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 おもいっきり発掘!立高時代 過去ログ

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徹底的に立高時代のことを思い出してみませんか。ということで、内容は立高時代の思い出限定でお願いします。>>>ということで始めたのですが、06/2/28〜“荒らし”(たぶんBBSサーバーを攻撃するウィルス)が入りだしました。あんまりうっとうしくなったら、こちらは閉じることにいたします。


No.20
2003年01月20日 05:02
送信者:野本誠一郎 < >
表題:仮装行列

立高体育祭の恒例行事。そう、応援合戦と仮装行列。

AH, BG, CF, DEの4組に別れての応援合戦。各応援団長のかっこいいこと、それは素晴らしいものでした。

それはそうと、1年生のときの仮装行列のわが1Eの出し物は、確か「カルメン」。演出及び監督はまたまたかのM安君。ムチムチとはちきれんばかりの豊満な肉体のK西君演じるカルメンを中心に、仮装行列隊は400mのトラックを1周する間に、ドタバタ喜劇を見事に演じきりました。校長先生はじめ場内は爆笑の渦。もちろん1Eが優勝。

でも、カルメンの相手役は誰だったのでしょう。

No.19
2003年01月03日 23:39
送信者:とし < >
表題:同道→堂々

No.15 で変換ミスを見逃していました。(タイトルのとおり)

あとうださん、応援ありがとう。CDの件、団内用に何種類かあったと思いますが、在庫があるか確認してみます。
ただ、材料代などの実費(1枚300円程度)をお願いできれば幸いなのですが。(済みません、個人の持ち物でないので、一応・・・)
それでも宜しければ、送付先などを個別メールにてお知らせ下さい。
(オレって、カタブツだなぁ・・・)
                          とし

No.18
2003年01月03日 17:09
送信者:あとうだとしこ < >
表題:操作ミスです

Sorry.
としさん、立高新聞を持っているなんてさすがです。縮刷版があるのも知らなかった。
遅れましたがご挨拶を。
「ご無沙汰していますがサンデーハーモニーのご活躍を喜んでおります。生で聴けないので、CDかなにかあれば教えてください。」

No.17
2003年01月03日 16:55
送信者:あとうだとしこ < >
表題:まあ、すみません

めちゃめちゃなことを言って。私は1Dだったというのにこの記憶力の悪さ。野本さんごめんなさい。
としさん、

No.16
2003年01月03日 06:15
送信者:野本誠一郎 < >
表題:Re: 崑崙山の人々

としさん、ありがとう。よくわかりました。

「崑崙山の人々」は1DEだったのですね。

総合2位、装置2位、効果が1位、衣装1位だったんですか。佐藤幸子、森安建雄、藤田 隆、西川和人各氏も賞をとっていたのでは、記憶に鮮明に残っているのは当然ですね。

立高新聞の評も的を得て、当時の感激を今また思い出しています。

No.15
2003年01月03日 01:48
送信者:とし < >
表題:崑崙山の人々

やっぱり書かずばなるまい。
今「立高新聞縮刷版1」を見ながら書いています。
これの最後の方に、昭和38年12月7日発行の第78号があり、そこに以下の記事があります。

   2AHが総合優勝 〜舞い上がる紙吹雪〜
(途中省略)
結果は以下のとおりであった。([演出]と[照明]は選外のため省略)

[総合]
 1位 2AH 最初の人々
 2位 1DE 崑崙山の人々
 3位 2BG 三年寝太郎

[装置]
 1位 2AH 最初の人々
 2位 1DE 崑崙山の人々
 3位 1AH ママの貯金

[効果]
 1位 1DE 崑崙山の人々
 2位 2AH 最初の人々
 3位 2BG 三年寝太郎

[衣装]
 1位 1DE 崑崙山の人々
 2位 2DE 夕鶴
 3位 2BG 三年寝太郎

[個人賞]
 1 ばあさま 牛窪紀美子(2B)
 2 ある婦人 島田美恵子(2A)
 3 タオ   佐藤幸子 (1D)
 4 よひょう 高野 隆 (2E)
 5 つう   石井勢津子(2D)

[努力賞]
 カトリン   佐伯和美 (1A)
 賢一郎    市野寿雄 (1C)
 何仙人(?) 森安建雄 (1E)
 a仙人    藤田 隆 (1E)
 静仙人    西川和人 (1E)
 寝太郎    市川哲夫 (2B)
 会社員    栗原 正 (2H)
   
こうしてみると、1年生の活躍が光っていますね。さすが団塊の世代!

なお、続く記事には以下のような文章もありました。

〜(前評判の良かった「夕鶴」や「三年寝太郎」が3位以下であったのに比べて、「崑崙山の人々」が)総合練習の時に、まだセリフすら覚えていなかったのが、その後の努力により同道総合2位の栄冠を受けたということであった。
「崑崙山の人々」は一番遅れていたのに、全クラス挙げての協力とスタッフ・キャストの努力により入賞したということは大いに誉められて良いであろう。


No.14
2003年01月01日 22:55
送信者:野本誠一郎 < >
表題:崑崙山はやっぱり2年だったかな

あけましておめでとうございます。

あとうださん、ATOK10はあの一太郎のジャストシステムの日本語変換ソフトです。ダメですね。崑崙山はやっぱりでてきません。

M安君が主役だったのなら崑崙山は2年の時だったかも知れません。でも、M安君はは当時いつでもどこでもヒーローだったので、1年の時だったかも。
私も記憶に残っているのはこの作品だけ。演題と出演者の演技が素晴らしくうまく噛み合って、いまでも覚えているのでしょう。

No.13
2003年01月01日 18:01
送信者:あとうだとしこ < >
表題:他のクラスのことながら

あけましておめでとうございます。
野本さん、崑崙山は「崑崙」と一遍で出てきました。ATOK10というのは日本語変換ソフトですか?私は知らない。
この劇にはM安君も出ていましたよね。主役だった記憶があるけど違いますか?演劇コンクールで少しでも記憶があるのはこの作品だけ。それほどインパクトが強かった。

No.12
2002年12月31日 07:23
送信者: < >
表題:Re: 水を差すようだけど

あとうだとしこさま、よく崑崙山の変換ができましたね。私はWordでATOK10なんだけど、どうしても変換できなくやむなくコンロン山と書いてしまいました。
1Eで鈴木性が二人いて、鈴木君と呼べなく名前で呼んでました。忠さんとひろしです。ひろしくんが出ていた記憶があるので、やっぱり「崑崙山の人々」は1年の時の演題ではなかったのでしょうか。
でも、俺の記憶もそういわれるとだんだん自信がなくなったりして。

No.11
2002年12月29日 12:46
送信者:あとうだとしこ < >
表題:水を差すようだけど

No.10の野本さんの思い出。「崑崙山の人々」は1年のときじゃなかったと思う。だって私は1Dだったけど覚えがないから。2年のときではないの?
ちなみに私のクラスで何を上演したのか全然覚えていない。ひょっとしてやっぱり「崑崙山}?

No.10
2002年12月27日 06:07
送信者:野本誠一郎 < >
表題:演コン(演劇コンクール)

一年生の時の演劇コンクール。コンクール会場は講堂。

1Dと1Eの合同で、出し物は、確かコンロン山の人々。あまり内容は定かに覚えていないのですが、オレンジ色の夕暮れスポットライトの中、コンロン山脈を背景にS藤幸子さんとS木裕史君の好演が光りました。特にS木の女役は絶妙。ほんとに彼が男の子かと思うような出来でした。
私は、効果係、A原君と飛行機が墜落する音をテープに入れました。当時、立川基地があり、立高近くをバンバン飛んでいたので、飛行機の音はすぐ入れることができたのですが、墜落の音はどういう風に入れたんだか、A原君が良いアイデアを出したような気がします。
審査委員長は世界史の倉員先生。コンロン山の人々は、結構褒めていただいた記憶があります。

2年の時は、演題も内容も忘れましたが、M安君、K林さんの共演が素晴らしかった記憶があります。倉員先生に絶賛されたんでしたよね。

演コンこと覚えている方、是非書き込みをしてください。

No.9
2002年12月15日 06:04
送信者:野本誠一郎 < >
表題:コンパ

体操部の片隅に籍を置いていたダメ部員です。入部して、吊り輪に上れるようになるまで、3ヶ月。同じころ、現在自衛隊にいるO内君などは、吊り輪の上で見事に倒立をしていたというのに。練習の後の補強運動に辛いものがありました。体育館の端から端まで倒立歩行。腕立てふせ最低50回。でも、そのおかげで、できなかった鉄棒の懸垂を15回できるようになりました。かのO内君は50回ですが。

それはさておき、コンパです。
豚肉と野菜をたっぷり仕入れきて、体育館の片隅のかまどで火をたいて、大鍋でミソ味の豚汁づくり。できあがった頃、コウメイ館(だと思うんんですがしかとは覚えていません)一室で、コンパが始まります。3年生の先輩を中心に、豚汁だけで、体操談義に花を咲かせ、人生を語り、ワイ歌(小生はもっぱらこちら)を唱い盛り上がりました。何であの大鍋で作った豚汁はあんなに美味しかったのでしょう。大量に作った豚汁も、コンパが終わる頃にはすっかり空になっていました。

10代の食欲の凄まじかったこと。今から思うと楽しい思い出です。

No.8
2002年12月07日 22:46
送信者:Kimie < >
表題:合唱祭と学食

1Dのときの指揮者はたしか、M木博雄君。若き日のベートーベンを理知的に変換したような感じで指揮をしていました。2Aのときの指揮者が誰だったか覚えていなかったのですが、M安君だったんですね。3Dのときの指揮者が誰かも覚えていません。いつのときかの課題曲がロンドンデリーの歌だったような気がするのですが。
学食では親子丼が好きでした。注文を受けてからひとつずつ鍋で作っていたので、あの小さな配膳口から鍋の具がぐつぐつしだすのを眺めて待ち遠しかったものです。あれ?玉子丼だったかな?

No.7
2002年12月07日 21:12
送信者:あとうだとしこ < >
表題:Re:The Beatles

立高時代の思い出じゃありませんが、"Please please me."の歌詞を書いていた忠・ソンカルさんや"She loves you."を唱っていたM安、M村さんたちに、その頃に戻って私は会いたい。
"Help."をうたい(?)ながら散歩している現在の野本さんにもお会いしたいです。


No.6
2002年12月07日 06:10
送信者:野本誠一郎 < >
表題:ビートルズ

毎日、昼休みに会社の周りを早足で散歩しています。その時、ふと、ビートルズのヘルプがちょうど散歩のリズムに合っていることに気づきました。で、思い出しました。

1年E組のある日の放課後、忠・ソンカルさんが、教室の後ろの黒板に何やら英語の詩を書きはじめました。'Lastnight I said these words to my girl. I know you never even try girl.・・・.’。「それ何の詩?」と思わず聞いたら、忠・ソンカルさんは、おごそかに、「知らないの。野本、遅れてるよ。」、続けて、「今すごく流行っているビートルズの 'Please please me'だよ。」とのたまいました。「へー。」と答えましたが、青梅の田舎者には何のことやらさっぱり。
その後、1年生の3月の予餞会。M安さん、M村さん達グループが、長髪のカツラをかぶり、ビートルズを熱唱。大受け。M安さんが、髪の毛を振り乱して唱った'She loves you'がまだ目に焼き付いています。先生たちは何というやつらと思っていたのでしょうかね。でも、今思えば、彼らは時代の先端を行っていたのでした。

その後、私自信もご多分に漏れずビートルズにはまり、現在はわれわれはビートルズ世代といわれています。
ビートルズに出逢わせてくれたあのときの忠・ソンカルさんにいいたい。心からありがとう!と。




No.5
2002年11月30日 06:18
送信者:野本誠一郎 < >
表題:合唱祭

2年生の時の合唱祭。わがクラスは井上先生担任の2年A組。現在オペラ歌手で活躍中のF原さんにのせられ、M安さんが指揮棒を振りました。素人の指揮だけどF原さんの指導で、M安さんはだんだん調子をあげ、クラスの練習にも熱が入り、本番では完璧な指揮。なんと、並みいる3年生の強豪クラスをさしおいて、わがクラスが優勝。何とも小気味の良い思い出です。

No.4
2002年11月28日 11:43
送信者:忠・ソンカル・さん < >
表題:そういうことなら

You might think but today's hot fish.
高一のEクラスで、あいまいな記憶に拠れば確か西川君が出題した難問もありました。答えを聞けば、なあんだ、みたいな。

No.3
2002年11月28日 00:19
送信者:あとうだとしこ < >
表題:I is the 9th.

以下は私の記憶ではなくAさんが覚えていたこと。

高1のときかしら数学の飛岡先生が黒板にこの文(I is the 9th.)を書いて『この英語は間違っている』とおもう人がいたら普通の人、『間違っていない』とおもう人は英語を良く理解している人か全く理解してない人といったの。意味が分かったのはTさんだけ。"I"はアルファベットの9番目という意味です。

言われてみたらそういうことがあったなと思い出しました。



No.2
2002年11月26日 17:34
送信者:忠・ソンカル・さん < >
表題:学食

なんと言っても学食の魅力です。中学と高校の決定的な違いを述べよ、と問われたらためらいもなく「学食のありなし」と私は答えるつもり。
あの頃、2時限目が終わったら学食がオープンしていた(この記憶あいまい)。それが実に絶妙な時間で、持参の弁当を先に食うか、それとも走っていって学食のたぬきうどん一杯30円(これもあやふや)を10分の間に食うか。結構毎日のように悩んでいた。御同様の向きも多かろうと思うので、私の不確かな記憶をぜひ正しいものにしていただきたい。

No.1
2002年11月24日 10:42
送信者:Kimie < >
表題:一年のときの清明寮で

キャンプファイアのとき、二人組で俳句を作って、発表することになりました。「流れ星 二人で祈る」のあとの5文字のいいのが浮かばない!考えるのに疲れてしまった私は、いい加減な言葉を提案して「これでいいことにしよう。」と言ってさっさと遊びにいってしまいました。
真っ暗な夜空に真っ赤なキャンプファイアの火・・・私たちの番になりました。発表役の私のパートナーは「流れ星 二人で祈る 消えぬまに」と素晴らしい俳句を披露。私はびっくり。夕方からずっと黙りこんでいたパートナーは最後の言葉を探していたのでしょう。みんなから「ほお〜。」という声と大きな拍手。友達からは、「すごいねぇ。」と大賞賛!私はいまさら途中で放りだしたとも言えず、その賞賛に便乗してしまいました。
くじ引きで不幸にも、私と組むことになってしまった千葉君!あの賞賛は、すべてあなたのものです。(旧1D K.S.)

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