ライン

分科会 報告

2004年5月23日更新

クラス会、クラブの集まりなどお知らせください。


会合名 報告近況
1Cクラス会速報

立高18期の掲示板から転載
No.1342
2004年05月23日 01:20
送信者:momo <m >
表題:momo通信42 1Cクラス会速報

 5月22日17時から、新宿住友ビル50階の土佐料理‘ねぼけ’にて2回目の1Cクラス会が開催されました。参加者は男子12名(幹事の坂本・吉田両君に青木・宇津木・宗宮・藤橋・村上・竹下・恩田・白石・杉原の各君とmomo)・女子3名(幹事の井上京子さんと佐伯勝代さん・小林林恭子さん、女子の姓は全て在校当時)に井上智子先生の計16名。井上先生は齢80で多方面にご活躍中とのこと。
 話題の中心は‘ヤリ残した青春’。S原君は50の手習いでピアノを、T下君は合唱団に入って、と活躍中。まだ‘ヤリ残した青春’に取り掛かっていない人も数年後の‘自由の身’に夢を…。
 二次会は20時半から、ハルク横のカラオケ館で…。

 ではまた
庭球部近況

立高18期の掲示板から転載
No.778
2002年09月19日 13:36
送信者:川合 浩一
表題:庭球部情報を一つ。

庭球部情報を一つ。
去る8月の16日/17日とゴルフ合宿に行ってきました。参加者は稲毛、宮本、 小生とその妻達。約1名その妻でなく女友達をお連れになっていますが。 その方は若くして奥様をなくされて現在独身、誤解のなき様。
今回は宮本さんが都合で欠席。代わりにと言ってはなんですが、一級上の宮城さんご夫妻が参加。
16日は富士見高原で1ラウンド、その日は小淵沢カントリーのロッジに泊まって大宴会。
17日はその小淵沢で1ラウンドした訳。

何時もであれば、8月のお盆の時期は避けて開催でしたが、今回はどうしても 皆の予定が合わず、お盆の最中での開催で帰りの大渋滞覚悟で出発しましたが、 案に反して何時ものプラス1時間で帰宅。

市川は私同様関西の住人になっていますが(阪南大学教授)、東京での合宿には 参加していました。しかし現在彼は豪州のアデレードと言うとこに今年4月から 1年間研修に行っており今回は不参加。

こんなところが庭球部同期の最近の状況です。
旧1Eクラス会

幹事報告と立高18期の掲示板から転載
2002年5月25日(土) 於:立川

「旧1E」クラス会開催報告――――備忘録として。

5月11日(土)14時より、立川南口から程近い、インターネットでの検索と幹事(自称「押し掛け幹事」のN川)自らの足で歩いて見つけた、某カプセルホテル1階にある「City倶楽部」にて、高校第18期、即ち昭和38年に立川高校に入学した「旧1E」クラス会を、勿論卒業以来初めての試みとして開催しました。
幹事たるもの遅れてはならじと、定刻30分前にN川が到着。さすがに一番乗りだったので、取り敢えずレストランの奥に仕切られた会場の現況をしっかり確認する。出欠の確認や会費の徴収整理のため、脇にどけてあるテーブルを勝手に動かして受付用のデスクとする。10分ほどで準備が万端整った頃、T持氏が最初に顔を出す。一瞬名前が出にくかったが、充分面影の残る精悍な顔つきに直ぐに蘇る。会費を頂いた上で、取り敢えず有り合わせの椅子に座ってもらっているうちに、後続が続々到着し始める。半数が揃った頃、担任であった土橋先生がいらっしゃったので、それではと、既に到着した人達とともに適宜着席してもらう。定刻14時の10分過ぎには、遅れを予告していたH崎氏を除き、生徒15名全員が揃った。ここで嬉しいハップニング。H原氏は、幹事に回答が届いていなかったが、本人はEメールで2度も出席の返事を出した、とのことでとにかくやって来た。メール不着のサインもなかったとのことだが、IT時代の盲点の一つか?。結果的に無断出席となった訳だが、こういうことも珍しい。もちろん参加者が一人増えても何ら問題は無し。
これで席はすべて埋まったので、幹事N川の皮切りの短い挨拶と音頭で乾杯し、会がスタート。クラス全員の名簿と、18期同期会ホームページのパンフを配り、HPを改めてピーアール。懸案となっている新企画「セピア色の…」のための写真を募集することが主眼。ただし、はっきり言って、効果の程は隔靴掻痒アヒルの水掻きの世界なのですが、出来ることは、出来る時にしておかないとね。そうこうするうちにH崎氏も20分遅れで到着し、これで本当に全員(土橋先生と生徒16名)が揃った事になる。わいわいがやがや、「あの時誰がどうした、今どうしている。」でひとしきり。誰が一番変わったかというテーマでは、やはりどうしても、太った痩せた、髪の毛が残った減った無くなった白くなったに焦点が当たってしまう。その点で一番変わらないのは、髪ふさふさかつ黒々のF田氏に止めを刺す。苦労がないせいだろう、が定番の理由付けだが、本人はこの見方には不満のご様子。F田氏は高校の頃から全然変わっていない、と皆が言うのに対し、悪い奴がいて、「いや、別の某氏は立高当時どころか小学生の時と今とで顔がおんなじだぞ。」といささか失礼なことを叫ぶ。また、N本氏は立高当時より若がえっているとの声があり、本人も、自分はふけ顔だったのでそうかも知れない、と嬉しそう。土橋先生のお齢が話題になり、何時から立高にいらしたのか、現在何歳でいらっしゃるのかとお尋ねすると、大学卒業は昭和29年、数年後に立高に、と。また現在71歳で間もなく72歳におなりになる、というお話から、昭和38年当時は、32歳(お誕生日が来て33歳)ということが判明。他方、多くの生徒が、当時40歳前後であったに違いないと信じていたことも分かり、(S木忠さん曰く、「あの頃の先生は包容力があるけれど威厳があり、鋼の如き実直な意思とその意思を伝える澄んだ目で生徒達の尊敬を集めていた。自分達の親父に近い年齢に見えた。」)大変失礼ながら、大変お若い少壮有為の数学教師でいらしたのだと、改めて感得・得心。お若かったので、我々のわるさを寛容にも許して下さったのだという陰の声もあった。
暫くして、「先生にご挨拶をお願いしよう。」という不遜の声。そこは「やっぱり生徒からじゃないか。いくら先生だって、生徒の話を聞いてそれで漸く思い出すこともあるでしょう。」との良識派の常識論が勝ち、M安氏から順次思い出やら、近況やらのご報告。何人か聞いていると幾つか共通事項があることに気付く。中学から高校へのカルチャーショック。人より出来ていたお勉強がそうでなくなる。特に数学がちんぷんかんぷんで、土橋先生の白衣が恨めしかったという某氏。複素数何ぞは、何の事やら、何のためやら、最後まで分からず、それで、理系を即諦めたという某氏。立高時代が楽しい思い出で満ちているのは勿論だが、特に1年生当時が極めつけだったという異口同音の声。行事では、クラス対抗のバレーボール大会。Y山氏がトス回し役で、アタッカーも適当に揃い、学年で優勝した上に2年生の優勝チームを破った筈。国立の谷保の竹やぶから手ごろな竹を何本か、多分無断で拝借し、甲州街道を徒歩でえっちらおっちら運んで文化祭のジャングル展示に使ったとのK合氏の発言に、それは七夕飾りじゃないか、との周囲の声。そうそう、そんなこともあったっけ。正門から向かって左端一階の教室の、右前方の入り口付近に7月7日の当日に大きな七夕飾りをおっ立て、先生連を驚かせたっけ。他クラスからの見物もあったりして…。体育祭の仮装行列。カルメンを題材とし、カルメン役はその後転校した柔道部のK西氏で、古今の英傑が色目を使うも片端から振りまくる(投げ捨てまくる)というストーリーだったと記憶するが、W辺氏が、カルメンに言い寄るものどもを自分が投げ飛ばした、というのには、いささかきょとん。カルメンに用心棒がいたのか知らん。合唱祭は「ともしび」、演コンは「崑崙山の人々」。誰にであったか名前は秘すが、「立川文化ミュージック」とかいう名前の多分スト・・プ劇場らしきもののステージ模様を教えてもらったのも、1年E組。その当人は、時に土橋先生宅に招かれやさしく諭された、羨ましい経験の持ち主。S木氏が土橋先生にクラス委員に任命されていたことも本人の申告により判明。小学校が総代、中学校で生徒会長の経歴を買われたものであり、順当、当然の人選、との本人説明に、任命した側の土橋先生はノーコメント。因みにクラスにS木姓が3人いたので名前で区別されていたが、これは「ちゅう」さんの方。T持氏が、座席が出席簿順で決められ、黒板に向かって、右後方から左前方に向かって順に配置されたので、右後方グループと左前方グループは、平生接触が少なく、お互いに余り親しみがなかったとの感想を述べる。そう言われてみると、出席簿は身長順だったので、右後方には、比較的背の高い連中が集まっていた記憶が確かにある。代返も自ずと発声源が地域限定されるだろうし、対角線同士は疎遠になり勝ちだったかも知れない。比較的背の高い連中の間にも、180センチを越えていても、5、6番目だったのが屈辱的(?)だったという声もあった。F田氏とH原氏は既に孫持ち。「おジジ!」とか「お爺ちゃん!」と親しく呼び掛けられるようになるのももう間近。Y生氏は昨年退職し、現在は、ゆったりと命の洗濯中。もう1年くらいは、旅行などしながらのんびりとした生活を続け、その先のことはそれから考えるとのこと。そう言えば、二次会から参加のN村氏も、今年の4月から充電中と聞く。我々すべてがそういう年代になっていることをひしひしと感じる。W辺氏は、間もなく北京に赴任とのこと。3年は駐在しそうなので、その間の立ち寄りは中華料理で大いに歓迎するそうです(この原稿を暖めているうちに、W辺氏より、既に北京に着任したとの挨拶状を戴く。)。一方M輪氏は、昨年10数年間のベルリン在住に別れを告げ帰国したとのことだが、現在3度目の結婚生活を営んでいるシルバーグレイの艶福家。A原氏は、立高時代から現在まで住所が全く変わらない(町名表示は変わっている。)希有な存在。最近勤務場所が23区内に変わり、通勤時間が大分延びたとのこと。H柴氏は、関西紫芳会の幹事をつとめ、次週が総会とのことで、同じ関西勤務のK合氏に「必ず出席してよ」と念押し。H崎氏は、サンデーハーモニー合唱団の常連メンバー。6月の来る紫芳会総会でも出番があるほか、秋、11月23日に定期演奏会の日程が決まったとのこと。T川氏の記憶は今ならいじめで問題になりそうな話。M安氏が多分柔道部の先輩の誰かに「モヒカン刈り」にされてしまい、それを見咎めた土橋先生が、教壇から「誰がそんな頭にしたのだ、自分が直接出向いて抗議してやるから名前を教えるように。」と相当の剣幕で迫ったが、M安氏は名を明かさなかった、というものでした。
最後に、土橋先生からのご挨拶。出席者一人一人の当時の印象と現在との隔たり或いは変わりの無さに触れながら、丁寧にお話を頂く。そこから次第に、世を愁え、教育を愁え、そして、生徒連中の奮起を促す檄文調に展開。「君たちはエリートなのだから、この国を良くするためにまだまだやるべきことがある。まとまって行動すれば一段と力が発揮できる筈。」との趣旨。大いに煽られ、大いに刺激され、今更ながら、先生はいつまで経っても先生、生徒はいつまで経っても生徒、の図。土橋先生からは、これを機会にたまには自宅を訪ねて来て欲しいとのお誘いもあった。悪さをして呼び付けられる以外には、お宅にお邪魔するなど恐れ多いと考えていた連中も、それではそのうちお言葉に甘えて厚かましくも…、とその気になったりした。
まだまだ話は尽きねど、予約の時間が尽きて来たので、何時か又の再集合を期し、記念撮影を馬鹿チョンカメラで行い、一次会は16時40分頃終了。土橋先生は、ご健康の関係もあり、お帰りになったが、生徒16名中14名は、グランデュオ立川7階の中華点心の店での二次会に。途中からT田氏がゴルフコンペ帰りに駆け付け、さらにN村氏も加わり19時半頃までおしゃべりしまくる。解散後、うち8名は南口近くの交番でわざわざ場所を尋ねてカラオケ店へ。2時間コ―スで歌いまくり、22時頃、遠方の人もいるので名残を惜しみつつ解散。たっぷり楽しめた「旧1E」クラス会でした。
今後毎年とは行かないとは思いますが、2〜3年毎の同期会の合間に、また企画させて頂きます。1、2年一緒だった剣道一直線のS水氏から、2Eのクラス会も企画してくれ、との要望もありましたが、当面はそこまで手が伸びないかも知れません。

記憶違い、見当違いもあるかもしれません。誤りがあればご指摘下さい。

                                                        (文責:西川)

No.679
2002年05月27日 11:55
送信者:忠・ソンカル・さん
表題:1E同級会報告

分科会報告という支線もあるようですが、先日来西川君とこの欄をお借りして騒いでいたこともあり、卒業以来37年ぶりにはじめて挙行されたクラス会、5月25日(土)の立川での顛末をお知らせします。
出席者は土橋先生と16名のおじさんたち(うち2名は既におじいさん)で、2次会から参加した者3名、合わせて生徒が19名。当時のクラスが52〜53名だったことを思えば3割5分の打率は悪くない。もしかしたら石井章心の急逝が多くの仲間を呼び集めたのかもしれない。
土橋先生は御歳72歳で、かつて私たちに教鞭を取られていたときには30代前半と知り、皆一様に驚く。あの頃の先生は(今もそうだけれど)包容力があるけれど威厳があり、鋼のごとき実直な意思とその意思を伝える澄んだ目で生徒たちの尊敬を集めていた。自分たちの親父に近い年齢に見えた。己の31〜2歳時を振り返ってとても敵わないと思った。
それぞれが近況や思い出を語る中で、何人もが1Eこそ我が原点といい,多くの級友が頷いた。それは私も同様である。思えば不思議なバランスを持ったクラスだった。森安や藤田に代表されるワル仲間と西川・西村等の優等生グループ。それが素敵に一つにまとまっていた。難しい年頃の、男ばかりのクラスという環境が影響していたにちがいない。直線的に上を目指すのか寄り道してからいくのか、右へ行くのか左なのか。皆揺れ動いていた。悩みつつお互いに刺激しあいまとまっていた。
そんなことをあれこれと語り合い、2次会から3次会へと進行し、演歌もたっぷりと唄いまくり、夜10時ごろに立川駅で電車に乗り込んだ。
幹事の西川さん、お疲れ様でした。私は途中ぐっすり寝ていたので、フォローしてください。次回の設定もよろしくね。
No.680
2002年05月28日 13:41
送信者:三輪 創
表題:1E同級会報告ー続き

いつも覗き見ばかりしていた三輪です。皆様あまりにもインテリ過ぎるか、その逆かの投稿で、私のような中庸な人間にはなかなか入る機会がありませんでしたが、2次会の間完全にお休みなさっていた忠さんを補足することもあり、初参入です。
私はドイツのベルリンに1981年から2001年まで滞在し、昨年から住民票を横浜に出して、日本での再生活を始めました。従い、今回のクラス会で30年ぶりの立川となりました。会合に向かう南武線で向かいに座った柳生君のことが分からず、なんだかこの人もクラス会に行くような雰囲気だなと思ったならば会場で又会うしまつです。
立川君が隣に座り、皆外見は変わった人が多いが、声を聞くと直ぐによみがえるな、と言ったのがまさに言いえて妙というやつでした。その変貌ぶりは頭の部分が顕著だと激しく、というと心当たりのある人が多いでしょうから具体的な名前は挙げませんが。ちなみに私は白髪、中年(高年)太りで、あの精悍だったサッカー部時代の三輪はどこへ行ったのと言われると、返す言葉もありません。
さて、一次会の報告はすでに忠さんからされていますが、土橋先生から君たちはエリートなんだから、日本の為に頑張れとのお話を聞いた時には、まったく返す言葉もありませんでした。
2次会は立川駅ビルの中の中華料理屋で、紹興酒と飲茶で更に旧交を温めましたが私はその前に立高に行ってきました。校舎も校庭も変わりましたが、私たちが汗を流した校庭の土までは変わっていないだろうとしばらく思い出にひたりました。
2次会が終わり、気が付いたら家にいました。3次会は私は行かないで、帰ったようです。
西川さん、楽しい時をアレンジしてくれて、有難う。
No.681
2002年05月28日 23:47
送信者:野本誠一郎
表題:1E同級会報告ー続きの2

このような楽しいホームページがあることは、今回1年E組のクラス会に出席して初めて知りました。今は、茨城県牛久市に住んでいる、高校時代は青梅から通った田舎者だった野本です。

1年E組というと男子クラス。野郎だけのクラス会に集まる奴なんているのかよ。と不安半分、半分期待を膨らませて出席しました。
立川駅を降りて、立川の南口のあまりの変貌にしばし絶句。モノレールが頭の上を走っているではありませんか。都市化して、昔の風景は皆無です。
会場(立川シティーinn)を探そうと、まわりを見回すと、鈴木忠さんらしき人と、森安くんがいました。風貌は中年でしたが(こちらも同様)すぐわかり、声をかけました。
会場に着くと、顔は覚えはあるのだけれど、名前が思い出せない人、紅顔の美少年だった?ころの風貌のままの人、いろいろいましたが、話を始めて見ると、声と話しぶりで昔の記憶がよみがえってきました。
土橋先生も出席され、相変わらず凛々しく、威厳があり、君たちはエリートなんだからといわれた時は、久しぶりに心がしゃんとしました。
一人一人、近況と1年E組時代の思い出を話しましたが、なつかしかった。あのクラスでは勉強が難しかったはず(特に数学)なのに、思い出すのは遊んだ記憶ばかりです。
合唱祭、演劇コンクール(演題:コンロン山の人々)、体育祭の仮装行列(森安くん演出、小西君主演の「カルメン」)、文化祭でジャングルを作ったこと、卒業生の予餞会で森安くんたちが「ビートルズ」を歌ったこと、いまふりかえっても、皆楽しい思い出ばかりです。
だから、野郎ばかりでも19名も集まったんですね。
大阪から、わざわざ川合君、羽柴君も参加し、1年E組の引力の強さを実感しました。
二次会は、南口の駅ビル7階の香港料理、三次会は近くのカラオケに流れ、最後まで出席しました。カラオケでは皆の歌のうまさに感激。音楽クラスなのだからあたりまえか。
実は、私、ここ7年ばかり体調を崩していたものですから、今度のクラス会に最後まで参加できたことは自分にとって快挙でした。
皆様のご活躍と、土橋先生のますますのご健康を祈念します。
幹事の西川くん、心からご苦労様でした。
また、是非やりましょう。
No.688
2002年05月30日 10:53
送信者:藤田 隆
表題:1Eクラス会通信

このところ元1Eで掲示板が占拠されていますが、もう少し我慢して下さい。
チョットここでおことわりしておきます。忠さんの書き込みの中にワルのグループと優等生のグループの話があって、藤田の文字が見えますが、なにかの勘違いでしょうか。
私も1Eでしたので、1,2,3次会とフルで出席しました。
まず久しぶりの立川駅周辺の変貌に一瞬たじろぎ、さて会場はどこだろうと少しうろつき、何とか定刻少し前に間に合いました。
当時、時により個人的なご指導も頂いた土橋先生の正面は、ちょっと恐れ多いため若干はずして着席しました。
参加メンバーの顔を見回して、中には同期会でも会えなくてそれこそ卒業以来と言う顔もありました。40年になろうとする時をはさんで、記憶力に関してあまり自信のない私でも、皆さんアルコールが入ってガードが取れて話が活発になってくると不思議とスムーズに蘇ってくるものだと思いました。
それからは酔っ払ったおじさん軍団は、2次会会場をさがして駅ビルの中を練り歩き、駅ビル前では彼氏と待ち合わせ中のお嬢さんをつかまえて記念撮影のシャッター係をお願いしたり、はたまた3次会会場探しでは交番のおまわりさんに親切に(本当は迷惑をかけました)して頂きました。
しらふの私は常にグループの最後尾でシープドッグの役目を果たしました。(これはヒョットしたら私の勘違いかもしれません)
なにはともあれ皆でヒジョーに楽しい時間を過ごさせて頂きました。
律儀で熱意を持った幹事がいるというのは幸せなことだと思いました。
西川君有難う。またやりましょう。
No.692
2002年06月03日 18:57
送信者:西川 和人
表題:1Eクラス会通信――その2

今回のクラス会で感じたことなどを幾つか。

今回は、やや勝手連的に、押し掛け幹事スタイルで突如ご案内をしたにもかかわらず、皆さん結構律義に対応してくれたことに感謝。
亡くなった石井章心君と住所等不明の2名を除き、51名の旧級友に案内状を発送して36名から回答がありました(7割少々)。うち半数の18名が1次、2次会を通じての出席者、むくつけき男ばかりのクラスでなかなかの率だと思いますよね、誰でも。(会の席でも、「なんでこんなに集まるんだろ。俺達、ばっかじゃないの?」とのM安氏の発言がありました。)
欠席を残念がっている回答もかなりありましたので、潜在需要はさらに大きいと、我田引水的に総括しています。

再発見、再認識したこともあります。
一つは、土橋先生のご年齢。忠さんが書いていた通りですが、計算して見ると、当時32歳から33歳ということになる。しかも現在も40歳代でも通用しそうな若ぶりなのです。(元生徒達もまっつぁお!。)ご健康には必ずしも恵まれていらっしゃらなかったというお話もありましたが、かといって病的な若さでは決してありません。それと気持ちの若さ。三輪、野本氏の書き込みにもありますが、ご挨拶を頂いたところ、世を愁え、時代を愁え、そして最後は、中年から老境に移りつつある我々に対して、「君たちにはこの日本を良くする責務があるのだ。」という「檄」が飛びました。
二つ目は、生徒側の若ぶり三羽がらす。高1の時と少しも変わらないのが、衆目の一致するF田氏。当時より若返っていると評判のN本氏。にきびが消えただけでも無さそうでした。そして、高1というより多分小6の時とも変わらない若々しさを誇るH崎氏。
三つ目は、変わった方の代表。頭の話は些か差し障りがあるので置いておいて、恰幅の上がった横綱は、W辺氏、大関はM輪氏とY生氏。W辺氏は近々北京へ赴任とか、中華料理でさらに磨きが掛かるのではないか、と期待したり、心配したり。M輪氏は、昔日の精悍さの面影薄れ、とは本人も自覚がおありのよう。Y生氏は、立高卒業後に身長も15cmばかり伸びたとのこと。お互い電車で向かい合わせでも気がつかないのもむべなるかな、でござんす。
四つ目は、忠さんが「学級委員?」に任命されていたという「その嘘ホント」が明らかになりました。本人はその人選を人格識見からして当然視しているようですが、土橋先生はコメントを敢えてお避けになりました。忠さんの「施政」は、何だったんだろう。圧政ではなかったことは確か。その政策運営が「記憶に新しくない」、ということは、空気の如き善政だったのでしょうね。

当BBSの宣伝もしました。若干の目に見える効果があったことは喜ばしいことです。「セピア色の…」の企画にも言及しましたが、やや反応薄の嫌いあり。
管理人さんのかねての宿願でもあるので、皆さん協力して、何時か実現しましょうね。

写真の整理もつきましたので、出席の皆さんには近々お届けしますよーっと。
旧1Cクラス会 2001年1110 於:立川

春の18期同期会2次会の席上での「1Cのクラス会をやろう」との話、まさかと思っていたが、坂本・矢島両氏の尽力で実現してしまった。

雨のそぼ降る1110日昼下がり、立川駅南口に降り立ちあまりの変わりように一瞬足が止まったが、地図を片手に何とか会場の“笹の雪”にたどり着いた。

井上先生をはじめ女子3名、男子11名の参加者(+2次会よりの参加1名)のほとんどの顔がすでに揃っている。

坂本氏の挨拶で開会。先生より「50歳はまだまだ、これから頑張って!」との励ましと「同期会では人数が多すぎてできないのでこの機会に近況を聞かせて欲しい」とのご要望。乾杯後順に近況報告。50歳も半ば近い年齢は、やはり身体的にも、社会的な意味でも大変な時期、しかしみなさんそれぞれに、頑張っていらっしゃいますな!8月に手術・入院1ヶ月、なのにもうゴルフ三昧という猛者も。

卒業以来今回が初めて会う人、と思ったのもこちらの勝手な思い込み。同期会には出ているという。もちろん、初再会の人も。沢山の人が集まる同期会では、一緒に話せる人が限られてしまうが、クラス会だとゆっくり話ができるのが楽しい!気配りの矢島氏の持参した高1の時の写真を回し(え〜ッツ!こんなにふさふさしていたの!!など姦しい)、演劇コンクールや、合唱祭、体育祭、クラスの誰彼の事、恩師の事など話は尽きない。井上先生からも裏情報??が暴露される。少し疲れた中年のおじさん、おばさんの顔の向こうに紅顔の美少年、麗しの乙女の面影が蘇ってくる。途中、やむなく欠席のY氏、はるばる仙台より電話。女性全員が電話口に出るという一幕も。

最後にT氏の要望、合唱祭で歌った「花」(気配りの幹事殿 用意周到 楽譜も手元に)と“遥かな友へ”などを歌って1次会はお開き。2次会会場へ移動するころはすっかり雨もあがり…。

さすが幹事殿、2次会も場所をがっちり確保。それぞれに昔話や、近況に花が咲くうちに時間が過ぎ…この辺から私の記憶には霧がかかってくる…みんな〜!詳しく書き込みをしてね〜!…最後は民音の美中年??3人の「ベサメムーチョ」で一気に美しい10代へひとっ跳び!

井上先生ご出席くださいましてありがとうございます。幹事のお二人 ありがとう!次回もよろしく!

(大島記)


トップへ
トップ

ライン