がコピー増殖する。
それが、宇宙のインフレーションだ。

カレン・ウーレンベックによると、
ヤン・ミルズ接続場の2次チャーン数で特異点数が決められるという。

私ならこういう。
宇宙に存在する核子の数は、
電磁力と重力の大きさの比で決まる、
すなわち、
電磁力と重力の2次チャーン数の比で決まる10の78乗個。

No.44
2006年07月03日 07:05
送信者:鈴木克己 < >
表題:

西川さんに、
No.42では呼び捨てにして申し訳ない。
話相手の方が先輩の親しみで西川さんを呼び捨てにしてもので、
おちょうし者の私は、ノーチェックで書いてしまいました。

さて、
40年前(1966)の6月30日、
1万人が収容可能な武道館にてビートルズ公演。

政治評論家の細川隆元さんと小汀利得さんはテレビにて、武道館使用の問題に触れ
「こじき芸人に武道館を使わせてたまるか」と発言したそうな。

「道とはこういうものであったはずだ」、
「これからもこうあるべきだ」、
と主張すること、それ自体はおおいにやるべきだ。

でも、
魯迅が『故郷』にていうことも真実だ。
「もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」

さてさて、
一昨日の7月1日(土曜)、高校同窓会の名簿部会に出席。

名簿のデザインをどうする。
広告の募集とその収入の確保をどうする。
広告を募集するにあたり名刺をつくらないと・・・。

たしかに、
6年前の名簿作成にあたり多くのご苦労話などを聞けば聞くほど、
やらねばならない、通らなければならない道筋が数限りなく出てくる。
実務的な決定事項の列挙、それに基づく役割分担や期日の決定などなどだ。

でも、
これから作成し配布する同窓会名簿は、
6年前の社会的な前提と同じなのだろうか?

開戦が決められたならば、
日清・日露戦争以来の「必勝の信念」のもと、
詳細な実行手続きと動員体勢を決める「必要」がドンドン生ずる。
それには有能な人たちがドンドン「必要」になり活気づいてくる。

さて、
その日の名簿部会もそろそろ終わろうとする時、
私は発言した。
(陛下や首相という言葉は直接使わなかったが)

同窓会理事長は天皇陛下。
ならば、名簿作成にあたり、
東条首相にあたる人物を未だに決めていないのは何故か?

その決めていない状況下で必勝の詳細を決められるのは何故か?
すべてを決めてからその責任者を決めようとし、
それができるのは何故か?

独裁者を決めろとは言ってない。
特定の弁護士や会計士などの言葉を鵜呑みにするのでなく、
当事者(利害当事者)として判断を下すのが責任者。

同窓会名簿部会では、
個人情報保護管理責任者が未だに存在しないまま話がすすんでいる。

私は思う。
名簿を配布するなら、
個人情報保護管理という新しい道のもと、
日本中の同窓会にとって参考になるような名簿とその作成手順にと。

魯迅の『故郷』:
もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

No.43
2006年06月26日 20:57
送信者:西川和人 < >
表題:藤原氏のリサイタル。

10日ほど前に、朝日新聞の題字下に、18期同期の藤原章雄氏のテノールリサイタルの広告が出ていることに気がつきました。

7月28日(金)東京文化会館(上野駅そば)小ホールにて19時開演、3000円でオール自由席。ミリオンコンサート協会03−3501−5638で取り扱いとのこと。

そういえば、最近さっぱり案内がないなあ、と思っていたところ。
残念ながら当日は予定があって行けないのですが。

No.42
2006年06月26日 06:58
送信者:鈴木克己 < >
表題:意思か石か

6月25日(日曜)、日経新聞の「私の履歴書」
遠藤実さんの25回の「退任」に、
ミノルフォンという自分の名前を冠する会社から、
その会社から石もて追われる。

社長時代に取り替えた社用車のタイヤ代金の請求書が、
会社を退任後送られてきたとある。
石もて追われる。

公費と私費の区別とは何か?

さて、
6月25日(日曜)、立川グランドホテル
都立・立川高校卒業生同窓会である、
紫芳会・会員大会があった。
在校生による弦楽演奏は会の始まりを盛り上げた。

型どおりの事業決算と事業予算の報告などが終わった後、
参加者になさんがお楽しみの懇親会(参加費5000円)。
参加者の6分の5以上は私より年輩の方々であった。

私の席の隣は青梅市長さんだった。
高校・大学とバスケット部だったので西川のことを知っていた。
高校生時代の話をしながら私は聞いた。
どうしたら、市長になれるのですか?
国会議員よりも、市長や知事の方が政治家としてやりがいがあるのでは?

遠藤実さんの「私の履歴書」が頭にあったので、
市としての事業決算と事業予算、バランスシートなどにも話はおよんだ。

6月26日早朝、
青梅市役所のホームページにて市長の公務日誌と交際費。
5月分の交際費は137,750円。
葬儀弔生花や懇親会費が主なものだった。
昨日の同窓会の懇親会費は私費と公費のどちらに計上されるのであろうか?

小平市役所のホームページにもいってみた。
小平市長の5月分の交際費は103,000円。
5月1日だけで9件が計上されている。
どうも、
市長さんの交際費とは公務としての形式的な慣例のようだ。

政治家の石、いや個人の意思として投じる費用は私費なのだろう。

No.41
2006年06月20日 17:58
送信者:西川和人 < >
表題:忠さんの葬儀

忠さんのお通夜はみなさまごくろうさまでした。

自分は、16日の日に奥様から、葬儀・告別式で立高の誰かにお別れの言葉を述べてもらいたい旨依頼を受け、自分が最適任かどうかはともかくご依頼には何らかの形で応えたいと考え、さりとて、月曜の午前という日程も併せ考えると適任者でかつ引き受けてくれる人を直ちに見つけることは至難であること、たまたま開式が10時であることが幸いし、何とかやりくりすれば前半の30分程度は出席が可能だったことから、19日の葬儀・告別式の冒頭の30分余り参列し、お別れの言葉を述べさせていただきました。

当日は、前夜の通夜と同じしつらえの会場で、忠さんの変わらぬ笑顔を正面に、最初に忠さんの履歴の紹介があり、次にADKインタナショナルの社長が、社長に就任した3年前からの忠さんとの関わりについて話をしました。
社内で自分と合う人間を探した結果、忠さんを見込んで営業の責任者になってくれるよう頼み、忠さんがそれを引き受けて間もなく手術をすることになってしまったこと。忠さんは手術後も引き受けたことを徹底して実行し、成果を挙げた旨紹介し、決めたことを徹底して実行した忠さんに感謝し、その人間性を賞賛しました。
仕事も遊びも手術前と手術後、転移の判明前と判明後とでまったく変えようとせず、同じ姿勢で精一杯取り組んだことは、天晴れというべきか、忠さんにしか出来ない美学というべきか。また、最後まで病魔との戦いをあきらめなかったことは、前夜、奥様が森安に、抗がん剤がもうないと医者から宣告された際に、忠さんがくやし涙にくれた話しをしていたことを思い起こし、改めて深い感慨を覚えました。

また、職場の同僚と思われるもう一人は、こんな話をしました。
手術後しばらくして転移の話を打ち明けられ、その時から二人は共犯者になった。酒を飲み、タバコをすい、マージャンをし、ゴルフをし、たらふく肉を食べ、互いに今までと少しも変わらない生活をし続けた。
彼が忠さんと最後に会ったのは、5月11日。ちょっと外に出ているからマージャンをしないかという誘いだった。その日の闘病記録には『脱走』とあったそうです。
翌日、「わがままを聞いて、付き合ってくれてありがとう。」というメールが来た。どう返事しようかと考えた末に、「待っている。」と返した。その後連絡はないままだったとのことです。

この場に提示すべきものではないかも知れませんが、お別れの言葉として自分が述べた内容を以下に掲載しておきます。急ごしらえでつたないものであることはお許し下さい。



(鈴木忠夫さんを悼んで、別れの言葉)

鈴木忠夫さん、いや、我らが「ちゅうさん」が、こんなにも早く逝ってしまうとは、3日経った今でもまだ現実とは思えません。

「ちゅうさん」は立川高校の同期の仲間でした。初々しい詰襟の1年次、男子だけの50数名のクラスで同級でした。楽しい思い出ばかりの1年間でしたが、いろんな行事にクラスがまとまって参加しました。「ちゅうさん」はいつもその中心にいて盛り上げ役を買って出てくれました。

中でも体育祭の仮装行列大会に参加したとき、カルメンのパロディーを演目に選び、歴史上の有名人がカルメンに言い寄り、次々に振られまくるストーリーを考えましたが、「ちゅうさん」は当然のごとく最後に登場するドン・ホセに選ばれ、見事に団体優勝を勝ち取りました。

クラブ活動は英語部に属していましたが、まじめな他の部員をリードして女子高との合コンを企画し、部の性格を変えてしまったと聞きました。すらっとした長身でマスクも甘く、運動能力も優れており、男性として魅力的でしたから、女生徒にも人気があり、また、我々よりいくらか早熟でしたので、特定の女生徒との男女交際もありましたが、隠し立てのない純粋なものでしたから、皆が応援していました。

高校卒業後はしばらく直接の接触は途絶えていました。付き合いが再開したのは、卒業後20年余りを経て、立川高校の同期会を開催し始めた頃でした。お互いに同期会の幹事となり、同期会のアレンジについてあれこれ相談するようになってからです。すぐに高校時代がよみがえって親交が深まりました。何回目かの同期会では、「ちゅうさん」がプロデュースした、立高の校章入りのT‐シャツを参加者へのお土産にして好評だったこともありました。
そのうち、あるきっかけから、10人前後の同期の仲間で、一次会はにぎやかな小宴会、そこからカラオケに流れ込む会合を年に数回持つようになりました。

そういう中で「ちゅうさん」についての新たな発見がありました。遊びと不摂生にかけては仲間の誰もかなわない幅広さであること。酒、タバコ、まーじゃん、将棋、ビリヤード、ゴルフ、そして、カラオケ。演歌が中心ですが、それに限らず恐らく1,000曲にもなろうかというレパートリーの広さとその歌いっぷり。かなり無理して声を張り上げているように感じられながら、うなるように伸びる高音。仲間うちでは、『カラオケ大王』の異名を進呈されていました。
さらにその場の雰囲気を盛り上げる心遣い。自信のない歌い手には「アシスト」を買って出てトライを促す。うまく歌えれば勿論のこと、そうでなかったとしても、「いいね、いいね!」という励ましの合いの手を入れてくれる。時にはずっと立ちっぱなしで、手拍子を打ちながら次の歌い手にマイクを手渡し、チークダンスに女性を誘い、最後まで疲れを知らず歌いまくる「ちゅうさん」。「ちゅうさん」なしのカラオケは考えられませんでした。

「ちゅうさん」は、基本的に合理主義的な思考の持ち主で、なかなかの教養・文化人でもあり映画などにも詳しいのですが、照れ隠しもあるのか、悪ぶっているところがあります。でも本質は律儀で義理堅い誠実な人柄です。
会合の案内をすると、回答の早さは常に一二番でした。それも例外なく出席の返事です。仕事上の交際範囲の広い人ですから、予定がない筈はないのですが、幹事会にしてもカラオケの会にしても、「ちゅうさん」が欠席だった記憶がほとんどありません。
また、時々変わった会合の企画をして賛同を求めると、必ず前向きに乗ってくれました。4年前に立川高校の1年次のクラス会を初めて開催したのですが、そのときも積極的に参加し協力してくれました。

そんな「ちゅうさん」の身体に変調が現れたのは、2年半前に第6回の同期会が開催される前後でした。胃に癌が見つかり、手術を受けなければならなくなり、同期会も欠席の已むなきに至りました。数ヶ月で職場にも復帰し、会合にも今まで通り欠かさず出席するようになりましたが、手術後の体重減少からの戻りが遅く、やせ気味の状態が続いているのが気になっていました。

しばらくして風のうわさに、癌が再発したらしいとも聞きました。本人はこの2年間、そのことをおくびにも出さず、会合では今までと変わらずにぎやかにおしゃべりし、カラオケにも復帰していました。
また、仕事の上でも、タイに出張して連ちゃんでゴルフ接待をした話やらを聞いている限り、以前と変わらぬハードな仕事をこなしているように見えました。

ただ、趣味の畑仕事からは撤退したと聞きましたし、去年の後半くらいからは、やはり何かが違ってきているように感じられました。心なしか、カラオケのパワーにも衰えが見られるように感じられ心配していました。

今年になってから、一部の親しい友人たちに、癌の転移があったことを告白しました。その事実を友人と共有しようとする心境の変化は、同時に、生きる意思を強く感じさせました。あらゆる手立てを講じてがんの進行を抑えることができれば、まだまだ生き抜いていける筈だ、癌と戦うんだという強固な意思を感じました。
しかしながら、会合で会えたのは2月が最後になってしまいました。4月、5月に「ちゅうさん」の参加を前提として、「ちゅうさん」の都合を尋ねながらセットした会合が2回あったのですが、いずれも直前になって欠席となってしまったからです。

自分が最後に会うことができたのは、6月3日でした。1週間前に開催した高校1年次の第2回クラス会の写真を見せてあげたら、「来年に予定されている同期会までには何とか回復して出たいと思っている。」と言ってくれました。痛みはあるのかとの問いに対して、苦笑いするように、「あっちもこっちも痛いんだ」と。きっと我慢できないような痛みがあるに違いないのに、心配させないように努めて軽口めかして言っているのだと感じました。「回復したらまたカラオケを一緒に歌おう。」と手を振って別れました。おととい昨日にもお見舞いに来ようと思っていたのですが。

「ちゅうさん」は、男性女性を問わず、我々みんなに愛されていました。立高同期のホームページの掲示板では、近年、「ソンカルさん」と自称していました。出典は「存在の耐えられない軽さ」という1969年のチェコ動乱を題材にした1988年の映画の題名です。その意味合いはぼんやりとは理解できる気もしますが、それを確かめることはもう出来なくなってしまいました。

「ちゅうさん」、あなたは私たちの心にいつまでも生き続けます。演歌の歌声と、義理堅さと、優しい心遣いの記憶とともに。どうか安らかにお眠りください。

2006年6月19日
40年来の友人として
西川和人。


No.40
2006年06月20日 09:28
送信者:ガメ < >
表題:白い花々の中の忠さん

遺影は、ほろ酔いでマイクを握っての会心の笑顔だった。
私達がよく知る、若き日のやんちゃな悪童の面影が残っていた。

カラオケナンバーが低く流れる、儀式張らない彼らしい最後のお別れだった。
ご家族の理解と愛情が多くの参列者の胸を打つ。

So Many Memories

彼のオーラによって、どんなにこの人生が豊かになったか知れない。


ありがとう

No.39
2006年06月20日 00:52
送信者:Kimie < >
表題:忠さん・・・

忠さんとはクラスが同じになつたことがありません。
でも、1年のときも2年のときも、清明寮に忠さんがいました。
冬の立高のスキー教室にも忠さんがいました。確か1年のときも2年のときも。
二年生のときの放課後、忠さんたちがよくナポレオンに誘ってくれました。
立高での私の遊びの場面には、よく忠さんがいました。
二年の夏休み、遊んでくれた友達たちを家によんで、バーベキューをしたときの写真が
お通夜に思い出として飾られていました。
「父は人生の中で立高時代がとても楽しかったようです。よく話してくれました。」と
おっしゃっていたお嬢さんの話・・・
忠さん、あの時の写真、捨てないでとっておいたくれたんだ・・・

大学時代にばったり新宿東口の交差点で会いました。
信号を待つ間、高校卒業以来はじめて会ったので、
「大学どこに行ったの?」「将来何になるの?」と矢継ぎ早に質問しました。
「オレさあ、大それた夢は持っていないんだ。
将来は二階建ての家を持って、かわいい奥さんがいてかわいい子供がいて、
小市民的かもしれないけれど、そんなささやかな夢を実現したいんだ。」
信号が変わって、話は終わり、別の方向に別れました。
お通夜の席で、立派なご子息と、忠さんに似たスラリとしたお嬢さんと小柄な奥さまが
忠さんのそばで挨拶をなさっておられました。

忠さんからの最後のメールには、
「できる限りのことは、手を尽くしてやるつもり。 なーに、まだまだ。」
と・・・
でも、昨日見せていただいた当日の日記には、“痛い”の文字が並んでいました。

最後まで私には“元気”だった忠さん・・・もう一度話をしたいです・・・

No.38
2006年06月19日 17:37
送信者:川合 浩一 <kouichi-kawai@toyotsu-living.co.jp >
表題:忠の思い出。

男の中の男がまた一人去って行きました。

3月に軟式庭球部の稲毛徹を送ったばかりです。非常に残念でなりません。

忠の思い出は、連続してあるのは直近の森安会での印象が強く残っています。
どんな宴会でもその場を盛り上げる人、カラオケを熱唱する中でもアイスクリームを忘れない人、などなど。

一年のクラスが一緒、一年間は軟式庭球部にも所属、一緒に汗を流した。 
一年の終わり(と記憶)には数人で紀伊半島一周の旅に出かける。
1Eのクラス仲間と軟式庭球部の市川とであったと思う。その写真が
昨日のお通夜に彼の思い出として掲示されていたのには驚いた。
二年、三年の彼の記憶はない。 多分、私と違う世界で立高生活を過ごしたのでは。

昨年の12月だったか、今年の1月だったか、彼の病気を自身からメールで
告白されたときには、快方に向かってきたから皆に今までのことを知らせたと
勝手に思ったが、先行きを既に知ったから知らせてきたのだと今にして思う。

大変な奴をなくした。 いつまでも忘れない。

お通夜に飾られた彼の笑顔も忘れないし、奥様の気丈な姿も忘れない。


No.37
2006年06月19日 09:21
送信者:マロン < >
表題:忠さんが???

忠さんが亡くなった?!!!
本当に?
あの笑顔の素晴らしい、磊落な、洒脱の人。
しばらくBBSにも登場していなかったと思ったら,
忙しいのではなく,闘病していたとは。
神様は自分の好きな人をそばにおきたがるのでは…。
ご冥福をお祈りいたします。

私はちょっとだけ忙しいので,しばらくお休みしていたけど,
でも,掲示板はいつも朝覗いています。

No.36
2006年06月19日 05:50
送信者:鈴木克己 < >
表題:E vivo ancor !

6月17日(土曜)、脳神経外科。
知人に付き添って医師の話を聞く。

数日前、
知人は家のなかで、ひょいと立ち上がった拍子に頭をぶつけた。
知人の片方の手と同じ側の足にしびれがあるという。
CT写真による医師の診断は、
慢性・硬膜下血腫。

脳を保護するのは頭蓋骨。
頭蓋骨内側にやはり脳を保護する膜に3層ある。
外側より硬膜、くも膜、軟膜。

今回の診断は硬膜と「くも膜」の間に慢性の硬膜下血腫がある。
外側の頭蓋骨は硬膜よりも硬いので、内部の脳が圧迫されている。
くも膜下で出血があったならば、
くも膜下に流れている脳脊髄液に血液が混ざり即死する場合が多いという。
知人の場合は、
半年ほどで消える可能性がるので、経過を見守ることになった。

6月18日(日曜)、忠さんのお通夜。
20名以上の18期同期の方々も参列され、故人の人柄をしのんだ。

カラオケ大好きの人だったらしい葬儀の進行であった。
魯迅は『故郷』にていう。
「もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」

それにしても、
今時、胃ガンで亡くなるとは・・・。
合掌

6月18日(日曜)の深夜。
いつもならこの時間帯にテレビは観ない。
でも、
サッカー・日本対クロアチア戦。
0−0。
試合後ジーコ監督はいった。

E vivo ancor !
「まだ我々は生き残っている」

No.35
2006年06月17日 17:18
送信者:鈴木克己 < >
表題:赤いネクタイが似合う長身の紳士

すらりとした長身の紳士が赤いネクタイをさりげなく。
No.624(2002年4月7日)にて、私が会った忠さんの印象。

明日の6月18日(日)、
お父さんの日ですね・・・・。

お通夜に参列し、
ご焼香させていただきたい。

合掌

No.34
2006年06月16日 21:16
送信者:あーもんど < >
表題:このbbsで知り合った

さんがなくなった。
信じられない、
私は残念なことに高校時代の彼を知らない。
見てはいたのだろうけど、忠さんだと認識していなかった。
大学も同じだったと後で聞いたが、そこでも出会わなかった。
出会ったのはこの掲示板、ここでだった。

だから非常に短いお付き合いで、彼のことを何も知らないのかもしれない。
でも私の知っている彼は私の中でとても大きな特別な位置を占めているように思う。
ひとつだけ思い出を書くと、私は掲示板で本名とあーもんどの名と両方使っていたことがある。何の意味もなくただ軽い気持ちだったのだけど、みんなをだましているいるような気がして、きっと忠さんは気がついてるのに違いないと思った。
それで彼にこっそり言ってみた。
彼は全然気がついてはいなかった。
ものすごく驚いて、「アガサ・クリスティのよう」だと言った。

ある女性が「忠さんとデートをしておけばよかった」と言った。私もそう思う。
それからこの掲示板で彼が名乗っていた「ソンカル」は私が提供したと思っている。
出典は「存在の耐えられない軽さ」だが、彼の存在の重みは私の中にしっかりとある。
たとえ短い間の交流であっても。
忠さんは特別な人だった。





No.33
2006年06月16日 14:25
送信者:西川和人 < >
表題:緊急連絡。鈴木忠さんが急逝しました。

悲しく残念なことですが、同期生の皆さんに急ぎお知らせしなければなりません。

立川高校18期同期の鈴木忠夫さん(1E、2E、3C)が、
本日(6月16日)未明に、お亡くなりになりました。
(享年58歳。)
2年半前の前回同期会の前後からの病魔との闘いでした。
つい2週間前に見舞いにうかがった際には、
来年の同期会までには何とか回復したいと語っていたのですが、
こんなに早く逝ってしまうとは、残念のきわみです。
心からご冥福をお祈りします。

通夜、告別式は、次の日程で執り行われます。

通夜   6月18日(日) 18時より
告別式  6月19日(月) 10時より11時まで
会場  千葉県流山市西初石2−6−17 セレモニーホール天翔
       電話    0471−54−4419 
       ファックス 0471−52−4922
喪主  鈴木暎子 様 (ご令室)

最寄り駅は東武野田線初石駅です。
お別れに行ってあげられる方はそうしてあげてください。
前例に従い、立高18期生一同名で生花を手配いたします。
費用は、通夜に参列された方有志でご負担いただきますのでよろしくお願いします。

しばし、忠さんの生前を思い起こしつつ、思い出をこのBBSで語り合おうではありませんか。

No.32
2006年06月12日 06:52
送信者:鈴木克己 < >
表題:志の原点

6月1日からの日経新聞「私の履歴書」
作曲家・遠藤実さん(73歳)。
私は以前に「男の資格」として述べた。
その時は早朝ラジオでの遠藤さんの肉声であった。

あれから3年近く過ぎている。
今回は文字。
コピーして息子たちに読んでもらおう。
国家の品格ならぬ「男の品格」を学んでもらおうと思う。

志を高く、
しかも初心と原点を忘れないことであろう。

さて、
6月6日と7日の早朝ラジオにて、
仙台市の慈眼寺住職・塩沼亮潤さん(38歳)
「青年僧が挑んだ千日回峯行」
12歳の時、
塩沼さんは暴力をふるう父親と離婚した母親と全財産3000円から出発。
19歳の時、
比叡道より厳しい千日回峯行を行える吉野・熊野道を目指したという。

私は以前に西行・行尊を述べた。
西行は30歳頃に吉野へ。
そして何故、
急峻な山道を通り熊野まで足を伸ばして桜や紅葉を歌ったか?

行尊:
もろ共にあはれと思へ山桜 花よりほかに知るひともなし

西行:
あはれとも花みし峰に名をとめて 紅葉ぞ今日はともに散りける

平等とは平等意趣、
すなわち、諸仏と自分とが一様になれるという試み。

さて、
6月7日(日本時間7日午後11時ごろ)ごろ、
ヨルダン人のアブムサブ・ザルカウィ容疑者(39歳)は、
イラクの首都バグダッドの北東で殺害された。
慈眼寺の塩沼住職とほぼ同じ歳だ。

多くの人よりも大きな困難を乗り越えてきた。
そして、
世のため人のためにつくしている。

この2項目にて本人たちの意識は同じであろう。
では、
ザルカウィ容疑者と塩沼さんとの分かれ目は何か?

私は思う。
ザルカウィ容疑者は、
若くして大きな課題、
それも自分から外に向かって、
大きすぎる課題に挑戦したのではないか。

外への大きすぎる課題からは否定しか出てこない。

塩沼さんの千日回峯行は確かに大きい。
でも、それは自分自身に向かっている。
自分の中で生死の境を決めることができる。

外への大きな課題に挑戦、
例えば、
若い時のザルカウィ容疑者の挑戦は、
世界ダントツ最強の米軍に対抗することだったろう。

私は思う。
それを効率よく解決する方法は、
「強みの根拠をさらに強化すると弱みに」

「ほめごろし」であろう。
初心と原点を忘れさせることであろう。

No.31
2006年06月08日 06:41
送信者:鈴木克己 < >
表題:トロヴァトーレ(吟遊詩人)

今朝、
6月8日の早朝ラジオで北海道の人が言っていた。

「いただきます」

食事の時にいう言葉。
その由来。

「今まで生きていたものを私の体内に取り込みます」

さて、
昨晩はカミさんと上野の東京文化会館。
ヴェルディ歌劇、『イル・トロヴァトーレ』

最終幕における格子状の牢獄。
舞台中央に孤立している立方体。

光かがやく鉄格子。
そして直線的な格子の影が舞台全体に広がっている。
息をのむような美しさだった。

惜しむらくは、
その光と影のままで舞台を終わってほしかった。

さて、
E vivo ancor!

それは歌劇トロヴァトーレにおける最後の言葉。
ルーナ伯爵は言う。

「そして私は生き残った」

No.30
2006年05月29日 06:30
送信者:鈴木克己 < >
表題:市民的自由と多元的価値の尊重

5月27日(土曜)、府中の森芸術劇場。
サンデー・ハーモニー混声合唱団。
団長の村本さんの独唱も10秒ほど聞けた。
『島よ』では、指揮者の網本さんが書いたプログラムの案内文が印象に残った。
30人、それは30の散りぢりの島。
儚い島がよりそいハーモニーを奏でる。

確かに、30人のハーモニーとは30個のスピーカーではない。
微妙に異なる音色が和音になったとき新しい音が、ハーモニーが誕生する。
ハーモニーそのものもスバラシイが、
私はこういいたい。
30人それぞれの自分の中に、
それぞれが新しい可能性を発見する一瞬。

40周年記念コンサートおめでとうございました。

5月27日(土曜)、朝日新聞の「be on Saturday」。
真智子と春樹の『きみの名は』。
空襲の夜、銀座の数寄屋橋での偶然の出会い。
戦争がもたらした、偶然の幸福と必然の不幸。

このサロンではDVDの話題があるので私もちょっとだけ。
ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーの『哀愁』をDVDで観た。
空襲の夜、ロンドンのワーテルロー・ブリッジでの偶然の出会い。
戦争がもたらした、偶然の幸福と必然の不幸。

女性が自活できる社会、それがいかに大切かを『きみの名は』と『哀愁』は教える。
最近は自活の道が少しばかりでき、結婚しない女性が増加している社会である。
(戦争は結婚できない女性を増加させる)
自由意思に基づくか否かは大きな分かれ目であろうが、
もっと大きな分かれ目は、
女性が幸せになる社会に向かっているのかどうかだ。

5月28日(日曜)、両国、江戸東京博物館。
ナポレオンとヴェルサイユ宮殿。
ナポレオン(1769−1821)が軍事的才能により一代で皇帝になった英雄。
中国の歴史ではめずらしくないが、
欧州、それも近代産業革命と同時に生まれた個性が世界に与えた影響は大きかった。
(ワットの蒸気機関の発明が1769年)
この個性が世界的英雄になれた背景には産業革命による軍事技術の急激な発達ばかりでなく、
1776年7月4日のアメリカ独立宣言があった。

独立宣言要旨:
すべての人は平等であり、一定の譲歩できない権利を有する。
その中には生命、自由、幸福の追求が含まれている。
人類の間に政府がつくられたのは、これらの権利を確保するためである。
その政府の権力は被支配者となる人民の同意に基づかなければならない。
その目的を破壊するようになった政府は、改革し破壊する権利を人民は有する。

先週述べた北一輝。
世界大戦へまっしぐらに突き進んでいる現状認識は、
2・26事件で戒厳司令部参謀長となっていた石原莞爾大佐と同じ。
一輝や莞爾の権力のイメージはアメリカ独立宣言であったであろうが、
一輝は権力をナポレオン的英雄に求めていた。

No.256にて述べた河合栄治郎(1891-1944)、同じ東大経済学部の大内兵衛によると貴族主義、独善主義、英雄主義であったそうだが、
栄治郎はいう。
「自由主義が根付かず、市民的自由と多元的価値の尊重を覚えない民族は、
コミュニズムとファシズムという不幸の振り子を繰り返す」

No.29
2006年05月27日 20:09
送信者:momo <m >
表題:momo通信65 サンデー・ハーモニー40周年記念コンサート

「momo通信64 四尾連湖」の続き:当日の総走行距離288km、マニュアル車でワインディングロード中心でのこの距離はきつくなってきましたネ。

 今日は14時から府中の森でサンデー・ハーモニーの40周年記念コンサート。
40周年おめでとうございます。立高卒業とほぼ同時ですから、…40年…。
西村親分、村本仙人、鰭崎大人に宇佐美の旦那、そして巨匠・藤原の各氏、
女性陣はあけみさん、早苗さん、洋子さんと同期の皆さんの活き活きとした姿に接することができ、嬉しく思います。
 継続は力なり!次回を楽しみにしています。

ではまた

No.28
2006年05月26日 19:08
送信者:momo <m >
表題:momo通信64 四尾連湖

お泊りドライブに行くつもりで22日(月)から6連休を取ったのですが、
諸般の事情でお泊りドライブはなし。
6日の内半分は夫婦どちらかが検診・診療などの医者がらみで…。

一昨日24日にみいこchanといつもの?相模原公園へ。
花菖蒲はまだ、クレマチスはやや遅かった、というところでしょうか。
でも久しぶりの陽光とポピーと緑に満足。
雷雨の予報に早めに帰宅、帰り着くと間もなく雷鳴と雨が…。

 昨25日、久しぶりに道志みちを行って山中湖〜忍野、5合目位まで雪の残った富士山がくっきり。そして精進湖から芦川村へ、そう2年前にKimieさんから紹介のあったすずらんの里。我が家のベランダにあるような園芸品種ではなく、小ぶりで可憐なすずらん。残念なことに少し早かった、咲いているのは未だチラホラ。
全部咲いたら見事だろうに、とみいこchan。
でも陽光の中の白樺と松、そしてすずらんの緑に満足。
 芦川沿いにもう一足伸ばして四尾連湖へ、今月17日の朝日新聞で紹介された山上湖。
静寂の中、湖畔を一周。未だ八重桜が残り、ツツジが咲いていました。

明日27日(土)で連休も終わりですが、午前中は年に一度のmomoの胃カメラ検診。
でも、午後は東府中に行きます。

 ではまた

No.27
2006年05月22日 07:23
送信者:鈴木克己 < >
表題:ピカソと北一輝

1881年、ピカソはスペイン南部の港町マラガに生まれる。
1883年(M16)、北一輝は日本海に浮かぶ佐渡島に生まれる。

1896年(14歳)ピカソ、古典的美術技法をマスターし、油絵『初聖体拝領』を発表してバルセロナ画壇でデビュー。
1897年(16歳)ピカソ、古典技法の代表作『科学と慈愛』を発表。
1903年(23歳)ピカソ、貧困と絶望の「青の時代」作『人生』を発表。
1903年(M36、20歳)一輝、佐渡新聞に『国民対皇室の歴史的観察』を発表。

1905年(22歳)ピカソ、沈黙と虚空の「バラ色の時代」作『パイプをもつ少年』。
1906年(M39、23歳)一輝、『国体論及び純正社会主義』を自費出版。
1907年(26歳)ピカソ、革命的な「キュビスムの時代」作『アヴィニョンの娘たち』

1919年(T8、36歳)一輝、上海にて『日本改造法案大綱』を執筆。
1922年(40歳)ピカソ、「新古典主義の時代」作『海辺を駆ける2人の女』。

1936年(S11、53歳)一輝、2・26事件。
1937年(56歳)ピカソ、「シュルレアリスムの時代」作『ゲルニカ』。
1952年(71歳)ピカソ、南仏ヴァロリスの礼拝堂の壁に『戦争と平和』

さて、
『日本改造計画』の野党党首と、首相とによる直接国会討論。
また、
「共謀罪法案」が採決先送り。

治安維持法(大正14(1924)):
国体を変革し、または私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し、または情を知りてこれに加入したる者を10年以下の懲役。

先週、『日本改造法案大綱』の北一輝。
国体の改造を一輝は目指した。
すなわち
「天皇の国民」から「国民の天皇」を。
華族制廃止−普通選挙−国民自由の恢復−改造内閣−改造議会−皇室財産の国家下附。
これらは戦後、米軍によって実施された。
さらに、
財閥解体、農地解放、労働者の権利、男女平等、児童保護なども実施された。

でも、
一輝の大きな目的は、米軍と違っていた。
ある値以上の私有財産は国有。
ある値以上の規模の会社は国有。
すなわち、
大きな政府を目指していた。

さらに、
一輝と米軍との決定的な違いは、
大統領または首相に対するイメージだった。

『日本改造法案大綱』にていう。
国民ノ総代表者ガ投票当選者タル制度ノ国家ガ、或ル特異ナル一人タル制度ノ国ヨリ優越ナリト考フル「デモクラシー」、ソレハ全ク科学的根拠ナシ。

天皇に替わる絶対者を一輝は想定している。
緊迫した状況認識とそれに基づく想像力の限界。

30年以上前の大学紛争について、ある女性はいう。
大学のやり方に抗議しようというときに、「勉強をしたい」といっている人たちがいたことは、驚きだった。
自分が勉強する意味について悩むことなく、大人になっていく。
そんな人たちを私(上の女性)は憎んだ。

私(物理)は思う。
抗議しようという集団の前にて、「個々の動機」は驚きの対象になった。

数学は無限を扱うが、
経済や社会の問題では無限を扱うと本質から外れる。

全体は部分の総和と異なるとし、
全体こそが部分の意味と性格を規定するというのは全体主義である。

実存主義と全体主義は、
総合化を試みそれが存在するという立場で一致。
前者は現在の状況を、後者は過去の固有を総合化の収束解とする。
全体主義や総合化主義は思考停止主義だ。

私は多数決を、そして大乗主義を無視せよとはいっていない。
ただ、
戦うべき状況が全体や多数でなくとも、
そして、闘うべき状況があなた以外になくとも、
あなたは輝く存在でありえるといいたい。

No.26
2006年05月21日 00:57
送信者:Kimie < >
表題:セザンヌの風景?・・・『アイリスの丘』 【花便り No.24】

先週、そういえば、と思い出し、『アイリスの丘』に隣のオバサンをいきなり誘って行ってきました。
ここのことを知ったのは去年のこと。時すでに遅しの時期。よ〜し、来年は・・・の執念のもと、
花は待っていてくれないので、とにかく会いにいかないとなりません。
場所は、秋間梅林の近く。安中市。関越自動車道長野道の松井田妙義山インターを降りて、15分ほど。
・・・のはずなのですが、ウチの車のカーナビがまったく役に立たないんです。
まず住所がきちんと入力できない(どうも“大字××”は入らないらしい)!
それらしいところに、『アイリスの丘』という施設がない!どうみても畑のど真ん中?????
迷いに迷い、ついにわからず。国道18号に戻り、コンビにで聞くことに。
地図を出して説明してくれ「この辺なんですけれど、近所の人は行ったことないですね。」
ええ〜〜〜っ?!(ついにはずれか〜?)

とにかく行ってみました。
 http://www1.odn.ne.jp/~cfr87750/
きれいでしたよ。
まだ全体の3分くらいしか咲いていませんでしけれど、ゆるやかな丘の斜面に大輪の色鮮やかな
ジャーマンアイリスが、いろいろと華やかに咲いていました。今週あたり、この写真のように満開?

「アイリスの丘」は入るのに400円とられますけれど、生産農場です。まったくの畑です。
駐車場は畑をトラクターで均したところに杉のコッパが敷いてありました。
全然俗化されていません。このごろ、造園された花の名所を見慣れた目には、かえって新鮮です。
掘り売りする、というのがいいね、と一緒にいった隣のオバサンと話しました。
一株\2.0とか\1.5とか書いてありました。多分2000円とか1500円ということでしょう。

ポピー畑のポピーも咲いていました。天高く木に巻きついている満開の藤の木の近くにある
板を一枚渡しただけのベンチで、ボーとながめていると、気分は爽快でした。

ジャーマンアイリスはバラに似た華やかさがあります。ヨーロッパで改良され、人気の花だそうです。
そのせいでしょうか、セザンヌの風景画の雰囲気がアイリスの丘にはありました。

No.25
2006年05月21日 00:56
送信者:Kimie < >
表題:ほっ!

スパムメールやら、ウィルス騒ぎで、同期会のURLを変えたり、BBSのURLを変えたりバタバタしたので
みんな迷子になっているのではないか、と心配していたのですが、旧来の方々が書き込んでくださって
やっと、ほっとしています。よかった!

あーもんどさん
アーモンドの花、見てもらえなくて残念!とてもきれいな花でしたよ。
なんでも東京都があの薬用植物園を維持にお金がかかるので、どこかに移転させる、という話が
でています。小平市はあわてて、このところ反対を東京都に申し入れたとか、するとかです。
ですから、来年は是非!

No.24
2006年05月20日 23:32
送信者:GaMe < >
表題:ひさしぶり

あーもんどさん
お借りしているカーウァイのビデオ「欲望の翼」と「恋する惑星」、まだ家にありますよ。
いいんでしょうか。

「花様年華」は'60年代の新宿歌舞伎町や横浜黄金町の雰囲気ですね。

その頃、”コンパ”と称する巨大カウンターのバーありましたね。
レーズンバターつまみにジンフィズなんか飲んだりして。懐かしや。

No.23
2006年05月20日 01:26
送信者:あーもんど < >
表題:大人の恋

昨日ケーブルテレビから録画しておいたウォン・カーウァイの「花様年華」を観た。
数年前にも観ていて、ガメちゃんが話題にしたとき私は「大人の恋愛が描けない」んだと言った覚えがあるけど、一体なにを観ていたのだろう。
まあ、こじつければ”描けない”んじゃなくて、「恋愛が成り立たないのが大人の恋」だと言えないこともないけど。
この映画は映画にできることをフルに生かした映画だと思う。
ラテン音楽と共に繰り返されるスローモーションの映像。これは麻薬のように効く(と言っても麻薬は知らない。)
前言を翻し、これは相当の傑作だと思う。
トニー・レオンとマギー・チャンは美男美女で古典的な恋愛映画スタイル。マギーは現れるたびに色も柄もとりどりのチャイナドレスを着ている。髪型は60年代。
そのかっこうで魔法瓶を持っておかゆを買いに行く。
映画の中で人が泣くのを久しぶりに聞いた。
(最近の人たちは泣かないもの。)
雨もしょっちゅう降って、「恋を断念するのが恋」という大人の恋愛映画。
観終わってから思わす、カーウァイのDVDを数枚買ってしまった。

ケーブルテレビもシネフィル・イマジカを観るためにデジタル契約にしたあーもんどでした。
私の映画の季節復活!?

ガメちゃん
その節は「花様年華」について暴言を吐いてごめんなさい。
いい映画です。



No.22
2006年05月15日 07:30
送信者:鈴木克己 < >
表題:境界

としさん、
さ来週の土曜日、聞きにいたいと思います。

ヴェルディ/翔べ、我が想いよ 金色の翼に乗って

は、このサロンの話題でも懐かしい思い出がある。
No.337(2001年09月10日)
述懐ならぬ、今日懐。

さて、今日、
5月15日といえば、5・15事件。
その後の、2・26事件と比較するなら、
海軍と陸軍、大川周明と北一輝。
北一輝の『日本改造法案大綱』の目指したものの大部分は、
戦後米軍によって実現された。

先日、
首相と沖縄県知事が握手している写真が新聞一面トップにあった。
首相のにこやかな長細い形の顔と、
知事の固い四角い形の顔が対照的であった。
縄文人と弥生人の顔。
沖縄は辺境にあるゆえに、日本の古層を保っている。
もう一つの5・15、それは沖縄返還。

さて、
球表面は球体の内と外を分ける境界。
円柱の上下の円は側面と上下面を分ける境界。
では、
円錐の頂点は点と呼ばれるが点か?

χ=S−L+P
なるχをオイラー数という。
位相幾何学の大切な式で、形の固有数。
S、L、Pは、面、線、頂点の数。

四角柱(六面体)の、S、L、Pは6,12,8でありχ=2。
四角錐の、S、L、Pは6,12,8でありχ=2。
三角柱の、S、L、Pは5,9,6でありχ=2。
三角錐(四面体)の、S、L、Pは4,6,4でありχ=2。

円錐の、S、L、Pは2,1,1でありχ=2。
円柱の、S、L、Pは3,2,0でありχ=1。
球面の、S、L、Pは1,0,0でありχ=1。

曲面を許容した場合、円錐がむしろ特異。

いずれにしても、
面は体の境界、線は面の境界、点は線の境界。
境界が物の形を決めている理(ことわり)。

No.21
2006年05月10日 01:26
送信者:とし < >
表題:演奏会のご案内

またまた演奏会のご案内のみでスミマセン。

サンデー・ハーモニーも創立40周年に入りました。
これを記念して、今月の27日(土)に演奏会を開きます。
場所は例によって府中の森芸術劇場ウィーン・ホール、
曲目:
 ・モーリス・デュルフレ(仏)作曲/レクイエム
 ・大中恩作曲/島よ
 ・イタリア合唱曲集
   ロッシーニ「老年のいたずら」より2曲
   ヴェルディ/翔べ、我が想いよ 金色の翼に乗って
         椿姫より「乾杯の歌」

詳しくは、ホームページをご覧ください。
http://www.ismusic.ne.jp/Sunday-Harmony/

お待ちしてマス。入場無料ですヨ。

No.20
2006年05月08日 06:03
送信者:鈴木克己 < >
表題:誤解の集大成、執着の仮装

リルケはロダン(1840−1917)の秘書をしていた。
リルケはいう。
ロダンは名声を得る前、孤独だった。
しかし、
名声を得た後はさらに孤独になった。
なぜなら、
その名声とは他人によって作られたところの、
ありとあらゆる誤解を集大成したものだったから。

バーナード・ショーもいう。
私は名声に囚われたことはない。
なぜなら、
私自身が名声の作者なのだし、
上着と同じで、私自身が執着している仮装にすぎないから。

さて、
5月6日(土曜)、私はメルシャン軽井沢美術館に。
我が家から2時間30分。
しなの鉄道の御代田(みよた)駅下車。
電車2時間、徒歩30分。
車中では、筆坂秀世さんの新書『日本共産党』を読んだ。

カミーユ・クローデル(1864−1943):
ロダンはカミーユ(18歳)を紹介され彼女の作の胸像を見て思った。
私(ロダン)は彼女に黄金の探し方を教えるつもりだったが、
その黄金は彼女の中にあった。
エネルギー、想像力、強い意志。
そして、
誰からも学ばず完成された天職ともいえる技術的基礎を彼女はもっていた。

私(物理)は思う。
天賦はヴィルヌーヴ・シュル・フェールにある、
奇妙な形をした巨岩の数々。
カミーユ、4歳から6歳の間だった。

さて、
私(物理)と共産党との接点は葉書一枚だがある。
10年ほど前、
大学の恩師の「古希の祝う会」を開催するあたり、
恩師の学生全員に往復葉書を出した。
党委員長(現)の志位和夫さんから、
出席できないとの丁寧な理由付きの返書が届いた。

筆坂さんは『日本共産党』で書いている。
委員長、書記局長、副委員長の三人に対し認めた。
チークダンスを踊ったことと、
デュエットで腰に手を回して歌ったことは事実だと。

私(物理)は思う。
電車の中で腰に手を回せば痴漢。
優越的な関係や状況があれば罪は加重される。
さらに、
以下の認識があれば党役職罷業と議員辞職は当然だろう。

同じ本で筆坂さんは書いている。
地方の地区委員会では給与の遅配、欠配は珍しくない。
政党助成金を受け取らないですむのは党員からの血のにじむ献金があるから。
代金立替で赤旗の部数を拡大し、年間何十万円にもなる地方議員がいる。
子供の頃、母が夜なべ仕事でつくったわら草履で山や田畑をかけ回っていたほど貧乏だった。
銀行員時代、日曜日もほとんど夫婦で党活動に時間を費やしていた。

佐藤一斎『言志晩録』:
少而学 則壮而有為
壮而学 則老而不衰
老而学 則死而不朽

No.19
2006年05月05日 13:08
送信者:momo <m >
表題:momo通信63 童謡 唱歌の故郷

No.16でKimieさんから紹介のあった『図説 童謡 唱歌の故郷を歩く』
(井筒清次、河出書房新社)を入手しました。
ほとんど全部歌える・知っている。
世代というのはおそろしいものです。
写真がきれいで、懐かしい風景も沢山ありました。
「春の小川」の代々木公園の代わりの風景はどこでしょうね?
どこかで見たような懐かしい風景なのですが…
そう‘春の小川は さらさら流る’となっていましたが、
覚えているのは‘〜 いくよ’でした。

巻末・追記部分に宇津木利征の名前がありました。

 ではまた

No.18
2006年05月02日 15:23
送信者:あーもんど < >
表題:ああ、遅かった!

ウィルス騒動以来、アクセスしていなくて、今見たばかり。
No.8のアーモンドの樹と花発見のニュース。
Kimieさん、それは我が家の近くではないですか。
ムムッ、来年を待つしかなさそう。
見つけてくれて、教えてくれてありがとう。
素敵な花のようでうれしい!

No.17
2006年04月29日 01:02
送信者:momo <m >
表題:momo通信62 桜吹雪

あらし(荒らし?、嵐?)も今のところ治まり、静かになっているようですネ。
気がつけば大晦日以来のmomo通信、ご無沙汰しました。
 妙義山の桃源郷、知りませんでした。妙義山へは3年前の6月に位ってきましたが。
来年行ってみましょう。
 さて、momoの花便り。
3日、羽村の堰〜玉川上水で花見。
風が強く小枝ごと落ちてしまうものが多く、いくつか持って帰って水に浮かべました。
 7日、秦野でお花見ゴルフ。
 9日、八王子霊園でmomo家のお集まりと花見。
息子夫婦と孫を紹介しました。みいこchanは不参加。
18日、今熊山でミツバツツジ。
みいこchanと羽村のチューリップを見に行こうとして途中で予定変更。
24日、三峰神社と羊山公園。
みいこchanといつもの山の辺の道?を高尾〜五日市〜青梅〜成木〜名栗と途中の景色を楽しみながらのドライブ。
昨年は1時間かかった芝桜渋滞も15分程で越えて三峰神社への道。
大滝から山上駐車場までの道は、桜々桜。様々な種類の桜が道に覆い被さるように。
下界ではほとんど散ってしまっているのに、ちょうど満開〜散り初め。
山上駐車場から神社境内はミツバツツジが多く植えられているが、
こちらはまだほとんど開いていない。
山上からの帰り道、数時間の違いなのに今度は桜吹雪。
花びらが車を包み込むようでした。
 1時間後に羊山公園。ほぼ満開。
模様をかたどって植栽したことを考えれば、見事。

 ではまた

No.16
2006年04月24日 09:54
送信者:Kimie < >
表題:日本の風景といえば・・・(本の紹介)

同期の井筒清次さんが
 図説「童謡 唱歌の故郷を歩く」(河出書房新社)1800円(税別)
という本を出されました。
どのページを開いても、懐かしい歌と心のどこかにある日本の懐かしい風景が載っています。
全部で79曲。みんな知っているのが不思議なのですが。

先日、地域のお花見がありました。毎回定番で、何十年も合唱をしている人たち(ということは平均年齢が高い!)
が“花”と“隅田川”を歌います。その歌を歌いだすと、ある年代より上の人たちは、合唱団の人たちでなくても、
勝手に、高音部や低音部を歌い、かならず、大合唱になります。

それを見て、いつも若い人たちはあっけにとられて
「なんで?みんな知っているの?」
と言い、一緒に歌う・・・ことはできません。
“しない”のでなく“できない”のだそうです。

わたしたちのころの音楽の教科書には、どの出版社のものでも、大体同じような曲がのっていました。
同じような歳で同じ歌を歌っていた・・・だから、その歌を歌うときはいくつになっても
子供の頃の、あるいは、青春の同じような想いを、共有している・・・ある種の一体感!
今の子供たちには、こういう歌がありません。
どの教科書にも載っている−−−あとで思い出して“懐かしい”と“みんな”で思える−−−曲が
ないのだそうです。

このことがいいことなのか悪いことなのか・・・考えるのはやめました。

この本は、私たちがみんなで懐かしいと思える曲をたくさん持っていることがとても幸運なことだと感じさせてくれます。

No.15
2006年04月24日 06:28
送信者:鈴木克己 < >
表題:勝負が時の運とするなら生き方は?

芝桜:
4月22日(土曜)、芝桜見物。
西武秩父線の横瀬(よこぜ)駅と西武秩父駅の間にある羊山公園。
我が家からだと片道電車賃は600円弱。
電車1時間半、徒歩20分。

羊山公園はソメイヨシノ桜でも知られているが、それは終わっている。
でも、
枝垂れ桜は満開プラスアルファでした。
目的の芝桜、
遠くにうっすらと白雲がやっと見えるかどうかという快晴の空のもと、
南斜面はほぼ満開マイナスアルファ。
北斜面は3分咲き。

桜とはいっても、
ソメイヨシノ、枝垂れ桜、芝桜のそれぞれ、
満開になる時期がずれている。
地をはう芝桜では、南と北の斜面でも開花時期が違っていた。

植物は、
よって立つ場所や環境に支配されているようだ。

柴五郎:
父の柴佐多蔵は少年五郎を叱責する、
「会津の乞食藩士、下北に餓死して絶えたるよと、薩長の下級武士どもに笑われるぞ、生き抜け、生きて残れ、会津の国辱雪ぐまでは生きてあれよ」と。
この叱責は、会津藩30万石から斗南藩3万石に移封され、少年五郎らが下北にいた時のこと。
1868年(慶応4)8月23日、
五郎の祖母、母、そして3人の姉妹は会津城下にて白装束を赤く染めた。
五郎の姉・たき13歳の時世の句(No.101, 2002/12/01):
手を取りて共に行きなば迷はじよ いさ辿(たど)らまし死での山みち

1900年(明治33)、
列強の圧迫に耐えかねた中国・山東省の農民が蜂起し、北京の各国公使館を包囲。
義和団事件といわれ、列強8カ国は北京に出兵した。
列強8カ国とは英、米、仏、露、独、伊、オーストリア、そして日本。
日本軍の守備隊長は砲兵中佐、柴五郎だった。
後に柴五郎は会津出身で初めて陸軍大将になった。
そして、
1945年(昭和20)12月13日、
陸軍大将で最長老の柴五郎(87歳)として亡くなった。

戊辰戦争では、勝てば官軍、負ければ賊軍。
そのように、勝ち負けは時の運や勢いという見方もある。
ならば、
人が生きるとは?

人もまた、
よって立つ場所や環境に支配されているようだ。

古今和歌集856
たれ見よと 花さけるらん 白雲の たつ野とはやく なりしものを

No.14
2006年04月24日 01:12
送信者:Kimie < >
表題:ここは日本の風景・・・桜源郷 【花便り No.23】

桃源郷という言葉がありますが、桜源郷というにぴったりの場所です。
どこかでこんなような写真を見ました。行きたい!
http://www.town.shimonita.gunma.jp/contents/Contents.asp?CONTENTNO=260
妙義山「さくらの里」です。

毎年、ご近所のオバサンたちとドライブでお花見するのですが、今年は20日に行こう、と決めてしまったので
寒冷前線で土砂降りの雨のなか、関越道を走りました。。
妙義山まで2時間。横殴りの雨にともすれば、みんな黙りがち。
そりゃそうです。トラックを初めとしてどの車も法定速度厳守でしか走れないくらいの状況なんですから。
妙義山に着いたものの、すくそばに見えるはずの妙義山は雲の中!
どうしたものか、と妙義山を描いた絵だけ展示している美術館(本来なら絵と実物が比べられるロケーション)で
思案していました。ところがところが、誰の行いがよかったのか、霧が山へ登っていき、徐々に山が見えていき
ついに妙義山どころか、関東平野も眺められるまでに天候回復しすっかり晴れたのです。
目指すさくらの里は金鶏山を回った向こう側。広大な土地に何種類もの桜が一万5000本・・・
http://www.town.shimonita.gunma.jp/contents/Contents.asp?CONTENTNO=609
http://www.hananokai.or.jp/meisyo/me-10.htm
http://www9.wind.ne.jp/matu-ko/sakura.htm
これぞ日本の風景。この雄大な景色の中の桜は・・・必見です。
第一駐車場からは、大変にきつい登りと下りでしたが、見晴台から石門巡りのハイキングをしました。
http://www.town.shimonita.gunma.jp/contents/List.asp?CONTENTNO=257
(ただし、このコースを逆行したことになります。)
奇岩のたくさんある景勝は早春の早蕨の気配でした。

お買い物ポイントは、妙義山道の駅と下仁田道の駅。両方とも山菜が一杯売っています。
山独活、せり、わらび、タラの芽、そして名物こんにゃくなどなど。

No.13
2006年04月17日 05:33
送信者:鈴木克己 < >
表題:あなたまかせの生き方では必ずハシゴを外される

昨日(16日の日曜)、NHKテレビにて藤田嗣治を見た。
壇フミさんと、何故か立花隆さん?
美女と野獣・・・、ぁ、
立花さんにはオカッパ頭という共通点があった。

先週の金曜日夕方(14日)、
竹橋の近代美術館にて藤田嗣治展をカミさんと見た。
藤田嗣治のオカッパ頭はどん底の貧乏時代に自分で髪を切っていた時の初心を忘れないため。
藤田嗣治にはもう一つ、腕のイレズミ、腕時計のイレズミが有名。
どんな時も、
勉学時間確保、創作工夫時間確保、そして制作時間確保を忘れないためだ。

西洋の凹凸のある立体的なネトネト油絵と、
東洋の平面的な墨によるサラサラ細線絵を、
両立させた技法が藤田嗣治の絵の独創性なのだろう。

平安末期の絵巻、
例えば伴大納言絵巻の応仁の変を扱った絵巻、
源氏物語絵巻、
鳥羽僧正の筆になる鳥獣戯画など、
藤田嗣治の墨による細線技法の基本を見ることができる。

「乳白色の肌」の基本は、
乳白色の油性下地色に墨による水性細線と影を重ねていくだけの単純技法。
そこに藤田嗣治の独創と自由な発展性がある。
黒田清輝がいう空気が輝く、
すなわち、明るさを重ねていくのと反対の方向を目指している。

その技術を発案し、秘密を他に漏らさないために、
貧乏時代の初心を忘れない。
そして、
勉学時間確保、創作工夫時間確保、そして制作時間確保であった。

さて、
近代美術館にて藤田嗣治展の後、竹橋の毎日新聞社ビルの9階にある、
レストランALASKAにてカミさんと夕食をしながら藤田嗣治。

ランス(REIMS)はパリから北東100キロ、
シャンパーニュの中心都市に私たちは以前に行ったことがある。
藤田嗣治(つぐはる)の眠る礼拝堂(ノートル・ドラペ)。
内部壁全体に描かれた藤田嗣治(80歳)の絵、
イエスを抱いた聖母マリアと、十字架のイエスが主題だった。

その時の感動は、
ピカソ(70歳)が描いた礼拝堂の絵の時に感じたのに似ている。 
南仏のヴァロリスという小さな村の礼拝堂の内部壁いっぱいにその絵はある。
ピカソの主題は「戦争と平和」。
その筆の勢いや大きさもさることながら、その筆の勢いという鬼神性が私の心に迫り、70歳や80歳の制作エネルギーに釘付けになった。

私は思う。
あなたまかせの生き方では必ずハシゴを外される。
藤田嗣治は、
東西の融合という初心の大志を、
自助努力で実現した自覚ある人生であった。

No.12
2006年04月14日 01:05
送信者:Kimie < >
表題:新緑の逍遥はいかがですか 【花便り No.22】

調子にのって、もう一ヶ所紹介!
荒川河川敷のさくら草公園の北側に隣接する秋ヶ瀬公園は
今、新緑の芽吹きと可憐な早春の草花が咲いています。
我が家から車で約一時間。こんなところがあるのか、と思うほど・・・
信じられない懐かしい浪漫あふれる光景が広がっています。
いろいろな木々の淡い緑色の芽吹きでまだ林は明るく日の光が地面に届いています。
小さな池には芽吹いた緑が映り、「山の寂しい湖に〜♪」の雰囲気そのもの。
林の小径に分け入り落ち葉を踏みながら歩くと
“森林の逍遥(「若菜集」藤村)”や「からまつの林を過ぎて・・・(北原白秋)」の世界。
詩に浪漫を感じた多感な青春時代に心はタイムスリップ。
夢見ていた乙女のころが急に身近に感じられるかも知れません。

ただし、広大なところで、平日は人もいないので、女性の一人歩きは絶対にお勧めしません!

No.11
2006年04月13日 23:15
送信者:Kimie < >
表題:「我が国は 草も桜が 咲きにけり」(一茶) 【花便り No.21】

国の特別天然記念物に指定されているさいたま市田島ヶ原のさくら草が咲きはじめました。
昭和27年に指定され、国内唯一の自生地とか。
河川敷に一面の黄緑のノウルシの中にまるでピンクの浮島のように、さくら草が固まって咲いています。
我が家の庭に咲いているさくら草とは違い、とても濃いピンクがしっかりと咲いていました。
とにかくきれい!休日は人で一杯になりますが、咲き始めの今頃の平日はまだ人も多くなくおススメです。

さくら草まつのパンフレット
 http://www.city.saitama.jp/contentsdownload/7d631e0a0907304/panhuretto.pdf

さくら草にちなむこんなサイトも見つけました。
 http://homepage2.nifty.com/yasinden-sakurasou/zatugaku.html#gogen

No.10
2006年04月10日 06:06
送信者:鈴木克己 < >
表題:最適解とは安定解

先週、香港の近くの自動車生産団地(汽車城)の花都を述べた。
花都は「汽車城」としての最適解を得たようだ。
花都の飛行場を米国飛行貨物会社の東アジア・ハブ飛行場にする要求に対して、
米国飛行貨物会社の専用にする第3の新滑走路を新設するという解を得た。
経済的に重要なことは、
その解が将来に向かって安定、
すなわち、
各方面からの揺さぶりによって大きな計画変更に発展しないことだ。

4月7日(金曜)、防衛長官と名護市長は辺古野崎の飛行場としての最適解を得た。
第2の滑走路を新設し、第1の滑走路を着陸専用、第2を離陸専用にした。
重心を大きく動かさずに自由度を一つ増やし、離着陸の機能を分離することができた。
政治的に重要なことは、
その解が将来に向かって安定、
すなわち、
これから予想される各方面からの揺さぶりによって破綻しないことだ。

さて、」
アインシュタインの重力とヤン・ミルズの電磁力の結合パラメータは一つしかない。
その結果、
外へと内へが等号(=)で表現できる外と内の接続(分離)領域にて、
重力Rと電磁力Fの大きさ(曲率)の比が、世界に存在する核子数を決めている。

Tr(F∧F) = k*Tr(R∧R)

重要なことは、
その重力と電磁力の解が将来に向かって安定(我々の世界で核子は安定)、
すなわち、
小さな揺さぶりによって大きな変動に発展しないことだ。

言い換えるなら、
上の式により重力と電磁力は互いに比例するので、
重力をヤン・ミルズの非可換ゲージと見なせる状況にて、
重力の基となる核子がヤン・ミルズの解として安定であることだ。

ヤン・ミルズ接続の安定性定理(J.Simons):
Gをコンパクト・リー群、Pを5次元より大きな次元球面多様体上の主Gバンドルとする。
Pのヤン・ミルズ接続(非可換ゲージ解)は、その曲率(曲率とは力)がゼロでないかぎり、安定解にならない。

すなわち、
時空間と力(G)が直積(互いに無関係)なら5次元以上の時空間でも安定。
でも、
我々の世界では重力は時空間の曲率を決めている。
だから、
我々の世界にある核子は時空間が4次元以下でないと安定にならない。

No.9
2006年04月03日 06:17
送信者:鈴木克己 < >
表題:歓迎兄弟們

日本でいう自動車を中国では汽車。
汽車は中国では火車。

一つひとつの漢字の意味を知っている日中だけにやっかいだ。
有名なのが手紙。
トイレットペーパを意味するし、
全日空などは一日中カラッポ。

城。
今日の日本では天守閣を想像する。
中国では外敵から守るため都市機能全体を壁で囲んだ姿が中国での城のイメージ。
城郭、城壁が日本語の城なのだろう。
この城郭とする感覚はヨーロッパと同じだ。
私は思う、日中欧の文化的距離感はたぶん、
中国にとって日本は欧州よりも文化的に遠いと感じているのではないかと思う。

們という字は日本では用いないが、
日本で民族協和という言葉にたいし、
中国の八路軍が用いたスローガンは、
打倒日本帝国主義 歓迎日本兄弟們。

さて、No.5(2006年03月23日)で話題の関満博さんのラジオ(29日)。
現在の中国経済の発展ぶりを紹介していた。
香港の近くにある新しい工業団地の「花都」。

花都は「自動車専用の工業団地」であるらしく中国語でいうなら、
「汽車城」と言うのだろう。

関さんのいうビッグスリー(トヨタ、ニッサン、ホンダ)が、花都に進出しているという。
3本目の滑走路が近くの飛行場に建設され、そのうちの1本は米国飛行貨物会社の専用滑走路なのだそうだ。

ラジオからの以上の話を聞いて私は考えた。
現在の中国の政治体制が崩壊するなら何が起爆剤か?
日本よりもむしろ中国こそ、貧富の差の急激な増大が起爆剤であろう。

二十年前くらいに、日本で年輩の人たちはこういったものだ。
中国で柔らかいトイレットペーパを皆が使うようになったら、
世界中の森林はもちろん、石油もなくなるだろう。

数十年前に、
核兵器は人類を何度も破滅させる量と質を得た。
では、
自動車やトイレットペーパなどの消費物質は、
人類全体に行き渡るのであろうか?

それとも消費物質は核兵器と同様な枠組み、
すなわち、
特定の国や特別の富裕層だけの専有物とするのは可能か?
誰もがいうであろう、否。

中国、インド、南アメリカ、アフリカと普及していく時、
破綻があるのか、あるとしたらいつ頃か。

一つの答え:
我々が死んだ後のことを心配してもしょうがない。

もう一つの答え:
破綻は無い。

私は「破綻は無い」を取る。
歓迎兄弟們

No.8
2006年03月28日 21:27
送信者:Kimie < >
表題:ゴッホの想い 【花便り No.20】

ついに、つかまえましたヨ!アーモンドの花!!
今、東京都薬用植物園(東大和駅の南側すぐ)に咲いています。
木の背丈が低いので、目の高さで見られます。
サクラの花を大きくしたような直径4cmくらいの5片の花です。
花びらの輪郭がボーとピンクになっていて、とても優しい色合いの花です。

ゴッホがたくさん書いたアーモンドの花の絵が好きだから、とアーモンドさんがここに書き込んで以来、
とにかく本物を見たい、と好奇心は増すばかり。
でも、花の時期はいつなのかさっぱりわからず。(バラ科サクラ属というから、サクラの季節かな?)
その上、実物はどこにあるのか、これもさっぱりわからず・・・
とにかく、神代植物園に直径20cmの古木ともう少し若い木があるのはわかったのですが、
花の咲きそうな枝ははるか上。まあ、見れないだろうなあ・・・
(今も一応、つぼみはありました。)
いつもサクラや桃に見とれていて、目が行っていなかったのも事実。
ソメイヨシノがないゴッホの国では、きっと白く咲くアーモンドの花は、春告げ花だったのかも、
と思いました。

No.7
2006年03月27日 06:27
送信者:鈴木克己 < >
表題:今朝(けさ)もまた 覚めて目も見え 手も動く

箸を両手に手を合わせる。
誰もがするごはん時の感謝。

表題の五七五はラジオをつけたら聞こえた。
今朝(けさ)もまた 覚めて目も見え 手も動く

朝、目覚める。
天井が見える(ボケて自分を失っていない)。
左右の手が動く(脳梗塞になっていない)。

さて、
この日曜は2両編成の世田谷線に乗った。
松陰神社前駅で降り、国士舘大学で開催中の電子情報通信学会。
シンポジューム「超高速光通信の現状と展望」。

インターネット、
データ交換機(ルータ)のスピードは年2倍の割合で増大し、
2010年に、
5Tbps(Tbps=1秒当り10の12乗ビット)の基幹データ交換機が現われるという。
2010年に、
個々のコンピュータ間にて100Gbpsの速度でデータがやり取りされるという。

P2P(ぴあツーぴあ):
ワザワザ地球の裏側のサーバまでデータを取りにいかず、
近くの個人のパソコンにあるデータを利用し通信回線の負担を軽くする技術。
P2Pソフトの代表格が話題のウィニーだ。
個人情報保護や企業機密保護の立場からウィニーは使用しないようにという。
そこで、
ハードとして、シンポジュームの「超高速光通信の現状と展望」が注目される。

コンピュータ間にて100Gbpsの速度であるから、
銅線は減衰が大きく、光ファイバ通信か無線通信しかない。
さらに、2010年でも、
計算、画像処理、スケジュール管理は半導体しかない。

そこでシンポジュームでは、
光・電気変換のスピードに着目した発表と、
短パルス発生技術(時間分割多重に必要)と
ファイバ分散補償技術(多値位相変調に必要)に注目した発表がなされた。

私の最も注目したデータ交換の核心ハード部分、
すなわち、
スイッチ部分にて光スイッチは間に合わない。
光スイッチはスピードと集積度が両立できていないから。
ルート調整や優先処理などのパッケット追い越し処理ができないので、現状のソフトを大幅に改造しなければならないから。

では、
半導体スイッチは2010年の要求レベルを達成できるのか?
消費電力(mW/Gbps)、入出力密度(μmピッチ)、伝送距離(m)。

2010年、スイッチは半導体かもしれない。
でも、その2年後は?

P2Pソフトの全面採用、
バーストスイッチとの混在、
それとも、
今私が興味の超伝導スイッチの出番かと思う。

いずれにしても、
インターネット、誰もが日々感謝するようになるだろう。

今朝(けさ)もまた 覚めて目も見え 手も動く

No.6
2006年03月24日 01:41
送信者:Kimie < >
表題:春です、春! 【花便り No.19】

21日火曜日、神代植物園に行ってきました。このところの暖かさに一斉に花が開きました。
今が盛りは花桃、連翹、土佐水木、馬酔木、木瓜、三椏、ポピーやラッパ水仙、富貴草などなど。
なかでもちょっと珍しいのは、黒文字(上等な楊枝に使うあれです。黄色の小さな花がたくさん固まって咲き、青い空に映えてきれいです。)、片栗(二ヶ所にあります。去年よりたくさん咲いています。なんでも花が咲くまで数年かかるとか。人気モノで何人もがカメラを構えていました。)、白い蒲公英(白さが際立ってとてもきれいです。)。
椿はいろいろな種類が順に4月ごろまで咲きますが、ちょって変った卜半(ボクハン)というのが咲いています。真ん中がペーパーフラワーみたいにクシャクシャしています。
咲き始めは雪柳や白木蓮。
桜はヒカン桜や変った桜の緑近畿豆桜が見頃です。
週末あたりいかがですか。

No.5
2006年03月23日 11:55
送信者:西川和人 < >
表題:同期生のラジオ出演のお知らせ。

高1で小生と同級(1E)であった関満博氏(現在、一橋大学大学院教授)が、数年来、ラジオNHK第一放送の「経済展望」という番組に、定期的に出演していますので、お知らせします。
ご関心のある方は、寝床でまどろみながらで結構ですから聞いてみてください。
直近の出演は、3月29日、水曜日の早朝6時40分ころからです。正確に4週間ごとの同じ時間に登場しますので、聞き逃した場合は次回に挑戦してください。

No.4
2006年03月20日 06:45
送信者:鈴木克己 < >
表題:百敗万難を踏んでも丹心は蒼天に訴う

佐久間象山:
「人生は鬼ごっこではない。まず目隠しを取って歩け」
 「朱子学や陽明学は人間を作り、家をととのえた」
 「国学は家ではなく国柄を考えるキッカケを国民に与えた」
 「洋学は自然の究理であり、弱肉強食の天地自然の法則に基づいている」

1864年8月8日。
あらゆる知能を侵略の武器の発達にそそいで来た列強、
英、仏、米、蘭の列強からなる連合艦隊20数隻。
その砲撃を下関にまともに受けた後、
長州講和全権・高杉晋作(25歳)は敵艦ユリアシス号に乗り込み、
賠償金300万ドルを江戸幕府に支払わせるという講和条約を結ぶ。

1864年12月15日の深夜の功山寺。
総大将・高杉晋作と副将・伊藤俊輔は馬上にあった。
続いて、
力士隊60人と遊撃隊24人の平民84名は雪を蹴って進軍した。

幕府による長州征伐と長州内の大勢を占める幕府恭順派に対するクーデタ。
12月15日、侍2名と平民84名からなる若者。
維新回天の始動点になったといわれ、その後の政治決断の鏡になった。

No.3
2006年03月20日 06:44
送信者:鈴木克己 < >
表題:100年の伝統と三多摩の野性

紫芳会名簿部会への出席報告。
びっくりしたことあり。

小平2中の老骨徒は立高紫芳会にて小平支部推薦の代議員。
先日、紫芳会名簿部会に高18期として誰もいないので名簿部会員になってほしいと紫芳会の方から依頼された。
ということで老骨徒は、
3月18日(土曜)14:00〜16:30の名簿部会に出席。

2006年度紫芳会名簿発行について経過と予定:
理事会暫定承認(2月)
名簿登載の諾否を兼ねた名簿作成回答(6月15日の締切予定)
理事会最終承認(7月予定)
名簿発行(H19年3月予定)

発行名簿の形式(予定):
卒業期と卒業年(登載諾否の選択なし)
氏名(旧姓)と男女(登載諾否の選択なし)
自宅住所(登載諾否の選択あり)
自宅電話(登載諾否の選択あり)
勤務先名称(登載諾否の選択あり)
勤務先電話(登載諾否の選択あり)

返事なき場合は旧名簿のまま登載を承諾したこととする。
勤務先電話(登載諾否の選択あり)は、18日の部会で追加された。

すなわち、
18日の名簿部会の雰囲気は、
老骨徒を除き、
他の出席者すべては名簿発行それいけドンドンとお見受けした。

そこで、18日の14:00〜16:30において、
半分の時間は老骨徒が質疑していた。

質疑:「返事なき場合は旧名簿のまま登載を承諾したこととする」は安易ではないか?
返事:名簿人数が大幅に減少してしまうから承諾としたい。

質疑:勤務先の名称と電話」は何故必要なのか?
返事:特に勤務先電話を載せてもらいたいという希望者がいる。

質疑:そもそも今のご時世で名簿発行配布をやって誰が責任をとるのか?
返事:個人情報の保護管理責任者は、検討中でありまだ決めていない。

質疑:弁護士と相談しているから大丈夫というが、弁護士などの専門家は責任をとれない。
返事:なし。

どこでもだれでも、
責任をとれないということで名簿を発行しないことになってしまうのが大勢。

でも、
どっこい。
100年の伝統と三多摩の野性は立高魂としてまだ息づいているようだ。
「あんた(老骨徒のこと)の意見は今後の参考にするが、理屈っぽい」

18日の紫芳会名簿部会は「それいけ」にて終了。
理屈っぽい老骨徒は団塊世代であるが、
それより10かそれ以上も上の元気な方々、意気や高し。

No.2
2006年03月13日 23:25
送信者:Kimie < >
表題:ええっ?うっそ〜!

大変に格調高く、かつ、びっくりしたものを見ましたので、そのご報告。

昨日の午後、松本にある松本館という料亭におりました。
 http://www.mcci.or.jp/www/matukan/index.htm
昭和10年に建てられた建物で、大広間は結婚披露宴用に作られており、
106枚の天井絵や障子腰の絵は地方にありがちな朴訥さやエグさではない良さがありました。
(参考:大広間のページ。ただし、色相が変。障子腰のオレンジ色はごく普通の古びた杉の色。
 http://www.mcci.or.jp/www/matukan/main.html )
レトロモダンそのもの。登録有形文化財になっています。

しかししかし、びっくりしたのは、この広間でなく、和式のトイレ。
大きさは0.8坪ほど・・・どこかで見た殿様や奥方様が使う雪隠はこんな大きさだったなあ。。。
床は朱に塗られた板張り・・・建てた当時はお城の雪隠のように畳敷きだったかも。。。
そして!
しゃがむと目の前には、と・こ・の・ま・・・
つまり、奥行きは1尺ほどですが床の間があり、掛け軸がかけられ、違い棚があって、花入れには花!!!
ええっ?うっそ〜!何これ!!
今は平成の世の中だよねぇ。

庶民の悲しさ・・・妙に落ち着かなくて、早々にでてまいりました・・・

でもでも一見の価値あり。松本にいらっしゃるおりには、是非。
懐石料理など“お手ごろな”お料理もありますゆえ。

No.1
2006年03月13日 06:23
送信者:鈴木克己 < >
表題:雨にも負けず、いじわるにも負けず3

小平2中の老骨徒のパソコンのせいかどうかを確かめるいみで、
ちょっと書き込んでみます。

この書き込みですぐ「いじわる」の反応があれば、
老骨徒のパソコンか老骨徒にかかわることになる可能性が否定できないことになる。

さて、
3月11日(土曜)の午後、
アーモンド姫とガメ姫とお茶しました。
・・・・・・
いえ、特別ないみや目的でなく、
お茶のみ友達という会話だけでした。

ではまた。

スパムの書き込みのため、新装開店しました。
そのためシリアルナンバーになっていません。

No.32
2006年03月06日 05:52
送信者:鈴木克己 < >
表題:雨にも負けず、いじわるにも負けず2

「掲示板荒らし」の手の内を勉強できる機会を与えられたと思い、
しばらくの間、
この掲示板に現われた、
世間に対しグレテシマッタ「掲示板荒らし者」につきあってみよう。

No.1からNo.15まで、
/cgi-bin/
という文字列があります。

CGIとはCommon Gateway Interfaceの略。
CGIとはweb serverで動いてweb 経由でデータをと送受信するプログラムの総称。
「掲示板荒らし者」がweb経由でCGIプログラムにアクセスすると、
web server がそのCGIプログラムを実行して、
その出力結果を「掲示板荒らし者」に送り返すInterface。

昔むかし、BASICというインターラクティブ命令言語があったこと覚えていますか?

一行ごとで実行してくれる呪文。
小さなメモリ環境でコンピュータを動かせる呪文。
それを作った人物は現在、毎年発表される成金長者のトップにず〜と君臨しています。
もちろん、BASICだけでそうなった分けではない。

ではまた。

No.16
2006年03月04日 06:34
送信者:鈴木克己 < >
表題:雨にも負けず、いじわるにも負けず

我が家の庭の梅。
咲き始めました。

それにしても世の中いろいろ。

自分が不幸だと他のヒトも不幸にしようとするなんて。

親や周囲がダメだと、グレテヤルとおもうなんて。

ではまた。


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