2004年5月23日更新
クラス会、クラブの集まりなどお知らせください。
会合名 | 報告近況 |
1Cクラス会速報 立高18期の掲示板から転載 |
No.1342 2004年05月23日 01:20 送信者:momo <m > 表題:momo通信42 1Cクラス会速報 5月22日17時から、新宿住友ビル50階の土佐料理‘ねぼけ’にて2回目の1Cクラス会が開催されました。参加者は男子12名(幹事の坂本・吉田両君に青木・宇津木・宗宮・藤橋・村上・竹下・恩田・白石・杉原の各君とmomo)・女子3名(幹事の井上京子さんと佐伯勝代さん・小林林恭子さん、女子の姓は全て在校当時)に井上智子先生の計16名。井上先生は齢80で多方面にご活躍中とのこと。 話題の中心は‘ヤリ残した青春’。S原君は50の手習いでピアノを、T下君は合唱団に入って、と活躍中。まだ‘ヤリ残した青春’に取り掛かっていない人も数年後の‘自由の身’に夢を…。 二次会は20時半から、ハルク横のカラオケ館で…。 ではまた |
庭球部近況 立高18期の掲示板から転載 |
No.778 2002年09月19日 13:36 送信者:川合 浩一 表題:庭球部情報を一つ。 庭球部情報を一つ。 去る8月の16日/17日とゴルフ合宿に行ってきました。参加者は稲毛、宮本、 小生とその妻達。約1名その妻でなく女友達をお連れになっていますが。 その方は若くして奥様をなくされて現在独身、誤解のなき様。 今回は宮本さんが都合で欠席。代わりにと言ってはなんですが、一級上の宮城さんご夫妻が参加。 16日は富士見高原で1ラウンド、その日は小淵沢カントリーのロッジに泊まって大宴会。 17日はその小淵沢で1ラウンドした訳。 何時もであれば、8月のお盆の時期は避けて開催でしたが、今回はどうしても 皆の予定が合わず、お盆の最中での開催で帰りの大渋滞覚悟で出発しましたが、 案に反して何時ものプラス1時間で帰宅。 市川は私同様関西の住人になっていますが(阪南大学教授)、東京での合宿には 参加していました。しかし現在彼は豪州のアデレードと言うとこに今年4月から 1年間研修に行っており今回は不参加。 こんなところが庭球部同期の最近の状況です。 |
旧1Eクラス会 幹事報告と立高18期の掲示板から転載 |
2002年5月25日(土) 於:立川 |
「旧1E」クラス会開催報告――――備忘録として。 5月11日(土)14時より、立川南口から程近い、インターネットでの検索と幹事(自称「押し掛け幹事」のN川)自らの足で歩いて見つけた、某カプセルホテル1階にある「City倶楽部」にて、高校第18期、即ち昭和38年に立川高校に入学した「旧1E」クラス会を、勿論卒業以来初めての試みとして開催しました。 (文責:西川) |
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No.679 2002年05月27日 11:55 送信者:忠・ソンカル・さん 表題:1E同級会報告 分科会報告という支線もあるようですが、先日来西川君とこの欄をお借りして騒いでいたこともあり、卒業以来37年ぶりにはじめて挙行されたクラス会、5月25日(土)の立川での顛末をお知らせします。 出席者は土橋先生と16名のおじさんたち(うち2名は既におじいさん)で、2次会から参加した者3名、合わせて生徒が19名。当時のクラスが52〜53名だったことを思えば3割5分の打率は悪くない。もしかしたら石井章心の急逝が多くの仲間を呼び集めたのかもしれない。 土橋先生は御歳72歳で、かつて私たちに教鞭を取られていたときには30代前半と知り、皆一様に驚く。あの頃の先生は(今もそうだけれど)包容力があるけれど威厳があり、鋼のごとき実直な意思とその意思を伝える澄んだ目で生徒たちの尊敬を集めていた。自分たちの親父に近い年齢に見えた。己の31〜2歳時を振り返ってとても敵わないと思った。 それぞれが近況や思い出を語る中で、何人もが1Eこそ我が原点といい,多くの級友が頷いた。それは私も同様である。思えば不思議なバランスを持ったクラスだった。森安や藤田に代表されるワル仲間と西川・西村等の優等生グループ。それが素敵に一つにまとまっていた。難しい年頃の、男ばかりのクラスという環境が影響していたにちがいない。直線的に上を目指すのか寄り道してからいくのか、右へ行くのか左なのか。皆揺れ動いていた。悩みつつお互いに刺激しあいまとまっていた。 そんなことをあれこれと語り合い、2次会から3次会へと進行し、演歌もたっぷりと唄いまくり、夜10時ごろに立川駅で電車に乗り込んだ。 幹事の西川さん、お疲れ様でした。私は途中ぐっすり寝ていたので、フォローしてください。次回の設定もよろしくね。 |
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No.680 2002年05月28日 13:41 送信者:三輪 創 表題:1E同級会報告ー続き いつも覗き見ばかりしていた三輪です。皆様あまりにもインテリ過ぎるか、その逆かの投稿で、私のような中庸な人間にはなかなか入る機会がありませんでしたが、2次会の間完全にお休みなさっていた忠さんを補足することもあり、初参入です。 私はドイツのベルリンに1981年から2001年まで滞在し、昨年から住民票を横浜に出して、日本での再生活を始めました。従い、今回のクラス会で30年ぶりの立川となりました。会合に向かう南武線で向かいに座った柳生君のことが分からず、なんだかこの人もクラス会に行くような雰囲気だなと思ったならば会場で又会うしまつです。 立川君が隣に座り、皆外見は変わった人が多いが、声を聞くと直ぐによみがえるな、と言ったのがまさに言いえて妙というやつでした。その変貌ぶりは頭の部分が顕著だと激しく、というと心当たりのある人が多いでしょうから具体的な名前は挙げませんが。ちなみに私は白髪、中年(高年)太りで、あの精悍だったサッカー部時代の三輪はどこへ行ったのと言われると、返す言葉もありません。 さて、一次会の報告はすでに忠さんからされていますが、土橋先生から君たちはエリートなんだから、日本の為に頑張れとのお話を聞いた時には、まったく返す言葉もありませんでした。 2次会は立川駅ビルの中の中華料理屋で、紹興酒と飲茶で更に旧交を温めましたが私はその前に立高に行ってきました。校舎も校庭も変わりましたが、私たちが汗を流した校庭の土までは変わっていないだろうとしばらく思い出にひたりました。 2次会が終わり、気が付いたら家にいました。3次会は私は行かないで、帰ったようです。 西川さん、楽しい時をアレンジしてくれて、有難う。 |
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No.681 2002年05月28日 23:47 送信者:野本誠一郎 表題:1E同級会報告ー続きの2 このような楽しいホームページがあることは、今回1年E組のクラス会に出席して初めて知りました。今は、茨城県牛久市に住んでいる、高校時代は青梅から通った田舎者だった野本です。 1年E組というと男子クラス。野郎だけのクラス会に集まる奴なんているのかよ。と不安半分、半分期待を膨らませて出席しました。 立川駅を降りて、立川の南口のあまりの変貌にしばし絶句。モノレールが頭の上を走っているではありませんか。都市化して、昔の風景は皆無です。 会場(立川シティーinn)を探そうと、まわりを見回すと、鈴木忠さんらしき人と、森安くんがいました。風貌は中年でしたが(こちらも同様)すぐわかり、声をかけました。 会場に着くと、顔は覚えはあるのだけれど、名前が思い出せない人、紅顔の美少年だった?ころの風貌のままの人、いろいろいましたが、話を始めて見ると、声と話しぶりで昔の記憶がよみがえってきました。 土橋先生も出席され、相変わらず凛々しく、威厳があり、君たちはエリートなんだからといわれた時は、久しぶりに心がしゃんとしました。 一人一人、近況と1年E組時代の思い出を話しましたが、なつかしかった。あのクラスでは勉強が難しかったはず(特に数学)なのに、思い出すのは遊んだ記憶ばかりです。 合唱祭、演劇コンクール(演題:コンロン山の人々)、体育祭の仮装行列(森安くん演出、小西君主演の「カルメン」)、文化祭でジャングルを作ったこと、卒業生の予餞会で森安くんたちが「ビートルズ」を歌ったこと、いまふりかえっても、皆楽しい思い出ばかりです。 だから、野郎ばかりでも19名も集まったんですね。 大阪から、わざわざ川合君、羽柴君も参加し、1年E組の引力の強さを実感しました。 二次会は、南口の駅ビル7階の香港料理、三次会は近くのカラオケに流れ、最後まで出席しました。カラオケでは皆の歌のうまさに感激。音楽クラスなのだからあたりまえか。 実は、私、ここ7年ばかり体調を崩していたものですから、今度のクラス会に最後まで参加できたことは自分にとって快挙でした。 皆様のご活躍と、土橋先生のますますのご健康を祈念します。 幹事の西川くん、心からご苦労様でした。 また、是非やりましょう。 |
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No.688 2002年05月30日 10:53 送信者:藤田 隆 表題:1Eクラス会通信 このところ元1Eで掲示板が占拠されていますが、もう少し我慢して下さい。 チョットここでおことわりしておきます。忠さんの書き込みの中にワルのグループと優等生のグループの話があって、藤田の文字が見えますが、なにかの勘違いでしょうか。 私も1Eでしたので、1,2,3次会とフルで出席しました。 まず久しぶりの立川駅周辺の変貌に一瞬たじろぎ、さて会場はどこだろうと少しうろつき、何とか定刻少し前に間に合いました。 当時、時により個人的なご指導も頂いた土橋先生の正面は、ちょっと恐れ多いため若干はずして着席しました。 参加メンバーの顔を見回して、中には同期会でも会えなくてそれこそ卒業以来と言う顔もありました。40年になろうとする時をはさんで、記憶力に関してあまり自信のない私でも、皆さんアルコールが入ってガードが取れて話が活発になってくると不思議とスムーズに蘇ってくるものだと思いました。 それからは酔っ払ったおじさん軍団は、2次会会場をさがして駅ビルの中を練り歩き、駅ビル前では彼氏と待ち合わせ中のお嬢さんをつかまえて記念撮影のシャッター係をお願いしたり、はたまた3次会会場探しでは交番のおまわりさんに親切に(本当は迷惑をかけました)して頂きました。 しらふの私は常にグループの最後尾でシープドッグの役目を果たしました。(これはヒョットしたら私の勘違いかもしれません) なにはともあれ皆でヒジョーに楽しい時間を過ごさせて頂きました。 律儀で熱意を持った幹事がいるというのは幸せなことだと思いました。 西川君有難う。またやりましょう。 |
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No.692 2002年06月03日 18:57 送信者:西川 和人 表題:1Eクラス会通信――その2 今回のクラス会で感じたことなどを幾つか。 今回は、やや勝手連的に、押し掛け幹事スタイルで突如ご案内をしたにもかかわらず、皆さん結構律義に対応してくれたことに感謝。 亡くなった石井章心君と住所等不明の2名を除き、51名の旧級友に案内状を発送して36名から回答がありました(7割少々)。うち半数の18名が1次、2次会を通じての出席者、むくつけき男ばかりのクラスでなかなかの率だと思いますよね、誰でも。(会の席でも、「なんでこんなに集まるんだろ。俺達、ばっかじゃないの?」とのM安氏の発言がありました。) 欠席を残念がっている回答もかなりありましたので、潜在需要はさらに大きいと、我田引水的に総括しています。 再発見、再認識したこともあります。 一つは、土橋先生のご年齢。忠さんが書いていた通りですが、計算して見ると、当時32歳から33歳ということになる。しかも現在も40歳代でも通用しそうな若ぶりなのです。(元生徒達もまっつぁお!。)ご健康には必ずしも恵まれていらっしゃらなかったというお話もありましたが、かといって病的な若さでは決してありません。それと気持ちの若さ。三輪、野本氏の書き込みにもありますが、ご挨拶を頂いたところ、世を愁え、時代を愁え、そして最後は、中年から老境に移りつつある我々に対して、「君たちにはこの日本を良くする責務があるのだ。」という「檄」が飛びました。 二つ目は、生徒側の若ぶり三羽がらす。高1の時と少しも変わらないのが、衆目の一致するF田氏。当時より若返っていると評判のN本氏。にきびが消えただけでも無さそうでした。そして、高1というより多分小6の時とも変わらない若々しさを誇るH崎氏。 三つ目は、変わった方の代表。頭の話は些か差し障りがあるので置いておいて、恰幅の上がった横綱は、W辺氏、大関はM輪氏とY生氏。W辺氏は近々北京へ赴任とか、中華料理でさらに磨きが掛かるのではないか、と期待したり、心配したり。M輪氏は、昔日の精悍さの面影薄れ、とは本人も自覚がおありのよう。Y生氏は、立高卒業後に身長も15cmばかり伸びたとのこと。お互い電車で向かい合わせでも気がつかないのもむべなるかな、でござんす。 四つ目は、忠さんが「学級委員?」に任命されていたという「その嘘ホント」が明らかになりました。本人はその人選を人格識見からして当然視しているようですが、土橋先生はコメントを敢えてお避けになりました。忠さんの「施政」は、何だったんだろう。圧政ではなかったことは確か。その政策運営が「記憶に新しくない」、ということは、空気の如き善政だったのでしょうね。 当BBSの宣伝もしました。若干の目に見える効果があったことは喜ばしいことです。「セピア色の…」の企画にも言及しましたが、やや反応薄の嫌いあり。 管理人さんのかねての宿願でもあるので、皆さん協力して、何時か実現しましょうね。 写真の整理もつきましたので、出席の皆さんには近々お届けしますよーっと。 |
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旧1Cクラス会 | 2001年11月10日 於:立川 |
春の18期同期会2次会の席上での「1Cのクラス会をやろう」との話、まさかと思っていたが、坂本・矢島両氏の尽力で実現してしまった。 雨のそぼ降る11月10日昼下がり、立川駅南口に降り立ちあまりの変わりように一瞬足が止まったが、地図を片手に何とか会場の“笹の雪”にたどり着いた。 井上先生をはじめ女子3名、男子11名の参加者(+2次会よりの参加1名)のほとんどの顔がすでに揃っている。 坂本氏の挨拶で開会。先生より「50歳はまだまだ、これから頑張って!」との励ましと「同期会では人数が多すぎてできないのでこの機会に近況を聞かせて欲しい」とのご要望。乾杯後順に近況報告。50歳も半ば近い年齢は、やはり身体的にも、社会的な意味でも大変な時期、しかしみなさんそれぞれに、頑張っていらっしゃいますな!8月に手術・入院1ヶ月、なのにもうゴルフ三昧という猛者も。 卒業以来今回が初めて会う人、と思ったのもこちらの勝手な思い込み。同期会には出ているという。もちろん、初再会の人も。沢山の人が集まる同期会では、一緒に話せる人が限られてしまうが、クラス会だとゆっくり話ができるのが楽しい!気配りの矢島氏の持参した高1の時の写真を回し(え〜ッツ!こんなにふさふさしていたの!!など姦しい)、演劇コンクールや、合唱祭、体育祭、クラスの誰彼の事、恩師の事など話は尽きない。井上先生からも裏情報??が暴露される。少し疲れた中年のおじさん、おばさんの顔の向こうに紅顔の美少年、麗しの乙女の面影が蘇ってくる。途中、やむなく欠席のY氏、はるばる仙台より電話。女性全員が電話口に出るという一幕も。 最後にT氏の要望、合唱祭で歌った「花」(気配りの幹事殿 用意周到 楽譜も手元に)と“遥かな友へ”などを歌って1次会はお開き。2次会会場へ移動するころはすっかり雨もあがり…。 さすが幹事殿、2次会も場所をがっちり確保。それぞれに昔話や、近況に花が咲くうちに時間が過ぎ…この辺から私の記憶には霧がかかってくる…みんな〜!詳しく書き込みをしてね〜!…最後は民音の美中年??3人の「ベサメムーチョ」で一気に美しい10代へひとっ跳び! 井上先生ご出席くださいましてありがとうございます。幹事のお二人 ありがとう!次回もよろしく! (大島記) |